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子どもは「不審者」についていくのではない
子どもの連れ去り事件のほとんどは、子どもがだまされて自分からついていったケースである。実際、宮崎勤事件も、神戸のサカキバラ事件も、奈良女児誘拐殺害事件も、だまされて連れ去られたケースだ。
こうしたケースは、「不審者に気をつける」「知らない人についていかない」と教えても防げない。なぜなら、不審者とそうでない人を外見から識別することは不可能だし、子どもの世界では、二言三言、言葉を交わすだけで「知らない人」も「知っている人」になってしまうからだ。
松戸のベトナム人女児殺害事件で逮捕された保護者会長も、子どもから見れば、「親切そうな人」「知っている人」であり、決して「危ない人」ではなかったはずだ。
私は時々、小学校で授業を行っているが、子どもたちに「どんな人が不審者なのか」と聞くと、「サングラスやマスクをしている人」という答えが返ってくる。しかし、そうした姿の誘拐犯人は聞いたことがない。こんな教育をしているから、子どもは、「普通の顔の人」にだまされてついていくのだ。
「人」ではなく、「場所(景色)」に着目した安全指導を
このように、犯行の動機があるかないかは見ただけでは分からない。つまり、「不審者に気をつけて」と言われても、気をつけようがないのだ。
そのため、海外では、「不審者」という言葉は使われていない。海外の防犯が注目するのは、「人」ではなく、「場所(景色)」である。「危ない人」は見ただけでは分からないが、「危ない場所(景色)」は見ただけで分かるからだ。
犯罪学では、こうしたアプローチを「犯罪機会論」と呼んでいる。犯罪は、犯行の動機があるだけでは起こらず、動機を抱えた人が犯罪の機会、つまりチャンスに出合ったときに初めて起こる。つまり、犯罪者の動機をなくせなくても、犯罪者に犯罪の機会を与えなければ、犯罪を防げるのだ。
海外では、この犯罪機会論が当たり前に行われているが、日本では、まったくと言っていいほど行われていない。そのため、せっかく「地域安全マップづくり」に取り組んでも、間違ったマップができてしまう。例えば、不審者が出没した場所を表示した「不審者マップ」や、実際に犯罪が起きた場所を表示した「犯罪発生マップ」は、役に立たないマップだ。
地域安全マップづくりの目的は、子どもたち一人ひとりの「景色解読力」を高めることである。
犯罪者は、景色を見て犯罪が成功するかどうかを判断している。その基準が「入りやすいかどうか」「見えにくいかどうか」だ。つまり、「入りやすく見えにくい場所」が、犯罪者が好きな場所、言い換えれば、犯罪が起きやすい場所なのである。
要するに、景色を見て、その場所の危険性を見抜く習慣を、身につけることが大切なのである。地域安全マップづくりは、そのための教育プログラムだ。したがって、正しい地域安全マップと言えるためには、「入りやすい」「見えにくい」という判断基準で景色がはらむ危険性を測定し、その結果を、景色を再現した写真を使って解説することが必要である。
「入りやすい」「見えにくい」という「物差し」を使いこなし、景色解読力を向上させるためには、「入りにくく見えやすい場所」の写真を集めた『写真でわかる世界の防犯 ――遺跡・デザイン・まちづくり』(小学館)も有効だ。例えば、次の写真はその中の一枚。
海外の公園では、子ども向けエリアと大人向けエリアを明確に分ける。これは、ゾーニング(すみ分け)と呼ばれている。遊具は子ども向けエリアに集中させ、そこをフェンスで囲む。フェンスは、ディフェンスという言葉から派生したことからも分かるように、守りの基本形だ。ゾーニングしておけば、子ども専用のスペースに入るだけで、子どもも周りの大人も警戒するので、だまして連れ出すことは難しい。
こうした学習を通して、景色が放つメッセージを感受し、暗号を解読するかのように、景色を解読できれば、危険を予測して回避することが可能になる。そうした力を子どもに身につけさせるため、まずは、地域安全マップづくりは、能力の向上という「人づくり」であって、地図の作製という「物づくり」ではない、ということを理解していただきたい。