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教育委員会制度を定める地方教育行政法の改正法案が、5月20日に衆議院を通過しました。今国会中に改正法が成立することは間違いないでしょう。改正法が成立すると、58年ぶりの教育委員会制度の改革となります。そこで、以下に戦後の教育委員会制度の経緯をレビューしつつ、改革のポイントについて見てみましょう。
1 教育委員会制度の経緯
第2次大戦後、地方教育行政制度は、アメリカをモデルとした教育委員会制度で始まりました。すなわち、1948年に制定された「教育委員会法」は、教育委員会を首長から独立した行政機関と位置付け、教育委員の選任を公選制とし、教育委員会に予算と条例の提案権を付与したのです。
しかし、いざスタートしてみると、教育委員選挙の投票率が極度に低かったり、委員の構成が特定政党に偏ったり、教育委員会の予算提案権が首長の予算編成方針と対立したりして、制度がうまく機能しませんでした。
このため、1956年に教育委員会法が全面改正され、地方教育行政法(地方教育行政の組織及び運営に関する法律) が制定されました。地方教育行政法は、委員の公選制をやめ、首長が議会の同意を得て任命する方式に改め、予算編成権も首長の下に一元化しました。
その後、教育委員会制度は、おおむね順調に運営されてきましたが、小泉内閣(2001年〜2006年)が主導した構造改革の流れの中で、地方分権の観点から、教育委員会制度の見直しが課題となりました。特に知事会や市長会等から、教育委員会制度について、意思決定の迅速性に欠ける、責任の所在が明確でない等の批判が出されました。
2 教育委員会改革の提言
そうした批判がピークに達したのが、2011年の大津市中学生いじめ自殺事件と12年の大阪市高校生体罰自殺事件です。事件処理の過程で、教育委員会の無責任体制や隠蔽体質等が露呈し、世間の教育委員会への信頼が失墜したのです。
そうした中で、2012年末に発足した教育再生実行会議は、第2次提言(2013年4月)で、教育行政の責任を明確化するよう教育委員会と教育長の在り方について見直しを提言しました。これを受けて、中央教育審議会で審議した結果、中教審は、教育長を首長の補助機関とし、教育委員会を首長の付属機関とする案(つまり、教育行政の最終決定権を首長に移す案)を答申(同年12月)しました。
ところが、中教審答申に対し、自民党内部や公明党から、教育行政権を首長に移すと教育の政治的中立性、安定性、継続性を危うくするという反対が出て、与党内で協議した結果、教育委員会を従来どおり執行機関として残す改革案をまとめました。この改革案に基づいて、改正法案が作成され、今国会に提出されたわけです。
3 教育委員会改革のポイント
主な改革は、次のとおりです。
まず、教育長の役割の明確化です。今回の改革では、教育委員会の責任体制を明確にするため、従来の教育委員長と教育長を一体化して教育長(常勤)を代表者とし、教育長の任命は、議会の同意を得て、首長が任命することとしています。
次に、総合教育会議の設置です。総合教育会議は、首長と教育委員会により構成され、同会議においては、@大綱の策定、A教育条件の整備その他の重点施策の調整、B児童生徒の生命・身体に被害が生ずる緊急時の措置の調整―について協議を行うことになります。
改正法では、教育委員会と首長の権限については、首長に大綱策定権を付与する以外は、変更していません。で、総合教育会議における協議・調整の対象は、基本的にそれぞれの権限の範囲内で行われます。例えば、個別の教職員人事や教科書採択は、原則として総合教育会議の協議の対象とはなりません。
また、かねて首長から要請されている全国学力調査の公表、英語教育の強化、中学校給食の実施等について、総合教育会議において意見交換はあり得ますが、首長の権限に属する事項(予算や条例)以外は、協議・調整の対象とはなりません。
首長が大綱で、具体的に何を決めるか、また、どの程度細かく決めるかによって、学校教育への影響の度合いは異なりましょうが、予算・条例など首長の権限にかかわる事項は別として、教育委員会の権限に属する事項については、従来どおり、教育委員会の責任において執行することになります。
首長と教育委員会が教育の充実のために協力することは望ましいことです。しかし、首長が法令上の権限を超えて、教育行政に過剰に介入することがあってはなりません。その意味で、今後、総合教育会議の適切な運営が課題となりましょう。