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現代の産業遺産「軍艦島」を知っていますか?
kyoikujin
2010/4/23 掲載
軍艦島 全景

 来週末から始まる大型連休中の予定が決まっていないという方々へ、オススメのイベント紹介の第2弾をお送りします。17日から5月10日まで、新宿のコニカミノルタプラザで開催されている、「軍艦島全景―未来の記憶」展をご紹介します。近年、写真集の世界では「団地」や「工場」などがブームとなりましたが、その少し前にブームとなった「廃墟」で一躍有名になったのが「軍艦島」です。「軍艦島」を知っていますか?

軍艦島とは?

 「軍艦島」は長崎市にある周囲1.2kmの小さな無人島、「端島(はしま)」の俗称です。なぜ軍艦島という名で呼ばれることになったのか、それは島の歴史に由来します。かつて軍艦島は、石炭を採掘する炭坑として、1974(昭和49)年に閉山されるまで栄えました。昭和30年代の最盛期には、この小さな島に5200人を超える人々が暮らしており、当時の人口密度は世界一であったともいわれています。そんな島には、労働者の住宅事情から、日本初の鉄筋コンクリート製アパートがつくられました。それらの建物の姿が、遠くから見ると海に浮かぶ軍艦のようであることから、軍艦島の名で呼ばれるようになったといわれています。

軍艦島のココがポイント

 この「端島」がただの無人島と異なるのは、閉山と同時に無人島となり、以降、昨年まで一般の人々の立入りが禁止されたことがいえます。一般の人々の渡航が厳しく制限されていたことから、島内の建物などが今では廃墟としてそのまま残されているのです。島内にあった学校には机や備品が、住居には生活の日用品などが取り残されたままです。また、現代を象徴するコンクリートという建材が廃墟となって老朽化し、取り残されている姿は何か暗示的でもあり、また過去の遺物としてもイマジネーションを駆り立てられます。

軍艦島の今

 軍艦島は長らく建物の老朽化などの理由から、上陸が禁止されていましたが、昨年4月からは、一般の人にも上陸が許されることになりました。今では安全性が確認された一部の地域を見学できるツアーなどが組まれています。また、ユネスコの世界遺産(文化遺産)へ「九州・山口の近代化産業遺産群」の一部として、登録手続きも進められているようで、現在国内の暫定リストにも登録されています。

 当イベントでは、そんな軍艦島の模型のほか、島で採れた石炭、創業当時の貴重な写真などを見ることができるようです。廃墟という見方ではなく、当時の最先端であった建築物、そして人々の生活の様子などを伺い知ることができる歴史遺産として、軍艦島を感じてみてはいかがでしょうか。

この記事は、『きょういくじん会議』の記事を移転して掲載しているため、文中に『きょういくじん会議』への掲載を前提とした表現が含まれている場合があります。あらかじめご了承ください。
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