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1 6年間のつながりを明確に見通した道徳授業
「道徳授業は、答えが決まっていてあきあきする。」
「低学年のころは楽しかったけど、今は楽しくない。」
「先生は、いつも主人公はどんな気持ちだろう?と同じことを聞いてくる。」
道徳授業を行う中で、これらの子どもたちの意見は、指導する教師側に課題として伝わっているのだろうか。これらの子どもたちの意見を考慮すると、これからの道徳授業は、その特質を理解した上で、日常生活と密接な関係をもたせながら、その学びが生きて働く道徳授業でなくてはならないと考える。
平成30年度から教科化され、道徳科目標の中に「自己の生き方についての考えを深める学習」であることが明記された。小学校6年間を通して、自己の生き方についての考えを深めさせるために、道徳授業における学びが計画的・発展的に子どもたちの道徳性を育むものとなるために、「いかに問いをもたせるか」という視点で授業を見つめ直し、冒頭の子どもたちの感想が、
「道徳授業で学んだことは、あの場面で生きてきそうだな。」
「今まで気づけなかった価値観に出会えたな。」
といったものに変化させたい。
2 道徳授業における「問い」
「問い」について着目する上で、まず、道徳授業における「問い」とは、何かを明確にする必要がある。人間は、常によりよく生きようとする願いをもつ存在である。それは子どもたちも同様であり、常に自らの道徳的価値観と対峙しながら、「問い」をもち続けて生きている。つまり、常にどのような生き方が、よりよく生きることなのかという問いをもちながら、生活している。その生き方を追究するために必要となる「問い」こそが、道徳授業における「問い」である。
次に、この「問い」が、どのように生じるかを明確にする必要がある。それは、自分のこれまでの道徳的価値観と新たな価値観との出会いによって生じるずれや、他の価値観や自分の価値観とを比較したり関係付けたりすることなどを通して生じる。これらは、授業において、教師自身が発問や場の設定などにおいて、具体化することができる。
つまり、「問い」を見つめ直すことで、道徳授業の中で、生きて働く「問い」を見出すことになり、そのことが、発問や場の設定の具体化につながることになる。それは、6年間のつながりを明確にした学習内容設定が基盤にあり、それらの内容設定を基にすることを通して、発問として具体化できるのである。これらを教師側が熟知することで、冒頭にあるような、
「主人公はどんな気持ちだろう。」
といった形骸化された発問に終始することが減り、子どもたちの思考体験は多様化され、生きて働く道徳授業へと変容すると考える。
3 6年間のつながりを明確にした学習内容設定と指導方法の具体化
では、どのように学習内容を設定し、指導方法を具体化していくかについて以下に述べる。
(1)学習内容の設定
学習内容の設定は、各学年の発達段階を踏まえた指導内容の要点の分析(解説書)、児童の実態分析及び教材分析、指導の発展性及び他教育活動との関連を図ることである。そして、実際に指導する子どもたちの実態を踏まえ設定する。これらの手順を踏むことで、「何を」教えるかを明確にする。
(2)指導方法の具体化
(1)の流れを基に設定した学習内容を、よりよく学び取らせるための発問などの指導方法を具体化する際には、子どもたちが多様な価値観を表出し、それらを基に追究したことを、自らの生活の中で生かしていくためにはどうすればよいかという「問い」をもった姿を想定することが必要である。そうすることにより、子どもたちが多様な価値観の存在を前提にして、他者と対話したり協働したりしながら、物事を多面的・多角的に考えることのできる指導方法を具体化しやすくなる。
この考えを基に、多様な道徳的価値観を表出させたりと日常生活の中で自問自答させたりする発問を具体化し、子どもたちの「自分はどのように生きるべきか」という「問い」を基にした思考の流れを生み出しながら、多面的・多角的に考えさせる。
道徳授業が、子どもたちにとって、意味があり意義があるものになるためには、道徳授業での学びが生きて働くものとなり得るかにかかっていると言える。教科化において、問われていることは、私たち教師自身である。
すべての指導内容は、分析すればするほど「何を」学ばせるかを教えてくれる。また、その分析は、「どのように」学ばせるかを示してくれる。冒頭にあるような子どもたちの意見を改善していくために、道徳授業を充実・改善していくのは、私たち現場の教師でしかない。
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