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“ぷち発明”!!
“ぷち発明”、そのこころは、「科学はもっと楽しく学ぶべきだ」ということだ。
もちろん、大芸術家が新作を生むのに命をすり減らすというのもわかるが、私は、すべての人が大作家とかというわけではないし、すべての人が、野球をやればイチローのように、ゴルフをやれば石川遼君のようにならなければいけないなどとは思わない。
理科学習も環境学習も、週末ゴルファーのように、持続性こそが大切だと考えている。学校というものを卒業したとたんに、科学啓発書の本棚の前に立たなくなるというのではなく、日常生活のスパイスとして、物理学の本に自然と手が伸びたり、環境の本をつねにカバンに1冊は忍ばせているというのは、素敵なことではないかと考えている。
学校の先生方は文系理系問わず、ビジネスマンの方々も、エコカーの技術に関する本を1冊、ポケットに入れておくだけで、何か、地球のためになることで活躍できるきっかけをつかむかもしれない。そんなチャンスが、理科にはある。科学技術にはある。
理科実験は「人間力」を高めてくれる
理科の実験は何のためにやるんですか? 実験をしなくても、入試問題は解けます、なんて話は、もう何十年も聞かされ続けている。
わたしは、理科実験は、「人間力」を高めるためにやるのだと思っている。
それは、42.195kmのフルマラソンを走った経験のある者にしか、フルマラソンが何なのかがわからないように、理科実験を実際にやった者にしかわからないものがあると考えるからだ。なので、理科実験ができない教師は、理科は実験をしてもしかたないなどというわけである。わたしは、そう語る理科教師が気の毒でならない。こんな素敵なものを知らないのは気の毒だ。
実験で重要なことは,自然と直接関わることである。
ビデオやDVDの内容をモニター画面を通して見て、それで知った振りをするのではなく、触ってケガをしたり血を流したり、重さを感じたり、においをかいだり、熱かったり、、、、。いわゆる、人間が生きているという証しである五感をフル稼働させて、自然と対話するというのが、実験のもう一つの役割だと考えている。人類が、地面に足をつけて人間力を失わずに生きるために、理科実験は重要だ。
遠くのできごとをみるために高台に上ったり、ありの巣穴をみるためにレンズを使ったり、重いものを高いところに運ぶのに坂道を利用したりと、、、、。
理科教育は、ものづくりの教育だとも言われる場合があるが、究極は、人間力をつける教育だ。
理科の実験教材を開発していると、どうしようもない状況に追い込まれることもある。このときに、人間力がみえて来る。近頃は、手をださないで考えているだけの学生が多い。しかし中には、どこかにブレークスルーがないかと、いろいろと手をつけてみる学生もいる。過去の経験から、どのようなことが有効かを、見抜いていくことができる学生もいる。同じくらい理論を学んで、原理について同じくらい物知りにはなっているけれど、その先に行ける学生とそこで留まってしまう学生がいる。ここに五感をフル稼働させて自然と向かい合っていく姿勢があるかどうかがみえてくる。理科実験は、いかに人間力を高めてくれることか。
東京理科大学川村研究室で理科大好き実験教室
川村研究室では、実験を通して小学生に物理学を学んでもらいたいと考えている。木、金、月、火の4日間を実践ゼミとして、理科大好き実験教室を実施している。もちろん、我々の研究目的を達成するために行っているので、授業料などというものはそもそも発生しない。逆に、川村研の学生は、小学生のお友達が遊びにやって来てくれるからこそ勉強になっている。小学生と物理学遊びをするためには、学生は、少し物理がわかっているだけではやっていけない。小学生が、興味深々といきいきした瞳で科学の謎を質問してくる。専門用語でごまかそうとすれば、たちまち、それは何、それはどういうことと質問の矢が飛んでくる。水曜日の戦略ゼミで、毎日の実践ゼミへの秘策は練るのではあるが、それだけで十分とは限らない。しかし、チームで対応しているので、誰かが徹底的に困るわけではない。仲間が助けに来てくれる。こうして、理科教師としてチームワークで仕事をして行くことを身体で覚えていく。実験がうまく行かなかった場合にも、ふんばることで、どこかにぷち発明が生まれる。
理科実験のなかでぷち発明を繰り返すことで、わたし自身は、創意工夫する力を中心とした人間力を身につけることができたのではないかと思っている。すべては人類の向上心に支えられたものであると考える。
子どもたちに知識を沢山覚えさせる理科授業よりも、子どもたちがわくわく心ふるわすような体験をさせてあげられる先生が増えてくれたらいいのになあと願っている。