- 道徳授業づくり実践講座
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道徳の教材には、いわゆる定番教材と呼ばれているものが存在します。小学校低学年であれば「はしのうえのおおかみ」や「かぼちゃのつる」、中学年であれば「お母さんの請求書」「雨のバス停留所で」、高学年では「ロレンゾの友だち」などがあげられます。今回は中学校で定番教材となっている「二通の手紙」を取り上げてみましょう。
二通の手紙―あらすじ―
動物園の入園係をしていた元さん。勤勉な働きぶりも評価され、定年後も動物園で臨時職員として働くことになっていた。ある日、入園終了時刻が過ぎてから幼い姉弟がやってきた。入園時刻を過ぎていること、さらに規則では保護者と同伴でないと入園できないことになっているが、元さんは事情を察して二人を入園させてしまう。ところが、閉園時刻を過ぎても姉弟は戻ってこない。園内の職員総出で二人の捜索が始まった。二人は遊んでいるところを無事に発見され、事なきを得た。数日後、姉弟の母親から謝罪と非常に感謝している旨の手紙が届く。一方、上司からは今回の件を受けて懲戒処分(停職)の文書を受け取る。元さんは「この年になって初めて考えさせられることばかりです。この二通の手紙のおかげですよ。また、新たな出発ができそうです。本当にお世話になりました」と語り、退職した。
「遵法精神、公徳心」で取り上げられる教材
先程も述べたように、二通の手紙は中学校での定番教材ですので、この教材に対する学習指導案も少し検索をすれば多数出てきます。たとえば2015年の雑誌『道徳教育』7月号でもこの資料は取り上げられており、そこでは「元さんは、二通の手紙を並べて、何を考えたのだろうか」という中心発問が提示されています。また私が先日伺った中学校では、「『この年になって初めて考えさせられること』とは何か?」という中心発問が提示されました。このような授業展開は王道ですので、私も異を唱える気はまったくありませんが、今回は少し違った視点から問いを考えてみましょう。
というのも、私が見た授業では生徒の反応に次のようなものがあったからです。
「いいことをすると気持ちがいいので、規則を破ったとしてもそれはそれでいいんじゃないだろうか」
「最後に『晴れ晴れとした顔で身の回りを片付け始めた』ってあるし、規則を守らなくて退職になっても後悔していないのでいいと思う」
さて、このような反応が返ってきたら、みなさんはどう反応するでしょうか?
この教材は、一般的には「遵法精神」という内容項目を学ぶために準備された教材ですので、規則がなぜあるのか、規則によって何が守られているのかということについて学んでほしいのであれば、このように生徒に反応されてしまうと教師は正直なところ困ってしまうのではないでしょうか。
でも、私たちは生徒を責めることはできません。なぜならば、このような思考を生み出すように「仕組んで」しまったのは、私たち大人だからです。「よいことをすると気持ちがいい」(『わたしたちの道徳』小学校1・2年、32頁)とは道徳でもよく言われていた(言われている?)フレーズですが、先の生徒の発言はこのフレーズに見事に合致しています。
「よいことをすると気持ちがいい」という趣旨の発言は、「結果的に気持ちよく終われるのであれば、それはいいことである」という思考スタイルを生み出したのかもしれません。気持ちがいいという心情のみが判断の基準になってしまっていて、それに至ったプロセスが無視され、結果的に思考停止してしまっているんですよね。
となると、ここから抜け出していくための授業を考えていく必要があります。今回は二つのパターンを提示します。教材の範読から、先に取り上げた中心発問(「元さんは、二通の手紙を並べて、何を考えたのだろうか」など)をするまでの流れは同じです。
パターン1:他の教材との関連を考えてみる
法や規則を破ることが描かれた教材は、実はたくさんあります。そしてその多くは、「破ってはいけない」という遵法精神のメッセージを伝えるものになっています。ところが規則を破るという決断が、「英断」とされる教材もあります。その最たる例が「六千人の命のビザ」で有名な杉原千畝でしょう。
彼はユダヤ人を虐殺から守るために、日本政府の許可無くビザを発給しました。彼は帰国した後に、外務省から辞職勧告の処分を下されてしまいます。「二通の手紙」と同様、「規則を破ったことによって職を失う」という大きな流れは同じですが、「二通の手紙」は「遵法精神」を主題とし、杉原千畝の物語は「公正な社会を求めて」という主題としている点が大きく異なっています。
この両者の違いは一体何でしょうか?
これこそが生徒に考えさせたいポイントになります。杉原千畝の話を生徒が知っていることが前提となりますが、次のような問いが考えられます。
問い「杉原千畝さんと元さんはともに『規則を破る』という行いをしましたが、杉浦千畝さんは英雄として描かれています。この二人の違いはどこにあるのでしょうか?」
これを考えていく際に、一つの指標になるのが「権利や生命」でしょう。杉原千畝さんはユダヤ人の権利や生命を守るために規則違反をしましたが、元さんの場合は、入園させてしまったことで逆に姉弟の生命を危険にさらしてしまったことが考えられます。法や規則がなぜできあがってきたのかという理由について、人間の権利と生命といったより広い視点から考える契機を与えてくれます。
パターン2:手紙を書いてみる
この教材のタイトルは「二通の手紙」になっています。一つが母親からの手紙、もう一通が上司からの懲戒処分の文書を指しています。でも、厳密には行政文書と手紙は異なるものです。そこで、本当に「二通の手紙」になるには、どんな話になるのかなと考えてみたところ、次のような問いができあがりました。
問い「上司がこの文書に元さん宛の手紙を添えるとしたらどんな手紙になるのでしょう」
停職処分は事実として存在します。ただ、元さんの行為が姉弟のおかれた状況を汲んでの行為ということも上司は知っています。上司が感じたであろう葛藤を手紙として表現させることで、規則を守るということと他者を思いやるということを生徒は考えることができるのではないでしょうか。ちなみに、群馬大学の山崎雄介さんも「動物園の上司になったつもりで、元さんへの処分を考えなさい」という展開を考えています。規則と思いやりの双方を改めて考える契機になるのではないでしょうか。
教材がもつ課題
中学生用に準備された教材は、比較的長文のものが多いです。今回取り上げた「二通の手紙」も範読するだけで10分程度はかかってしまいます。わずか50分しかない授業時間の中で、読むだけで1/5も費やしてしまうのはあまりにもったいないですよね。比較的長い読み物教材の場合は、宿題として読んできてもらうか、あるいは朝のHRの時間等を使って読むなどして、道徳の授業時間は生徒が考える時間をできるだけ確保したいものです。
あと、やや斜めからみた教材解釈かもしれませんが、遵法精神がテーマの教材として元さんの行為を改めて考えると、腑に落ちないところもあります。法や規則に厳密に従うのであれば、元さんが取るべき行為は、停職処分を受け入れるか異議申し立てをするかということになります(これについても山崎さんが指摘しています)。実際になされた処分以上の罪を背負って退職するという結末の描かれ方(注)は、「何かしらの悪いことをやってしまったならば、辞めるしかない」という隠れたメッセージを子どもたちに伝えてしまわないでしょうか。(責任を背負って自死に至るという悲しいニュースも、私にはこの延長線上にあると思えてなりません。)
注)原作では「懲戒解雇」だったため、辞めても筋は通っていました。
【参考文献】
山崎雄介(2015)「道徳の『特別教科』化と教育実践の展望」日本教育方法学会編『教育のグローバル化と道徳の「特別の教科」化』図書文化社