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私は、中高生の頃、「日本画は、なぜこんなに平面的に描かれているのだろう。西洋の油絵はもっと立体的なのに」と思っていました。ところが、あるとき、鯉の描かれた掛け軸を見て、京都の古刹の透き通った池を鯉が泳いでいると感じました。それは、これまでは平面的と思いこんでいた絵にすぎなかったのですが、まぎれもなく立体的な鯉としてのイメージが浮かび上がったのです。
ある美術作品がリアルなものとしてイメージできるというのは、いったいどういうことなのでしょうか。作品が「本物」であることがまず求められるでしょう。加えて、見る側に、「本物」を見抜く目が求められると思います。
私の体験したことは、幼い見方が少しだけ変化したということであって、「本物」を見抜く力が付いたのだなどと言いたいわけではありません。ただ、物の見方というものは、知識として教えられてすぐに変わるものではなく、さまざまな体験を経て、あるとき突然に質的な変化を見せるのではないかと思うのです。
学校現場にかかわりながら、美術作品にかぎらず、音楽にしても、動物や風景にしても、子どもたちに「本物」を見せたい、体験させたいと強く思います。「本物」を見せたとしても、幼い子どもたちには理解できないこともあるでしょう。しかし、理解できなくても、見せ続けること、体験させ続けることには大きな意味があると私は思います。
人としての生き方もまた同様です。自戒の念を込めて言いますが、子どもたちが「本物」の生き方ができるように、私たち教師は、「本物」の生き方を示すことができているのでしょうか。子どもたちに、「本物」を見抜く力が付いたときに、私たちは、子どもたちに恥ずかしくない生き方ができているのでしょうか。
ところで、最近、大学の同僚でもある日本画の専門家から、日本画を習い始めました。自分が描く絵は、なかなか「本物」には近づけそうにありません。