教育オピニオン
日本の教育界にあらゆる角度から斬り込む!様々な立場の執筆者による読み応えのある記事をお届けします。
子どもの実態をもとに再考する「教育課程」
名古屋大学大学院教育発達科学研究科教授植田 健男
2011/6/29 掲載
  • 教育オピニオン
  • 学習指導要領・教育課程

「教育課程」と「カリキュラム」は同じ?

 教育界は「流行り廃り」などとはあまり縁がないものと思われているようですが、実は、そうでもないようです。私がそのことを強く実感したのは、十数年以上も前のことでした。
 ある出版社で、「教育課程」という言葉をタイトルに掲げた書籍の企画が進行していました。ところが、刊行の直前になって「教育課程」という言葉を降ろして「カリキュラム」に変えたいという話が出てきました。編集者によれば「教育課程」という言葉を掲げた本を出しても、今は売れくなっているからとのことでした。当時、「カリキュラム」という言葉が流行りかけており、「教育課程」の方は廃れつつあったようです。確かに、「教育課程」は「カリキュラム」の日本語訳などと説明されているので(あるいは、その逆の説明もなされています)、そんなことはどちらでもよいのではないかということになりそうです。しかし、果たして、本当にそうなのでしょうか。

広い意味で用いられる「カリキュラム」

 「カリキュラム」という言葉は現在、広く様々な意味で使われています。個々の教師の授業案や教科課程をさして使われることもあれば、さらには意図しなかった教育の結果についてまでも「ヒドゥン・カリキュラム(隠れたカリキュラム)」といったかたちで用いられることもあります。そのため、一般の先生方には「教育課程」という言葉よりも「カリキュラム」の方が身近なのかもしれません。どうも「教育課程」の方は、教育行政や学校の管理職、特定の担当者たちのものと思われているようです。

「教育課程」という言葉の誕生

 「教育課程」という言葉の誕生は、半世紀も前にさかのぼります。戦後初の学習指導要領となる1947年版では「教科課程」という言葉が用いられ、たとえば算数の教科課程といえども全国一律のものではなく、地域や子どもの実態に応じて、一つひとつの学校においてつくられるべきものとされていました。1951年版学習指導要領ではさらに発展して、教科だけではなく教科外活動とあわせて、「教育活動の全体計画」として「教育課程」をとらえるという観点が示されるようになりました。しかも、それは教師たちだけではなく、保護者や地域の住民の子どもたちとともにつくられるものとされていました。ここに、「カリキュラム」という言葉には換えられない重要な意味を持つものとして「教育課程」が誕生していたのです。

子どもたちの「人間的な自立」をめざして、学校、教師ができることは

 教育基本法では、教育の目的は「人格の完成」にあるとされています。決して知育を軽視するものではありませんが、それは何よりも「人間的な自立」のためにこそ必要なものであるはずです。その意味で学校教育を考えたとき、地域の子どもたちがどういう実態に置かれており、それに対して学校の教育活動の全体像がどうなっているのかが問われることになります。
 どのような教科、教科外にわたる教育活動の全体計画のもとで、子どもたちのトータルな人間としての育ちを促すことができるのかを考えなければ、どれだけ「教育」があふれていても、皮肉なことに子どもたちの「人間的な自立」はますます遠ざかってしまうことになります。

地域と子どもの実態をもとに「教育課程」を再考しよう

 今となっては「教育課程」は、学校で教える内容を系統立てて配列した「教育内容」といった意味でとらえられ、時として「どの教科をどのくらいの時間をかけて学ばせるのか」という表のみを指す場合さえあるようです。しかし、本当に向かい合うべき子どもたちの実態や課題は地域によって大きな違いがあり、その表からだけは明らかになるはずがありません。つまり、「教育活動の全体計画」としての「教育課程」は、どの学校も同じものであるはずがないのです。

 日本の教育は、今、明らかに大きな岐路に立たされています。こんな時にこそ、あえて「地域の子どもたちの実態」を基盤とした「教育活動の全体計画としての教育課程」という言葉が持つ意味にこだわる必要があるのではないでしょうか。単なる「流行り廃り」の問題ではなくて、言葉には使い分けるだけの意味があり、その必要性があるのです。

植田 健男うえだ たけお

1955年兵庫県生まれ。京都大学大学院博士課程学修認定退学。
京都大学助手、大阪経済大学講師を経て、現在、名古屋大学大学院教育発達科学研究科教授。専門は、教育経営学。教育課程づくりを軸とした学校づくりについて、理論的・実践的に研究を進めている。学生たちとはじめた宗谷教育調査は、今年で二十周年を迎える。

コメントの受付は終了しました。