- はじめに
- 発刊に寄せて /安彦 忠彦(早稲田大学特任教授) /志水 宏吉(大阪大学大学院教授)
- T 学力調査と学力
- ―そもそも論から問い直す
- 1 学力調査は何を明らかにしたのか
- ―大阪の事例をもとに
- 調査の目的と方法が合致していない
- 平均点では子ども一人一人がつかめない
- 点数で学校の頑張り度は測れない
- 公表による風評被害は子どもの意欲と誇りを奪う
- 生活との相関性が強い学力
- 子育て家庭支援のワンストップ・サービスを
- 公立中学校教育が公教育の焦点
- 教育における「公」と「私」
- 2 貧困と学力
- ―連鎖はこういう実像として現れる
- 秋葉原事件が語ること
- 忍び寄る貧困化
- 貧困化が学びと育ちを危うくする
- 貧困化は子どもの将来展望を奪う
- 行き過ぎた競争至上主義は子どもを蝕む
- 価値を測る物差しは一つか?
- 挫折や困難を乗り越える力が不可欠
- 3 求められる学力
- ―二元論を超えて
- 揺れ過ぎた学力論
- 「習得」か「活用・探究」か
- 「学力」か「人間性」か
- 「社会人基礎力」とOECDの「キー・コンピテンシー」
- 学習の意欲と動機
- 学習を支える家庭の力
- 4 チームで動く・授業力を高める
- 学習の準備
- 授業の成立にはルールと信頼関係
- 教材研究をチームで深める
- データを活用して授業改善計画を
- 5 現場力を引き出す
- 個人プレーからチームプレーへ
- 元気な学校では目標が共有されている
- 組織運営の原則を確立しよう
- 人材育成の基本はOJT
- U 人権教育の学力を追って
- 1 人権教育は特別な教育か
- 「人権教育をし過ぎたから学力が低い」のか?
- 「大学進学する生徒には人権教育は関係ない」?
- 「特別視」させてきた歴史的経緯
- 目の前の子どもから出発するのが人権教育
- 2 人権教育の現場レポート
- [1] 目の当たりにした“学校崩壊”
- 学校現場は異体験ゾーン
- 授業不成立
- 不登校・非行・中退
- [2] 疲弊し切っていた教師
- プライドが切り裂かれる
- 「こんなことをするために教師になったんではないんや!」
- 愚痴やため息からは何も生まれない
- [3] 子どもを生活背景から理解する
- 劇画の世界の裏側
- 絶望の中の優しさ
- 悩みの深さ
- [4] 子どもが見えにくくなっている
- 逃避の中の苦悩
- つまずき
- ガラス細工の「自信」
- [5] いじめの構造
- なぜ、いじめるのか
- 障がい者をいじめた子どもたち
- 「奇怪な行為」の裏に潜むもの
- か細いSOS信号
- こころの痛みを共有する
- 3 人権教育は何を大切にしてきたか
- [1] 課題を抱えた子どもに向き合う
- 課題を抱えた子どもとは
- 障がいのある子ども
- 同和地区に住む子ども
- 在日韓国朝鮮人の子ども
- 中国帰国の子ども
- 養護施設から通っている子ども
- 一人親家庭や貧困家庭の子ども
- [2] 子どもがつながる・子どもをつなげる
- 「この仲間なら分かってもらえる」
- 障がい者との交流が生徒を変えた
- 居場所としてのサークル活動
- 誇れる学校づくり
- つながることが元気の源
- [3] 自立への道―厳しさと優しさ
- 「先生になんか俺の気持ち分かるかあ!」
- 「こんな生徒、どうしようもない」?
- 本物の「厳しさ」と教師の「本気」
- 偽物の「優しさ」
- 課題を抱えた生徒の自立
- [4] 問われる教師の生き方
- 子どもは教師の本気を見抜く
- 教師は自分を語れるか
- 教師は学校を誇れるか
- マニュアルとハート
- 4 守るべきことと変えるべきこと
- 「ぬくもり」と「温室育ち」
- 「非行は宝」と「非行は差別に負けた姿」
- 「人の痛みが分かる」と「自己中(ジコチュウ)」
- 「できる子」と「しんどい子」
- 「学校選択」と「地元校育成」
- V 学校と家庭と地域をつなぐ環
- 1 学校と家庭と地域の関係の実際
- [1] 「モンスター・ペアレント」という思想
- 「どんな指導をしているのだ!」
- 学校に対する信頼が崩れている
- 地域では子どもの姿がよく分かる
- 「先生はなぜ出てこないのだ!」
- [2] 「地域進出」という思想
- すべて見てもらおう
- 風評被害と闘う
- 口コミが学校評価を決めている
- 「早寝早起き朝ごはん」がなぜできない?
