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「ことば」は、その人のもつ「観」が拡大され表出したものです。「ことばがけ」とは、単にことばを選んで発するものではなく、ことばの奥にある観によって選定されものです。ですから、「これを言えば子どもはこうなる」という方程式は成立しないのです。ことばとその奥にある観が一致し、相手に観が受け容れられたとき、有効なことばがけがされたと言えるのだと考えます。
また、ことばが観の拡大であると解釈するならば、ことばを発することだけがことばがけではないとも言えます。「目は口ほどにものを言う」というように、目線でもってことばがけをすることも可能です。あるいは、肩に手を置くなどといった行為や表情でも観を伝えることができます。「背中で語る」ということに当てはめて考えると、教師の言動だけではなく、在り方そのものがことばがけとして機能するとも言えると思います。
「ことば」は観でありその人そのものですから、他者のことばだけをまねたところで、学級経営や授業がうまくいくはずがありません。また、心にもないことをことばにしても伝わりません。
ですから私は、自分はどんな観をもっているのか、それは根本で一貫しているのか、ことばと根本はつながっているのかということを、時折立ち止まって考えることを大切にしています。
教育現場でよく見聞きするのは、すでに起きてしまった失敗を反省させたり、目の前の問題行動をやめさせたりするような言葉がけです。多くは子どもたちが将来困らないようにとなされる指導ですが、それは本当に「子どものため」なのでしょうか。教師が都合よく子どもを動かしたり、教師の思惑通りに学級づくりをしようとしたりするための「ツール」になってはいないのでしょうか。
失敗や問題行動は、教師がどうにかすべきものではなく、子ども自身が向き合うべきことです(ですから、必ずしも子どもがどうにかしたいと思わなくてもいいわけです)。まずは子ども自身が自分の課題と認識し、その先にどうにかしたいという思いが芽生えるのだと考えます。本書で提案する「未来志向のことばがけ」とは、過去を悔いたり現状をどうにかしたりするのではなく、未来にある自分の人生をどう生きるかを自己決定できるような「ことばがけ」なのです。
前述したように、「ことば」は「観」が表出したものです。ですから、「何を言うか」は発達段階によって大きくは変わりません。しかし、「どう言うか」については、受け取る側の発達段階や環境に応じたものでなくてはなりません。相手に伝わらなければ「ことばがけ」として機能しませんから。物理的に「耳に届く」のではなく、「心に届く」ことを意識したことばがけをすることが大事だと考えています。
ことばがけに限らず、日頃の指導で大事にしていることは「自分で考える(人に預けない)」「自分で決める(人に流されない)」「自分でする(人に依存しない)」「自分で責任をもつ(人のせいにしない)」ことができるようにすることです。そのために、自分に自信や誇りをもつこと、自分を肯定できること、自分の存在を大切に思えるようなかかわりを心がけています。具体的には、先回りをせず見守り待つことや、任せたり一緒に考えたりすることなどを大切にしています。
本書は、「こう言えば学級や子どもが思い通りに動かせる」ということばがけの本ではありません。教師のことばがけにより、子どもが未来に向かって自分で歩みを進められるようにすることを目指した本です。「ことば」「ことばがけ」とは何かを問い直し、私なりに整理を試みました。それを、エピソード(実体験をもとに加工しています)を通し具体的な姿として提示しました。エピソードは個別の物語としてではなく、みなさまがご自分の観を見つめ、目の前の子どもたちのための「ことばがけ」を模索する一助ととして機能することをねらっています。本書をマニュアル本としてではなく、在り方を問い続ける材として位置づけていただけるならば、望外の幸せです。