きょういくじん会議
まじめなニュースからやわらかネタまで、教育のことならなんでも取り上げる読者参加型サイト
世界遺産登録なるか? 足尾銅山が伝えるもの
kyoikujin
2007/12/2 掲載

 「足尾銅山」といえば、このところ、世界遺産の登録へ向けてちょくちょく話題にのぼっている。先月17日には、「足尾銅山跡」が国の史跡として指定され、25日には、「足尾銅山を世界遺産に」というシンポジウムが日光市で開かれた。

 みなさん多くが足尾銅山をご存知なのは、小学校の国語の教科書に「田中正造」のことがでているからかもしれない。しかし、小学生にとってははかなり硬い内容であり、かく言う私も、記憶には残っているが、その印象はというと「何か暗かった」という程度…

 しかし今年1月、富岡製糸工場が世界遺産暫定リストに登録されて以来、産業遺産保存への動きが広まり、足尾銅山もにわかに活気づいた。と聞けば実際行ってみよう、ということで、先日足尾銅山へ行ってきた。本日はそのミニレポートを。

 「百聞は一見にしかず」とはよくいったもので、足尾銅山の盛衰は、足尾の地に一歩踏み込んだとたん、一気に目にとびこんでくる。
 当時、大勢の抗夫たちで活気のあった町は、今では面影もないほどひっそりとしていた。特にかつて精錬所のあった付近は著しく、精錬所の廃墟が物語る歴史は強烈で、護岸のそこここに見える青色の痕は、何十年もたった今でも生々しい。鉱毒による被害を受けた山々は、未だに樹木が生えない禿山の部分もあり、道端に立っているかつてのにぎわいを伝える看板も、どことなく寒々しい。

 しかし、ここがかつての日本の産業一翼を担っていたというのは事実であり、その役割と責任と被害を一手に引き受けてしまったこの地が伝えるものは計り知れない。
 ちなみに通洞抗跡は、現在実際に坑道の中に入って見学ができる施設になっており、これはなかなかリアルで楽しめた。

 帰り際に寄った観光所で、かつて銅山の庶務課で働いていたという女性に会いちょっと話をうかがった。女学校を出てから栄光時代の銅山に勤めていたというその方から聞いた話は、さすが当時の華やかな時代を映しており、今回の旅で、初めて生きた銅山を肌で感じることができた。

 帰ってきてから小学校の国語の教科書を引っ張り出してきてあらためて読んでみた。実際行ってきてから読むと、田中正造の活動も当時の町の様子も、歴史上の物語としてではなく、今現在の足尾の地とつながったものとして受け止められる。
 果たして、足尾銅山が世界遺産として登録されるか、今後の動向に注目したい。

この記事は、『きょういくじん会議』の記事を移転して掲載しているため、文中に『きょういくじん会議』への掲載を前提とした表現が含まれている場合があります。あらかじめご了承ください。
コメントの一覧
1件あります。
    • 1
    • 名無しさん
    • 2007/12/4 12:42:01
    世界遺産ブームも少し下火な気がしますが…。
コメントの受付は終了しました。