- 「特別の教科 道徳」の授業づくり
- 道徳
B先生
道徳教育に係る評価等の在り方に関する専門家会議から「道徳科における質の高い多様な指導方法について」として、3つの例示がなされました。
@読み物教材の登場人物への自我関与が中心の学習
A問題解決的な学習
B道徳的行為に関する体験的な学習
です。それぞれについて、詳しく教えていただけませんか。
加藤先生からのアドバイス
では、これから3回にわたって説明していくことにしましょう。
まずは「読み物教材の登場人物への自我関与が中心の学習」ですが、この「自我関与」とはどういうことでしょうか。心理学用語の範疇ですが、自分との関わりの中で登場人物との心情を共有するということでしょう。もっと詳しく言えば、「登場人物の立場になり、自分自身と非常に関わりが深いものとして認識する」ということで、最終的には登場人物と自己とを同一視することのようです。
そして、「その自我関与の対象が人である場合、その相手の自分に対する言動や、相手に対する第三者の言動などが、自らの自尊心や感情に強く影響する」と言われています。つまり、読み物教材を用いて適切な自我関与のもとに登場人物の心情理解が行われれば、自ずとそれは学習者の生き方に強く影響を及ぼすとする考え方です。
その考え方自体は間違いではないと思いますが、問題は自我関与させる方法です。「登場人物の心情の読み取りのみに偏らないように」とのことですから、登場人物の気持ちを聞く発問に終始していてはいけないことは前提で考えていきましょう。
解説
「あなただったらどうする?」を聞く
たしかに「自分だったら…」を考えることで人ごとではなくなることもあるでしょう。本音も出やすくなるかもしれません。話し合いが盛り上がることも期待されます。指導者が教材を読むときにも必要な観点です。
けれども、できない自分に引け目を感じるようになってしまったり、「やっぱり同じようにするかな…」などと建前論で発言するようになってしまったりするのでは本末転倒です。扱う教材や展開に応じて使い分けることも必要でしょう。
役割演技をさせる
たしかに、教材と同じ台詞を与え演じさせることで、状況を実感として捉えることはできるでしょう。しかし、それと道徳的心情について共感させるのとは別問題です。演技するということは、道徳的心情に自我関与する前に、台詞を覚えるとか、観客の前で堂々と演じるとか、登場人物になりきるとか、別の課題をクリアしなければなりません。アクターズスクールではないのですから、役者の気持ちに自我関与しても仕方がないですよね?
ましてや、役割演技の目的は、演技者の道徳的な意識の発現ですから、台詞をなぞるだけでは不充分です。そこから、道徳的心情の発露である本当の自分の言葉が出てきてこそ、本来の目的が果たせるはずです。そこに行き着くためには、相当の訓練と時間が必要でしょう。思いつきで道徳の授業内で数回行えばできるというレベルではないように思います。
自我関与の結末
仮に登場人物に100%自我関与できたとします。しかし、それは自分も登場人物と同じことができるということではありません。とすると、子どもたちは次のような気持ちにならないでしょうか。「主人公の○○はすごい、本当にそう思う。でも、そう思うからこそ、自分にはできない。少しでも○○に近づけるように、これからがんばらなければ」と考えると、100%自我関与されたら困る教材もたくさんあるような気がしませんか。
何を自我関与させるか
登場人物の気持ちに自我関与させるのでは、これまでと同じです。自我関与させるべきなのは、「失敗を重ねながらもよりよく生きたいと思い、日々過ごしている自分がよりどころとすべき道徳的な心のあり方」です。結果としての行動ではなく、結果に向かう行為です。
つまり「○○は□□ができたからすごい」ではなく、「○○は△△なのに、□□に向かってこういう努力を積み重ねたところがすごい」ということです。目先の、目にみえる行動に惑わされないようにしましょう。
- 「登場人物への自我関与」ではなく、「登場人物にそのような行動をとらせた大本(おおもと)の心への自我関与」をさせるべきでしょう。
- そのための方法は、例示にとらわれず、目の前の子どもたちと向き合う先生自身が創意工夫をして関与すべきです。
- 「特別の教科 道徳」の指導方法・評価等について(報告)(文部科学省)
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/111/houkoku/1375479.htm