著者インタビュー
新刊書籍の内容や発刊にまつわる面白エピソード、授業に取り入れるポイントなどを、著者に直撃インタビューします。
楽しいだけの体育から卒業しよう!
流通経済大学スポーツ健康科学部教授福ヶ迫 善彦
2022/3/11 掲載
 今回は福ヶ迫善彦先生に、新刊『発問と学習カードでそのまま追試できる!思考力を高める体育授業プラン』について伺いました。

福ヶ迫 善彦ふくがさこ よしひこ

国士舘大学大学院助手、愛知教育大学助教・講師・准教授、現職。主な研究内容は、よい体育授業の基礎的条件、教師教育、児童の思考力の向上の学習過程づくり等。『楽しい体育の授業』2019年4月号〜2020年3月号において、本書の企画のもととなる連載「思考力を育む授業づくりのポイント」を執筆、編集。

―体育授業において、なぜ思考力が重要なのでしょうか。

 体育授業は、体を動かす運動遊びやスポーツを楽しむだけではありません。体育授業では、生涯にわたってスポーツを享受する資質や能力の育成を系統的に学習することが重要です。とはいうものの、運動やスポーツは、楽しいもので、できた・わかったという達成感や有能感の高まりが大切です。ただ楽しい体育授業ではなく、意味のある経験をさせてあげる必要があるでしょう。そのためには、考えながら、運動・スポーツに取り組むことです。わからずにできる子どもを育てるよりも、わかっているのにできない子どもを支援するほうが体育授業では大切だとわたくしは考えます。それは生涯スポーツにつながるからです。生きてはたらく能力を育成するのが体育授業です。

―「できる」と「わかる」に関して、体育では「できるけどわからない」や「できないけどわかる」という状態も考えられますが、そのような子どもたちをどう導くとよいか、アドバイスいただけますか。

 先ほども述べましたが、わからないでできるよりも、わかってできないほうが意義深いと考えます。体育授業を、算数の足し算引き算、国語の読解力のように、生きていくうえで豊かな生活を営むための必要な資質能力として見てみると、体育授業は20歳以降、体力が低下する観点から、いずれできなくなること、例えば逆上がりなどを教えることの意味を問わなければなりません。できるようになることは、身体の育成の上で必要なことです。しかし、お友達の補助でできることと、補助なしでできることの差に大きな意味はありません。それよりも、なぜお友達の支援でできて、一人ではできないのかを考え思考し、修正しようとする資質能力のほうが有益です。この有益は、生きていくうえで必要な資質能力で、人生を豊かにすることを指します。心身の健康は、生涯を通じて大切にしたいことです。豊かな生活を営む方法(体育授業でのわかる)は、生まれ持つものではなく、学ぶことで得られます。

―本書では、各実践で学習カードが効果的に活用されており、アレンジもできるデータがダウンロードできるのも魅力ですね。子どもの思考力を見える化する学習カードづくりのポイントをぜひ教えていただけますか。

 わたくしは、ICTを活用した授業研究を行っていますが、GIGAスクール構想により、1人1台端末が実現し、ICTの活用が当たり前の時代になってきます。
 そういった時代背景において、子どもの動きや思考を見える化することは重要で、その方法に学習カードがあります。
 思考を見える化するためには、運動の本質を探究する過程をたどることが重要です。予想し、課題を実行し、その過程を背景に思考を修正し、再チャレンジすることで、運動の本質を探究する、という過程をたどるようにします。そのなかで、学習カードは、わかったことを整理し、次の課題を見つけるための指針になります。本書は、学習カードを再編できますが、これは子どもの実態に合わせて学習カードを修正し、提供できることに意味があります。本書は、単元計画、本時案、学習カードをセットに授業づくりを行っていただけることを大切にしています。

―本書に収録されている実践では、子どもの思考力がはたらくきっかけとなる教師の発問が具体的に紹介されています。思考力がはたらく発問をづくりのヒントをぜひ教えていただけますか。

 発問は、どの教科でも重要でしょう。発問は、子どもの思考を誘発する重要な教授技術です。そのためには、教授方略として事前に計画することが重要です。その際、体育授業で例えるならば、運動の本質にかかわって問うような発問が必要です。
 例えば逆上がりの場合、うまく回転することができないのは、顎が上がることで、傾斜反発を体が行い、体から鉄棒が離れてしまうからです。子どもには鉄棒の下よりももっと遠いところから足を振り上げ、顎を引いて、体に鉄棒を巻き付けるように体を操作する感覚と、そのポイントを理解してほしいのです。そのため、教師は、「足を振り上げた時、鉄棒に体が巻き付くように体を操作するためにはどのように顎、ひじ、つま先を操作するとよいでしょう。」という発問で子どもの思考を揺らがせます。計画段階から運動の根幹を整理して、それを問う発問を設計する必要があるでしょう。

―最後に、全国の先生方へ向けメッセージをお願いします。

 体育授業は楽しいものです。教師と子どもにとっても。ただし、楽しいだけの体育授業からは卒業しましょう。授業ですから、意味のある経験を子どもに持たせなければなりません。ある意味、教科としての体育授業を実践してほしいのです。体育授業では、できない子どもがわかりながらできるようになる、できる子どもがなぜできるのかを説明できるようになる、できそうな子どもがわかることでできるようになる、そのようなことを目指してほしいです。根底にあることは、わかりながらできる授業づくりで、その際、子ども同士のかかわりも重要です。わかる、かかわる、できる、ことを保証することは、教科としての体育授業の立場を証明します。ただ楽しい・面白い、ただ運動する・活動する、そういった体育授業から卒業し、全国の先生方には、子どもが頭をひねりながらわかった・できた、友達の協力があったといった体育授業を実践してほしいです。体育授業でも思考の能力を高めることができることを証明していただけると幸いです。

(構成:木村)
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