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アクティブ・ラーニングを理解するには
今、大きな書店に行けば「アクティブ・ラーニング」という言葉にあふれています。私の出したアクティブ・ラーニングの本も教育書としては異例の売れ方です。これを読んでいる方々は「アクティブ・ラーニング」にただならないものを感じ、情報収集している方々だと思います。
一方、皆さんの同僚や上司はどうでしょうか?
もの凄くのんびりしていると思います。それらの方々は、総合学習が導入されたときの狂乱状態を覚えている方だと思います。導入直前までは書店には本が並び、研究会には人が集まりました。みんな怖かったのです。ところが、蓋をあげてみれば、今までの実践に多少クロスカリキュラムの香り付けをすればOKでした。やがて書店から総合学習の本は消え、研究会はなくなりました。
その後、「言語活動の充実」では総合学習の導入の時のような騒動は起こりません。なぜなら「多少、言語活動を増やせばいい」とみんなが思い、事実、その通りになりました。今、道徳の教科化も、「ま、要録に書く量を増やせばいい」と思っているので安心しています。
さて、今回も同じだと思っているので安心しています。しかし、言語活動の充実や道徳の教科化と違っている点に気づいていますか? それは教育委員会が「今までの実践の延長線上でいいんです」と周知しようとしている点です。「言語活動を多少増やせばいいんです」、「要録に書く量を増やせばいいんです」とは積極的に周知してはいませんよね。
何故でしょうか? 理由は教育委員会レベルの人も「アクティブ・ラーニング」がどれほどのものになるか分からなくて、恐れているからです。だから、「今までの実践の延長線上でいいんです」と自分自身に言い聞かせて安心しようとしているのです。
今回のアクティブ・ラーニングは文部科学省主導で動いているのではありません。教育再生実行会議発であり、それらは経済・産業界から発しています。そのため、アクティブ・ラーニングの真意を文部科学省の中でも、教育再生実行会議に出席する副大臣や審議官レベルの人、そしてその人達から直接指示を受けている人しか理解していません。ましてや教育委員会の人が不安になるのも当然です。
アクティブ・ラーニングを理解し、今後の教育の流れを予測するには、学習指導要領レベルのことでは足りないのです。
日本の生き残り策
今回の改革を一言で言えば、「少子高齢化の日本において30年後、40年後の国民が飢えないようにするためには、国際的にも活躍できる国民を早急に育成する」ための改革です。
日本は、昔は中国、今はアメリカという時の先進国の成功事例を素早く吸収して生きていました。その日本において必要とされる人材は「正解」を素早く理解し、活用できる能力です。ところが、既にそれでは生きていけません。高度成長期を支えた産業は中国、インドが現在になっています。日本の生きる道は「正解」を生み出す能力が必要なのです。
PISA型学力も21世紀型学力も「正解」はあります。そうではなくノーベル賞に代表される新たなものを生み出す能力が求められています。それ故に、ノーベル賞を多く獲得するアメリカのアイビーリーグの大学を日本に生み出す必要があります。そして、そのためにはアイビーリーグでの入試を行い、それに耐えられる生徒を入学させアイビーリーグでの教育を施します。それがアクティブ・ラーニングです。
東京大学も安心できません。何故ならば、アクティブ・ラーニングに対応しないならば、企業は海外の学生を採用します。東京大学のライバルは京都大学や早稲田大学や慶応大学ではありません。海外のトップ校です。しかし、残念ながら、それらの大学は東京大学をライバルとは見なしていません。
既に、アンテナの高い子どもたちは東京大学を見放し始めているのです。
今、何をすべきか
最初に何をすべきか? それはアクティブ・ラーニングを正しく理解し、今までの延長線上では間に合わないことを理解すべきです。
その上で何をすべきでしょうか?
私は『学び合い』を提案します。理由は、日本の教育の圧倒的大多数はスーパーマン教師ではありません。ごく普通の教師です。その教師が今までとは違うアクティブ・ラーニングをやり続けるならば以下のことが必要です。
- マニュアルがそろっている(痒いところに手の届くマニュアルがなければ多くの教師は迷います)。
- 実践者が多いこと(理論的には出来るはずですと研究者に言われても困りますよね。実際に使えるか否かは、実際に使っている人がいるかどうかで判断出来ます)。
- どんな教科、どんな単元、どんな場面でも使える(アクティブ・ラーニングは教育活動全体に関わるものです。多少、増やせばいいものではありません)。
で、どうしたらいいのでしょうか?
是非、アクティブ・ラーニング、そして『学び合い』の書籍をご覧下さい。
