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なぜ「笑い」を子どもたちに教えているのか
私は現在、お笑いコンビ「オシエルズ」として活動する傍ら、週に一度、大学の非常勤講師として働いています。
また、コンビとしては、年に100件以上の学校でのご依頼をお受けし、出前授業をさせていただいています。
授業では、主にいじめや人権・差別といった内容を漫才形式で学ぶ「人権漫才」、キャリア教育の一環でコミュニケーションを学ぶ「進路漫才」の2つを扱っています。私自身、現在のキャリアに至るまでは、高校で3年間、社会科教員としての教務経験があり、相方の野村真之介も同じく3年間、私立中学・高校の英語科教員として働いていました。
なぜお笑い芸人として教育現場に身を置いているのか?
その理由は、自身が子どもの頃に受けた「いじめ」でした。
私は小学生の頃、私は太っていたことが原因で軽いいじめを受けていました。学校に行けば「デブ」「ブタ」とあだ名で呼ばれ、コンプレックスをいじられ、笑われ傷つく日々。そのダメージを癒すように、家ではお笑い番組を見まくっていました。
家にいて、笑いで元気をもらった時は「学校へ行こう」と何とか奮い立ち、学校に行って、笑いで傷ついた時は「もう学校に行きたくない」と思う…そんな毎日を過ごしていました。
笑いには「コンプレックスを武器に変える」力があります。太っていても、ブサイクでも、すべてを笑いに昇華できます。その力強さに憧れて、この頃から芸人になりたいと思っていましたし、一方で、攻撃的な笑いや、コミュニケーション上で望ましくない笑いによって人が傷つく問題を解決したいとも思っていました。
笑いで傷ついた経験と、救われた経験が同時期だったことは、確実に、現在のオシエルズの活動に繋がっています。
「笑い」の誤解といじめ −教師としての立場を考える
お笑い芸人やYouTuberが大好きで、彼らのようになりたいと思う子どもは多いと思います。
しかし、バラエティ番組やYouTube動画で起きていることが「笑いのすべて」だと誤解してしまうケースも少なくありません。誰かを一方的にいじる悪ノリに発展したり、「自分たちが面白かったら周りに迷惑かけても関係ない」と開き直ったりして、それがいじめや差別などの問題に発展していきます。
本来、笑いは人のために使うものであり、自己中心的に使うものではありません。
自己中心的で周りに迷惑をかけるような笑いは「ふざけ」です。また、人を「いじる」ことも、相手との信頼関係の中で行われることであり、いじられても不快でない、または冗談として受け入れてくれることが前提です。それらがなく、相手に不快な思いだけをさせているなら、それは「いじめ」なのです。
どこまでも笑いは相手本位に考えることが重要です。実は、そういった笑いの適切な扱い方を教員が理解していないことが多く、子どもを馬鹿にしたり、失敗をいじったりする姿を平気で見せる人もいます。大人がこの調子ですから、子どももマネをします。これが「潜在的カリキュラム」の恐ろしいところです。
また、そのようなやりとりが当たり前に溶け込んでいる学年やクラスで講演させていただくと、他校では笑い声がたくさん起きる講演の内容でも、子どもが反応してくれないことがほとんどです。
自己肯定感が低いのか、学校からの抑圧が激しいのか、または、ギスギスした雰囲気が笑いづらくさせるのか。理由は様々あると思いますが、私はそれらすべての淵源は「笑いの扱い方」の問題にあると思っています。
学校で「笑い」の何を教えるのか
今こそ、学校で「ラフ・リテラシー」の教育を徹底させるべきです。また、万が一、笑いで人を傷つけてしまったら、傷つけた側がすぐに謝るなどの「お笑いガイドライン」も、子どもたちに話し合いをさせて決めてもらうことも大切です。
みんなが大好きな笑いだからこそ、子どもは自発的に「何をされたらイヤか」「何を言われたら嬉しいか」を話してくれるはずです。
また、笑いには答えがありません。100%ウケるギャグもなければ、100%人が傷つかない表現もありません。多様な価値観を理解し、それをどのように配慮して表現するしかないのです。ですから、笑いに失敗はつきものです。たとえ相手を不快にさせてしまったり、滑ってしまったりして失敗しても、必要以上に自分を罰しないことも重要です。
笑いは観客がいてこそ成り立つ芸術です。であるならば、笑い表現に長けた子だけに注目が集まりすぎないようにすることも重要です。よく笑ってくれる子、相手の話をよく聴いてくれる子にもスポットライトを当てる必要があります。
ともすると、笑いは表現者優位に考えがちですが、「聴いてくれる(見てくれる)人がいるから表現できる」という感謝の気持ちと、謙虚な姿勢を持つべきです。そういった関係性を理解させ、コミュニケーションも同様に、話す人と聴く人の歩み寄りが大切だと気づかせたいと思います。