きょういくじん会議
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ダメなものはダメと言える子どもを―お茶大附属小研究会
kyoikujin
2009/2/26 掲載

 19、20日、お茶の水女子大学附属小学校で研究発表会が開かれ、2日間で全国各地から2500名ほどの参加者が集まる盛況ぶりだった。今回、音楽科の授業とその協議会に参加したので、本日はそのレポを。

 全体の研究主題は、小学校における「公共性」を育む「シティズンシップ教育」「公共性」の定義としては、要項の中で「友達と自分の違いを排除せずに、理解し考える力を発揮すること」と記されている。公開授業では、各教科ともに自分の考えを主張する場面を設定したり、友達との意見の共通点や違いに気付かせたり、またそれを受け入れられるような流れを仕組んだり、と「公共性」を意識したプランが立てられていた。

 そんな中で、音楽科の4年生の授業で行われたのが「ミュージックプラン」という活動。これは、お茶大附属小の音楽科の授業で継続的に取り組まれているオリジナルの活動だ。子どもたちが自分の好きな曲をみんなの前で披露するというこのプランは、曲目・楽器・形態、全てが子どもたちの自由。発表までのスケジュールも、期限はあるものの本人たちにまかされている。そして演奏後には常に、発表を聴いた子どもたちから「◎○△」の評価を受けるのだ。

 授業後の協議会における質疑応答でこんな質問がでた。
 「みんなからの評価を待つ子どもの不安そうな顔を見ると、演奏した本人以上に、参観しているこっちの方が緊張してしまった。自分の演奏に対して目の前で『△』を下される子どもの気持ちを考えると、評価の中に『△』を入れるのはちょっとどうかと思うが…。」
 確かに、大抵、子どもたちの発表後の場面では、「よいと思ったところ」を挙げさせるようなことが多い。しかし、この活動ではバッサリと「△」の評価も下される。
 但し重要なのは、評価の際はその理由も必ず一緒に言わせるというところ。例えば、演奏そのものは決してうまいものではなくても、人前であまり声を発しない子が一生懸命歌えば「◎」になったり、もっとこうした方がいいと思うという理由で「△」になったり、同じ曲を聴いても、評価も評価の視点も様々だ。
 実際「△」がついた子どもも、その理由を聴いて納得したり、言われたアイデアを生かして次こそは「◎」をもらおうとがんばるそうだ。あるいは、色々な意見を聞いた上でも、やはり自分はこの方がいいと思う、ということもあるかもしれない。これは、この活動が1回きりのものではなく、継続的に行われるものだからこそだろう。

 今回の参観で、「自分はこう思う」ということを堂々とみんなの前で言ったり、仮に自分と意見が違ってもそれを受け入れている子どもたちの姿を見て、人と違うことに不安を感じたり、順位を付けられることに抵抗を感じる子どもというのは、実は大人の不要な配慮で逆につくり出してしまっているのかもしれないと感じた。
 子どもは、大人が考えるよりも、シビアな意見に十分耐えうる心をもっているようだ。

この記事は、『きょういくじん会議』の記事を移転して掲載しているため、文中に『きょういくじん会議』への掲載を前提とした表現が含まれている場合があります。あらかじめご了承ください。
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