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- 教育オピニオン
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1 できるだけ早く「授業」を行う
4月の初日。私はその日に授業をしてしまいます。学校によっては、教科書を配布したり、入学式の準備をしたりとなかなか時間が取れないかもしれません。それでも、国語の教科書の扉の詩を使ったり、数字を使った簡単な頭の体操をしたりとたった20分でも授業をします。そして、「学校とは勉強するところなのだ」と確認させます。この「学校での勉強」とは何か。それをまず子どもたちに問います。すると、教科の学習だけでなく、給食や掃除、遊び時間の友達とのかかわりさえも「学校での勉強」だということに気付かせます。その上で、「今日からしっかりみんなで『勉強』しようね」と意識付けをします。
さて、この「授業」ですが、授業の中に担任としての1年間のメッセージを込めます。
例えば、初日にこんな授業を行います。
草野心平「春のうた」という詩です。
冬眠から目覚めたカエルが主人公です。
【発問】
詩の最初の言葉を言った時、カエルはどこにいるのか。
カエルはこの詩の中で一か所にとどまっているのか、移動しているのか。
これには明確な答えが本文にあります。ぜひ、先生方で証拠探しをしてみて下さい。
さらに、この詩の後半です。
「くも」が出てきます。そしてカエルに向かって「くも」がうごいてきます。
この「くも」について検討します。
【発問】
この「くも」は「雲」?「蜘蛛」?
子どもたちに問いかけます。子どもたちは盛んに話し合うことでしょう。
その話し合いを通して、次のようなことも指導していきます。
●ノートに立場を必ず書くこと
●どちらだと思うか、きちんと意思表示として挙手すること
●挙手の仕方
●発言の仕方と発言者に対する意見の聞き方
そして、担任教師からの授業を通した学習に対するメッセージを加えます。例えば、この発問に対する明確な答えはありません。「一人一人が本文中から言葉を見つけて、自分なりの解釈を答えることが大切なんだ」「みんなが意見をもって、きちんと話を伝えることが大事なんだ」といったメッセージです。
さらに、「今日から新学期。みんなはもう冬眠から覚めているよね。明日からもうれしい勉強をしようね」と学習のねらいとは違う、大きな教育としてのねらいを語ってあげましょう。
その後のいろいろな授業場面で「授業は自分たちで行うものだ」「授業前と後では自分の“何か”が変わるんだ」といった担任のメッセージを授業で語ります。「勉強してよかったな」という印象を授業で4月に植え付けていきましょう。
中堅・ベテランの先生なら、4月はとっておきの持ちネタを使ったベストセレクションになります。若手の先生なら、幸いこの時期に書店が教育書フェアをやっていますので、書籍から得たおもしろいなと思った授業をどんどん追試してみるといいでしょう。
とかく4月は学級のルール作りや当番・係活動といった形から入りがちですが、授業を通して学習のきまりや心構えを作ることが大切です。
2 日常生活の「そろえる」ことを自覚・随意
4月は、「そろえる」ことを通して、学校内の約束や決まり、道徳的なしつけを指導します。普段の生活の中における道徳教育にかかわる局面指導です。子どもたちの心は見えません。しかし心のあり方は行為・行動を通して視覚化されます。
例えば、昇降口の靴がそろえてあるのか。自分のロッカーのランドセルはどのように入っているのか。教室移動や帰りのあいさつ後にイスがきちんと整えられているのか、などです。まずはみんながそろえるところから指導してみましょう。心は見えませんが、行為は見えます。行為・行動を正すことを通して、心の部分も指導していきます。
実際に、昇降口の靴やロッカーをそろえさせてみましょう。するとなんだか清々しくて、とても気持ちがよく感じるはずです。
さて、なぜ「そろえる」ことがいいのかというと、目で見て分かるからです。誰ができていて、誰ができていないかが分かりますし、すぐに正せます。そして責任の所在がはっきりしているからです。使ったのは自分以外ありえません。子ども一人一人の役割が明確なのです。
また、ただ指示を出すのではなく、
「昇降口は、学校の顔になるんですよ。お客さんが来た時の学校に対する印象が違います」
「ロッカーに入れるときには、今日一日勉強頑張るぞ、という心構えをそこで作るのです」
と、一つ一つの指導に意味付けを行っておきましょう。
まずは昇降口の靴でもロッカーでもイスでも、何か1か所にしぼって取り組んでみましょう。一つがそろうようになると、他のことに転嫁して、そろうようになっていきます。早ければ1週間で変わります。その変わっていく姿をどんどんほめて認めてあげましょう。
さて、「自覚」という言葉があります。「自分でも分かること」(新明解国語辞典、三省堂)です。普段の生活の中で、「そろえる」ことが大事だと書きました。最初は、子どもが「今日はちゃんと靴をそろえておこう」という意識化する段階です。教師が「今日は半分の人ができていたね」「あと3人だなぁ」などと声掛けしながら自覚を促していきます。
でもいつまでたっても「自覚」ばかりしていては困ります。次の段階「随意(ずいい)」へ導いてやりましょう。「随意」とは「自分のしたいことを勝手にする様子」(新明解)です。意識せずとも勝手に体が動く段階です。靴をわざわざそろえようとしなくても勝手に自然と体が動いて靴をそろえてしまっている状態です。全員がなにか「そろう」状態になったら、次は教師の言葉かけを控え、子どもたちが随意の状態になっているかどうかを確認してみましょう。習慣化されていれば、教師の言葉かけなどなしに常に「そろっている」状態になるはずです。そろっていなければ、また自覚させていくことの繰り返しです。何事も一つのことを意識せずに行える段階の「随意」を目指しましょう。
「随意」の段階があることを知っておくと、できないことに対して「注意」「叱責」ではなく自覚させるために教えてあげればよいことに気付きます。