きょういくじん会議
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「あおげば尊し」は、こうして元祖卒業ソングになった!
kyoikujin
2011/2/10 掲載

 先月24日、「小学唱歌集最大の謎が解明!」というニュースが舞い込んだ。卒業式の定番ソング「あおげば尊し」の原曲はアメリカの曲であることが発見されたのである。

 このニュースによると、「あおげば尊し」の原曲は「SONG FOR THE CLOSE OF SCHOOL」というアメリカの曲で、メロディーは現在日本で歌われているものと全く同じ。歌詞も卒業で友との別れを惜しむ内容とのこと。つまり、原曲のイメージがそのまま残される形で日本でも歌われていたのだ。

♪明治時代にも洋楽が歌われていた!♪
 「あおげば尊し」は、明治17年、文部省発行の『小学唱歌集 第3編』に掲載された。唱歌集は全部で3巻あり、収録された曲は合計91曲。唱歌集の冒頭には、「緒言」として前書きのようなものが書かれているが、そこには、日本の学士音楽家等とアメリカの有名な音楽教師が協力して選曲し、附属小などで実践した上でさらに取捨選択してまとめた、とある。
 はじめ、「あおげば尊し」の原曲が外国曲、ということに驚いた人もいるかもしれないが、そんな経緯を聞くと、原曲が外国曲である唱歌の存在もうなずける。たとえば、「見わたせば(=むすんでひらいて)」は、フランスの哲学者ルソーが作曲したものだし、「蛍の光」や「才女」はスコットランド民謡だ。

♪訳詞作業も楽じゃない♪
 では、唱歌に取り入れられた外国曲には、どのようにして日本語の訳詞がつけられたのだろうか。一人の人が単独で一つの曲を訳すのだと思いきや… 実は、音楽取調掛(明治期に文部省内に設置されていた音楽教育研究の機関)の担当者数名が互いに意見を出し合い、議論を重ねてつくられていた。では、その過程をちょっとのぞいてみよう。

 まずは曲名。原案は「あふげば尊し」。その後「師の恩」と訂正される。さらに「告別歌」と改められたのだが、「この歌だけが『○○の歌』のようになるのは格好がわるい」という意見が出、再び、「告別」か「吾師の恩」という案があがる。しかし最終的には、歌い出しでもある当初の「あおげば尊し」に落ち着いた。ちなみに、唱歌の曲名は歌い出しであることが多い。
 では歌詞はどうだろうか。現在歌われている歌詞の1番をあげておこう。

あおげばとうとし わが師のおん 教えの庭にも はやいくとせ おもえば いと疾(と)し このとし月 いまこそわかれめ いざさらば

 たとえば「教えの庭」には、「学べるうち」「学びの窓」などの別案があった。また、「わかれめ」は一度は「いとまを」に変えられたが、「子どもが教師に『いとまを申す』というのはおかしい」という意見があり元に戻っている。

♪スコットランド女性が紫式部に変身?!♪
 このように、何度も修正が加えられながら現在歌われているような歌詞になった訳だが、「あおげば尊し」のように原曲のイメージがそのまま訳されたものばかりではなく、元の歌詞とまったく違う訳詞が与えられた曲もある。たとえば先にもあげた「才女」。この曲、実は原曲は「アニーローリー」というタイトルだ。「ああ、その曲なら知っている」という人もいるだろう。
 原曲の歌詞には、こんな言い伝えがある。――ダグラスとアニーはお互い愛し合いながらも、両家の政治的立場の相違で結ばれることがかなわなかった。それぞれ別の相手と結婚したが、ダグラスは彼女アニーへの思いを詩に残した―― ところが日本では、なんとアニーが紫式部や清少納言に置きかえられ、その内容も随分変えられている。ざっとこんな始まりだ。「書きながせる 筆のあやに 染めしむらさき 世々あせず…」。

 『小学唱歌集』の編集は、当時、音楽取調掛にとって日本の音楽教育を進める上での最大の仕事であった。それだけに、選曲も訳詞も、検討に検討を重ねられた様子がうかがえる。
 まもなく卒業式シーズン。近頃は卒業ソングとしてJ-POPの人気が高いようだが、そんな歴史を背負った正真正銘の元祖卒業ソング「あおげば尊し」もぜひ、歌い継がれてほしい、と思う。

参考文献:伊沢修二編著/山住正己校注『洋楽事始 音楽取調成績申報書』平凡社、1971

この記事は、『きょういくじん会議』の記事を移転して掲載しているため、文中に『きょういくじん会議』への掲載を前提とした表現が含まれている場合があります。あらかじめご了承ください。
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