- 子育て失敗談から保護者がつながる
- [3] 学校と地域は対等のパートナー
- 学校はどこまで担うのか
- お互いに事情を分かり合って協働する
- 2 人権教育にとって地域とは何か
- [1] 地域主権としての教育コミュニティーづくり
- 学校選択制は学校と地域のつながりを壊す
- 子どもを軸に協働の関係を築く
- 相互理解がつながりを強める
- [2] 人権教育と地域
- 地域とは何か
- 同和教育における地域と学校
- 地域を通して時代に向き合う
- 人権が尊重される共生社会を目指して
- あとがき
- 参考文献
はじめに
政権が替わって、全国学力・学習状況調査(以下「学力調査」という)が悉皆から抽出に変わりました。当初から、調査の目的は何か、指導方法の改善のためなのか、子ども一人一人の学力向上のためなのか、そもそも目指す学力は何か、といったことが曖昧でした。
結局、文部科学省は都道府県別の平均点を公表し、マスコミはそれに順位をつけて報道し、その結果、国民の主たる関心は順位にのみ集中し、市町村別や学校別の公表の是非ばかりがマスコミ上で議論されたのが実態です。残念ながら子どもの学力についても、学力向上の方策についても、根本的な議論はなされませんでした。
それにしても、この三年ほどの間の現場の混乱は何だったのでしょう。文字通り、政治に振り回された教育の実像です。とりわけ結果の公表を巡る騒動は目に余るものがありました。大阪では、結果の低迷をもとに、「クソ教育委員会」「それでもあんたらはプロか」となじられたわけですから、当事者の市町村教育委員会や学校現場の悔しさ、腹立たしさは筆舌に尽くしがたいものがありました。
しかし、学力調査の対象が学力の一部だとしても、その結果は重くのしかかります。その現実を冷厳に受け止めながら、学力低位の原因と背景を探り、学力向上の方策を考える。大変辛い作業でもありますが、真摯に向き合わなければなりません。
はっきりしていることは、開き直りでも全否定であってもいけないということです。何より、現実の目の前の子どもの姿から出発して、反省すべきは反省し、これまでのよき伝統は守りつつ、足らずを補う。誰かに言われたからでもなく、逆に誰かに言われたから反発するのでもなく、教育の原点は常に目の前の子どもなのです。
冷静になって学力調査結果を受け止めてみると、学力調査を通して見えてくることがあります。それは、現代社会が格差と貧困の深刻な社会であり、そのため子どもの育ちと学びが危うくなっているということです。
行き過ぎた市場原理と規制緩和によって、低所得と不安定就労の世帯が増え、世界的な不況のもとで、完全失業率も急増し、求人倍率も一倍を割り込みました。その結果、子どもの生活環境は一層厳しくなり、将来への展望も見い出し難くなってきているのです。
新政権になって、子ども手当や高校授業料の無償化などの生活支援対策が講じられようとしていることは、その理念や方向性においておおいに期待できるものです。
しかし、単に経済的な側面だけでは根本的な解決策にはなりません。どのようにすれば、厳しい生活環境の子どもが意欲を持って学び、「格差と貧困に立ち向かう力」を身につけることができるかについて、真剣に議論し、方策を打ち立てなければなりません。そのためには、子どもの人権の視点に立って、子どもと子どもを巡る状況を分析し、これまでの教育の長所と短所を踏まえて、今後の教育の在り方を問い直すことが必要です。
この書は、限られた実践と経験に基づいて考えをまとめたものに過ぎません。しかし、厳しい生活環境の子どもたちに、「格差と貧困に立ち向かう力」を育てる教育を進める上で、何かしらのヒントを提供できればと願って書きました。今、学校現場で、困難な社会状況にありながらも踏ん張って、子どもに向き合い、地域とつながりながら実践している教職員の皆さんにとって、また、これからの教育を担う若い教職員の皆さんにとって、そして教職を目指している学生の皆さんにとって、少しでも役に立つものであれば幸いです。
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- 明治図書