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1 授業の「余白」とは?
「あなたの個性で完成する。」
これはある新しい自動車の販売促進キャッチコピーです。従来の、”作り手が100%整えて、使い方などを想定し、購入者はその通りのイメージをもち、使う”ではない、新しい印象を与えるコピーだと思いました。購入者に”余白”をつくったのだと感じています。
これは、そのまま学校の授業に当てはめることができないでしょうか。
教員が授業を100%つくりこんで、子どもたちは教員のつくった流れに沿って学習を進めていく。そういう授業ではなく、子どもたちが自分の意思で選べ、自分で決められる授業。子どもが決める余地のある状態。それが授業の”余白”だと考えています。

2 「余白」の効果
2019年秋、前任校で6年生と学校の敷地内にあった森を再生させるプロジェクト型の授業を実施しました。
何十年も手付かずだった学校の中にある誰も入ることのなかった場所を、自分たちの力で森を開き、土壌を改善し、遊びを通じて必要だと考えたものを手づくりしていきました。

さくらの森再生プロジェクト(山内佑輔 noteより)
この授業では、授業時間そのものが子どもたちのものとなり、僕が何を言わずとも自分で選択し、決断し、主体的に取り組み続ける子どもたちの姿がありました。
子どもたちはチャイムが鳴る前に集まっては、それぞれ道具・材料を準備し始め、声を掛け合い制作をつづけ、問題が起きれば話し合い、授業の終わりが近づくと片付けて、教室へ戻って行きました。この姿には本当に驚きました。「自分たちの森をつくる」というモチベーションの高い特別な環境設定ではありますが、僕が教える場面はほとんどなかったのです。

この6年生とは、3年間、図画工作の授業を通じてコミュニケーションをとってきました。余白のある授業をし続けてきました。最初は「何をつくればいいですか?」と尋ねてきたような子も、最後には自分たちの力で森を切り開けるくらい、自分たちで考え、試し、つくることができるようにうなりました。
今の子どもたちの「知」や「もの」との出会いの場面を見ていると、学校内外その多くがパッケージ化されてしまっているように思うのです。
安全安心、効果的。大人によってそのゴールまでが計算しつくされた枠の中で、子どもたちは取り組まされているのではないでしょうか。大人はその「知」や「もの」を子どもよりも知っている存在となり、子どもたちに「教えよう」としてしまう。効率よく、安心安全に、「知」や「もの」を教えようとする大人、そんな学びのパッケージ商品を提供される子ども。この構図は少なくありません。
おそらく昔は、わざわざ余白を設計せずとも、日常に余白が溢れていたのでしょう。今の子どもたちは放課後も習い事ばかりでとても忙しそうです。自由な時間を謳歌することなく、余白のないパッケージ化されたコンテンツを提供されることに追われているようにさえ思います。だからこそ、あえて積極的に「余白」をつくらなければいけないのだと思っています。
3 授業での「余白」のつくり方
「子どもたちが自分で発見できると想定されるものは説明しない。自分で発見してもらう。」これは図画工作科の導入における大切な考え方です。
大切なのは、材料との出合わせ方、手渡し方だと考えています。問いで始まるケース、依頼で始めるケース、ストーリーで引き込むケース、その導入は子どもたちの状況・様子に応じて設定します。「やってみたい!」子どもたちがそう思ってさえくれれば、その後は自分たちでひらめいて、どんどん試して、授業が広がります。

子どもたちがつくり上げるものに対して僕は「こうなったらいい」「こうしてほしい」という願いや期待をもたないようにしています。ぐちゃぐちゃだっていいんです。子どもたちが決めるのです。こんな活動になるかなと想像はします。ただ余白を設計するからには、想定外のこともどんどん起こります。想定外のことが起きることを知っているのですから、その時は子どもと一緒になって考えていけばいいのです。答えがないのですから、失敗もありません。そこから新しい問いが生まれ、学びとなっていくからです。僕は子どもたちが自分の想像を超えてくる瞬間が何より大好きです。

図画工作科は余白をつくりやすい教科だと思っています。図画工作科は、絵や工作がうまくなるためでも、見本どおりにつくれる力をつけるものでもなく、子どもの力を信じて、子どもの力を引き出す教科です。
図画工作科の授業デザインは、教科を超えて、あらゆる学びのヒントになり、核になると信じています。多くの授業が、”大人が知識や技能を伝達する場”ではなく、”子どもたちが自分ごととして取り組み、共創をすることを通じて、自ら学びを生み出す場”としてあって欲しい。そのためにこれからも、様々な領域を超えた新しい学びを子どもたちと一緒につくっていきたいと思っています。
