教育オピニオン
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道徳教育評価で拓く子どもの自己肯定的な学び
國學院大學人間開発学部教授田沼 茂紀
2012/2/24 掲載

はじめに

 早いもので、平成20年3月告示の義務教育学校学習指導要領も23年度の小学校に次いで、中学校も全面実施年度を迎えることとなった。全国の気の早い道徳教育研究推進校の中には、もう次期学習指導要領改訂のポイントは何かと穿った思惑的課題を先取りしようと意気込んでいるところもあるといった真しやかな噂も耳にする昨今である。変化の激しい時代性が学校教育に求める内容は、社会や子どもたちのニーズ、さらには社会現実に根ざした教育課題等も含め、目まぐるしくその要請を変貌させ続けている。その点で、おおよそ10年毎に改訂されるわが国の公的教育基準としての学習指導要領更新サイクルと社会的なレリバンス(relevance:適切性)との間には、このところ恒常的に齟齬(そご)が生じ続けているのかもしれない。そんな問題意識から道徳教育を取り巻く諸課題を検討し、その改革方途・方略について考察してみたいと考える。

1 道徳教育を取り巻く今日的諸課題とは何か

 今次学習指導要領改訂の趣旨を踏まえ、道徳教育は特別活動等と共に既に先行実施されてきた。その実践実績も踏まえ、今後の道徳教育推進の方途、とりわけ道徳授業改革のための方略を明確にしていくことは急務であろうと考える。
 その解決すべき諸課題の糸口は、今次学習指導要領改訂に先立って示された中央教育審議会答申「幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善について」(平成20年1月17日)に見いだされる。答申の中で指摘された道徳教育方途・方略改革を迫る喫緊の課題として示されたのは、「@生命尊重の心や自尊感情が乏しいこと、基本的な生活習慣の確立が不十分、規範意識の低下、人間関係を築く力や集団活動を通した社会性の育成が不十分などといった指摘がなされている。また、小・中学校の道徳の時間については、A指導が形式化している、学年の段階が上るにつれて子どもたちの受け止めがよくないとの指摘がなされており、何よりも実効性が上がるよう改善を行うことが重要である(丸数字と赤字は筆者による)」という深刻な指摘である。このような道徳教育の根幹にかかわる課題を克服するには、かなりドラスティックな対応が必要であろうと考える。
しかし、その前に問いたい。果たして、道徳教育の直面する危機的課題が各学校で共有されているのであろうか。道徳教育の担い手である教師は、その課題と真摯に向き合っているのであろうか。そこが、まず問われるべきであろう。確かに各学校では道徳教育推進教師が配置され、校内指導体制の拡充整備は完了した。しかし、それに胡座をかいてはいないだろうか。「喉元過ぎれば熱さ忘れる」という諺ではないが、学校全体で取り組む日々の道徳教育や道徳授業の抜本的改革を先送りしてはいないだろうかと、とても気になるのである。

2 道徳教育の本質的検討から方途・方略論的改革の方向性を見いだす

 変化の激しい現代社会にあって、確かに学校教育はその時々の社会的動向に翻弄され続けてきた。そして、その「流行」という皮相的な部分において道徳教育のレリバンスが常に問われてきたのも事実である。しかし、道徳教育の本質論から考えるなら、その「不易」部分はいつの時代も同様な筈である。古代ギリシャの時代から営々と続いてきた「善く生きることへの問い」と、そのための「道徳的対話」という2点である。これらの不易部分は、例え社会が変化しようが、子どもたちのライフスタイルが変わろうが、厳然たる道徳教育の根本問題として存在し続けているのである。先に挙げた答申の諸課題は、正にこれら不易部分に通底すること、そのものであろう。その解決なくして、道徳教育の充実・発展はあり得ないし、今日の学校教育に課せられた課題解決のための方途・方略の再構築こそが至上命題であると考える次第である。
 教育は具体である。問題提起のみでは無責任であろう。その問題解決へ資する方途・方略についての私見として、以下の3点を示しておきたいと考える。
@道徳教育を教師の情緒的心情論から、指導仮説と指導結果検証が伴う社会科学的視点へと発想転換して捉え直す。
A道徳教育推進の前提として、「子どもの道徳的学び」を創出するための指導計画・評価計画を第一義に立案する。
B子どもの自己肯定的評価を生み出すような道徳教育方略、道徳授業方途を学校の道徳教育方針として確立する。

3 指導・評価過程を通じて子どもの「自己肯定感」と「自己成長力」を育む

 これまで、道徳は心の教育だから教育評価など一切不要と否定されたり、個の内面を推し量るのは人権侵害だから評価などとんでもないと喧伝されたりしてきた経緯がある。しかし、それは社会科学としての教育学への冒涜であろう。教師が子どもに一定の方向性を有した教材と方法論を用いて指導しておきながら、その教育効果を一切検証しないというのではあまりにも無責任で、公教育としての説明責任を果たしているとは言い難い。
 道徳教育という意図的活動をすれば、当然そこには「子どもの道徳的学び」が発生し、それが結果的に個として善く生きるための資質・能力形成へ寄与することとなる。それを詳らかにするためには、個々の子どもの道徳的学びの過程を指導計画として体系的に想定し、それを見取るための評価計画がどうしても必要なのである。個々の子どもの道徳性の善し悪しを見取るのではない。個々の子どもの道徳的な学びの善さを見取り、励ますための指導計画・評価計画が求められているのである。
 さらに、個々の道徳的学びの追求が可能となるような教育活動を構想するためにはまず教材開発、そして、その教材から子どもの学びを効果的に引き出すための教師による指導法の工夫や総合的な教育的タクト(独Takt:教師の応答力)が不可欠となってくるのである。その教育活動を介して子どもたちが見いだすのは、自分に対する誇りと自信の総体としての「自己肯定感」であり、自らの未来を拓く明日を信じて生きるための「自己成長力」への自覚なのである。

田沼 茂紀たぬま しげき

1955年、新潟県生まれ。
上越教育大学大学院学校教育研究科修士課程修了(教育学修士)。
國學院大學人間開発学部初等教育学科教授(國學院大學人間開発学部教育実践総合センター長も兼務)。専攻は道徳教育、教育カリキュラム論。
川崎市公立学校教員を経て高知大学教育学部助教授、同学部教授。その間、同学部附属教育実践総合センター長を5年間にわたり併任。平成21年4月より現職。
主な単著は、『表現構想論で展開する道徳授業』1994年、『子どもの価値意識を育む』1999年、『再考−田島体験学校』2002年(いずれも川崎教育文化研究所刊)、『人間力を育む道徳教育の理論と方法』2011年(北樹出版刊)等。

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