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この道徳小話集は、授業の主題にまつわる教師の子どもたちに対する思いや願いを託した話材、つまり「挿話」を紹介しています。その小話の素材となっているのは教師や第三者の体験談、新聞記事やTVで取り上げられていた話題、掲示されていた1枚のポスターのキャッチコピー、音楽、ことわざ、話題の書籍に所収されていた心打つ言葉やエピソード等々、身近なところに数限りなく見つけられるような内容です。そんなインパクトある素材を上手に活用することで主題のねらいと関連づけて子どもの道徳学びを促す手立てや、効果的な提示方法等を満載した実践活用書です。
道徳小話の活用法については、特にこれといったルールはありません。例えば、授業導入でその時間で取り上げる主題へと子どもの興味・関心を向けさせたり、授業展開部分で子どもの多面的・多角的な思考を促すために揺さぶりかけとして用いたり、さらには実践意欲喚起を意図して教師の思いをエピソードに託して語ったりと、実に多様な活用場面・活用方法があります。いわば、道徳科授業を鮮やかに印象深く彩り、子どもたちを深い学びへと誘い、自己省察を促す役割を期待するのが本書で意図している小話活用なのです。
小学校編低学年D−(19)「生命の尊さ」の授業終末での挿話として、佐藤幸司先生(山形県村山市立袖崎小学校)が紹介されていた「家族の幸せとは」と題する一休禅師のエピソードです。何かめでたい言葉をと所望された禅師は、「親が死に、子が死に、孫が死ぬ」と書きます。命には順番があります。親が亡くなり、次に子が亡くなり、孫が亡くなる。親より先に子や孫が死ぬことが、家族にとって一番の悲しみであり、不幸なことなのです。こんな言葉を、むしろ多感な時代にさしかかりつつある小学校高学年児童や中学生に語りかけると、きっと子どもたちの琴線に触れることと思います。
道徳小話と聞くと、補助教材というイメージをもたれるかもしれません。ですが、柔軟で多様な視点から道徳的諸価値を俯瞰させようとするなら、このような小話集が極めて有効な手立てであることはご理解いただけると思います。さらに、道徳学びを進める子どもの立場に立つなら、教科書が常にその時間の主教材と限りません。時には副教材として提示した道徳小話が子どもの琴線に触れ、そこから道徳的価値についての再吟味・検討のための学び合いが展開される場合も当然予測されることです。裏返せば、主教材とか副教材といった線引きは教師の捉え方であって、学ぶ子どもの側では区別すること自体意味がないということです。大切なのは、道徳小話を子どもの道徳的追体験としてどこで活かすのか、どのタイミングでどう取り上げるのか、その工夫次第で教育的効果が計り知れないものになるということです。
道徳小話が子どもたちの心の中でしっかりと楔になって作用し、心揺さぶり、道徳的価値に対する強い覚醒と自覚化を促すのであれば、それはそれで素晴らしいことであると考えています。そんな教科書教材超えのインパクトも期待できるでしょうし、子どもたちの道徳学びを多様にすると信じています。そして何よりも大切に願っているのは、日々の道徳科授業に活力を与え、子どもたちに柔軟で多様な深まりある道徳的思考を実現させようと願ってやまない教師の思いを伝える情熱ツールになってほしいということです。