教育オピニオン
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「テストなし」でも生徒が主体的に学ぶ授業づくりの方法
―学びを「他人ごと」から「自分ごと」へ―
自由の森学園高等学校教頭菅間 正道
2019/12/1 掲載

「テストなし」でも生徒が主体的に学ぶ授業づくり
 「点数序列を排して、人間が人間らしく学び成長する営みを助ける」――これが自由の森学園の建学の理念である。不必要な管理主義や定期テストに別れを告げ、「自分の頭で考え、自分の足で立つ」人間を育てたいと私たちは希求している。
 定期テストをおこなわないということは「テストのための勉強」から「学ぶことそのものが楽しい」ことを実感してもらうことが大切になるのだが、では、「楽しい」「面白い」授業とはどのような契機で立ち上がるのか。ひとことで言えば、学ぶなかみが“自分ごと”になっているか、もしくは“自分ごと”なのではないかと思えるかどうかがカギとなる。「自分に関係ない」と思われてしまえば、すべてが“他人(ひと)ごと”となる。よって、子ども・生徒たちが「これは“自分ごと”だから学びたい、知りたい」という「〜したい」という学習動機が駆動していくようなリアリティのある教材と発問の発掘と探求が必須となる。社会科教育研究者の安井俊夫はかつて教材選択をめぐって「(1)その世界に入りやすく(2)しかし、切実ななかみをもっている」とした。これは時や教科を超えて今なお通じる箴言である。

学びを「他人ごと」から「自分ごと」にする社会科授業
 とはいえ、社会科は、しばしば「暗記科目の代表選手」などと言われ、それは憲法学習とて例外ではない。知的に楽しく学び、主権者/市民としての見方、ちからをつける場づくりのための模索と挑戦が切実に求められている。そもそも、子どもはもとより、大人も、憲法など「自分と関係ない」という認識は少なくない。一体、どうすれば憲法が「自分ごと」になるのだろうか。
 以下、本稿では、この問い――憲法をいかに「他人ごと」から「自分ごと」に近づけるのか――を意識した憲法学習実践を2つ具体的に取り上げてみたい。

 憲法を「自分ごと」に近づけるためには、「自分の人権が侵害される」こと、即ち「憲法の条文が切実性をもつ」現実に直面する必要がある。リアルで具体的な事例抜きに、教師が一方的に憲法を「条文暗記」や「お説教」で伝えても、子ども達には遠い。「憲法学習」が「嫌法学習」と揶揄される所以である。もっとも、現実に「人権侵害」をされるなどトンデモナイことである。そこで、憲法学習の中で教材や問いを媒介に、「疑似体験・思考実験」を試みる。
 機会があって、私は小学校高学年から中高校生くらいの年代に向けて、教材や発問を含め、普段の授業をそのまま絵本にする、というコンセプトで憲法の入門書(『はじめて学ぶ憲法教室 1巻〜4巻 新日本出版社』)を書いた。第1巻のタイトルは「憲法は誰に向けて書かれているの」。中学校3年生が殺人犯に仕立て上げられる「綾瀬母子殺害事件」と呼ばれる酷い少年えん罪事件から入り、それを踏まえ「身体/人身の自由」と言われる、刑事事件で疑われた人の細かな人権保障規定(憲法31条〜40条)を知る。お前が“殺人犯だ!”と言われ、自分のアリバイ(不在証明)を問われ、それが容易に立証できないことを知り、自白を強要される凄まじい尋問の様子を読む。その「圧倒的現実」に身を乗り出し、ぬれぎぬを着せられる事実を丁寧におさえながら、憲法がその事実といかなる関係にあるのかを学ぶのである。「他人ごと」で「まったく自分に関係なかった」憲法が一気に身近なものとなる。
 この「身体/人身の自由」は、平たく言えば「勝手に捕まえるな/勝手に殺すな」ということであり、それこそが憲法=公権力制限規範/人権保障規定の原点である。さらに公民の教科書にこう書いた。「憲法とは何だろうか。そのことをわかりやすく示している条文が第99条である。(中略)このように憲法とは『権力者を縛るもの』であり、『政府に対する命令書』なのである。『拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる(第36条)』とあるのは、国家・権力者に対して書かれている文言である。憲法は、国民を縛るものではなく、国家・権力者を縛り、その暴走に歯止めをかけるものなのである。冤罪とは、国家権力の暴走の結果おこった一例といえる」と。(「冤罪と日本国憲法——憲法とは何か?」『中学・公民 日本の社会と世界』p.39、清水書院)。

 ブラックバイト問題を扱った実践ではこう問いかける。「あなたが次のようなコンビニでアルバイトをすることになったら、どうするか?」と。

@週末、朝9時から夕方5時までのバイトだが、給料は15分単位の計算で、8時46分に出勤記録をつけてくれと言われる。
Aレジの違算金を自腹で負担する。
B休憩時間も、場合によってはレジのヘルプに入る。

という状況。
 これに対して、「辞める」「声をあげる」「耐える」「問題を感じない」などの選択肢を入り口に、労基法の違法性をくぐって憲法27条、28条の学習にせり上げていく(詳しくは、拙稿「もし、あなたのバイト先が『ブラックバイト』だったら」『答えは本の中に隠れている』岩波ジュニア新書)。ちなみにこの話は生徒の実話である。

 いずれの教材においても、問題状況はできる限りリアルに描くことが不可欠である。絶対に「子ども騙し」はしない。どういう経過や状況の中で個の人権侵害が起きているのか、その文脈や細部をできる限り丁寧に描くことが肝要だ。
 それは“自分が足を踏まれて痛い”ことを疑似体験することであるし、“自分は足を踏まれていない。しかし、隣人が足を踏まれている”ことへの想像力や切実性、または共感を大切にすることと言える。それらを抜きに行われる憲法学習は空疎である。

 憲法は決して子どもたちの生活と無関係ではない。日々報じられる、ブラックバイト/ブラック企業問題、貧困、学費問題など、いずれも子どもたちの「幸福追求権」と密接に関係している。憲法を「他人ごと」から「自分ごと」へ近づけるために、「知憲」「学憲」を——言うまでもなく、私たち大人社会の課題でもある。

菅間 正道すがま まさみち

1967年生まれ。自由の森学園高校教頭。著書に『はじめて学ぶ憲法教室 1巻〜4巻』(新日本出版社、2015年)、共著に『新しい高校教育をつくる』(新日本出版社、2014年)『投票せよ、されど政治活動はするな!?』(社会批評社、2016年)、『答えは本の中に隠れている』(岩波ジュニア新書、2019年)他。

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