きょういくじん会議
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東京都調布市で第二次世界大戦中の不発弾処理
kyoikujin
2008/5/21 掲載

立ち入り禁止予告 18日、調布市国領駅周辺で発見された不発弾の処理作業が行われた。午前8時の避難開始サイレンを合図に、不発弾を中心におおむね半径500メートルの範囲が警戒区域とされ、全住民の避難が行われた。その区域に含まれた国道20号線甲州街道は通行止めになり、京王線も「つつじヶ丘〜調布」間で列車の運転が休止された。

 処理された不発弾は米国製1トン爆弾長さ約180センチ直径60センチで、爆発すれば周囲200メートルにいる人は即死する威力があったという。近隣の方の証言や文献をもとに京王線立体化事業の事前調査における磁気探査で発見された。第二次世界大戦中の昭和20年4月7日にB29が付近で空中爆発し、その際に落下したものと推定されている。

現場写真 日本で第二次世界大戦中の不発弾がみつかることはまれにあることで、特に激しい地上戦が行われた沖縄県では、現在でもたくさんの不発弾が発見・処理されている。発見される爆弾の種類も爆弾・砲弾・ロケット弾・迫撃砲弾・手榴弾・地雷と幅広く、爆発事故により犠牲になった方も多い。

 これら不発弾の処理は、1951年に締結されたサンフランシスコ平和条約において請求権を日本が放棄しているため、自衛隊の不発弾処理隊が行い、費用も国内でまかなわれる。

 サンフランシスコ平和条約とは、日本とアメリカ・イギリスなど連合国48カ国の間で戦争終結のために結ばれた条約で、これにより日本は独立を回復した。戦勝国である連合国の多くも「戦争中に生じさせた損害および苦痛」に対しての賠償請求を放棄しており、敗戦国である日本に非常に寛大な内容、と評されている。

 「不発弾」は、子どもにとって遠い過去のことのように思われるかもしれない第二次世界大戦を自分たちが生きる現在へと身近に引き寄せる教材になりうる。処理日、避難前の早朝には「子どもに見せておきたくて」という親子連れが付近でちらほらと見かけられた。
 第二次世界大戦や、戦後の民主化を学習する際に導入ネタとして紹介してみてはどうか。

この記事は、『きょういくじん会議』の記事を移転して掲載しているため、文中に『きょういくじん会議』への掲載を前提とした表現が含まれている場合があります。あらかじめご了承ください。
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