- はじめに
- Ⅰ 2017年の子どもたち教育バウチャー下の風景
- /白石 真澄
- 個性を競う学校
- 親子で学校を選ぶ
- 自分のペースで学べる
- 子どもと保護者と地域で学校を創り上げる素晴らしさ
- 子どもの個性と能力に応じた多様な教育
- 保護者と先生の信頼感
- 教育は未来の可能性につながる
- Ⅱ “ある教育被害”にあった子どもをもつ親への手紙
- /戸田 忠雄
- 学校教育はだれのためにある?
- ダメな教師が「教育被害」の加害者となる
- 福岡の父親の声「教師や学校を選ばせて下さい」
- お客に選ばれる教師、選ばれない教師
- みんな教師のお仲間!…「教育しがらみ共同体」
- 教育学者も太鼓もち
- 制度を変える
- 教師が頑張らざるを得ないシステムに!
- 危機の時どうする!
- 学習者による教員評価
- 教員評価の具体案
- 上司評価(校長による評価)の限界
- 上司評価と学習者評価を組み合わせる
- 学習者の評価で下からも情報が上にゆく
- 学習者の評価には匿名性の担保が不可欠
- 勤務評定と人事考課
- 教員勤務評定の活用
- 学習者による教員評価に対する反対論の例
- ナショナル・ミニマム
- 学習者主権と責任
- 〔コラム〕市民グループ「21世紀教育制度研究会」の実践
- 教育シンポジウム in UEDAを振り返る
- Ⅲ ヨソの国にできて日本にできない?理由
- ~イギリス・スウェーデン教育改革成功の秘訣~ /井筒 雅則
- 日本でも注目されているイギリスの教育改革
- イギリスの教育制度の概観
- イギリスの教育改革の流れ
- イギリスの学校現場~トールゲイト小学校の例~
- キャニング校長インタビューでわかったこと
- 教育行政当局者の話
- スウェーデンの教育制度の概要
- スウェーデンの教育改革の流れ
- ナッカ市の教育バウチャー制度
- 教育担当市長・ゲルドー氏へのインタビュー
- スウェーデンの学校現場
- オランダの教育制度の概観
- オランダの学校現場~ファースト・オープンエアスクールの例~
- オランダの学校制度に関する評価
- アメリカの教育バウチャー制度
- 教育バウチャー制度の効果
- 教育バウチャー制度は欧米では社会の仕組みとして定着!
- Ⅳ 保護者は子どものために何を望んでいるのか
- ~どうして、行きたい学校を自由に選ぶことができないのか─内閣府の保護者アンケートより~ /黒沢 敦彦
- 保護者は現在の学校教育に満足している?
- 保護者が望んでいる教員像とは?
- 教員は誰が評価すべきなのか?
- どうして通いたい学校が選べないのか?
- どうして保護者が希望するように教育が変わらないのか?
- 文科省「保護者調査」と内閣府「保護者アンケート」を比べて(補論)
- Ⅴ 子どもと親に優しい学校とは
- /福井 秀夫
- 問題山積の公立学校
- 教育改革の目的~真に児童生徒・保護者主権の確立を~
- まずは学習者による教員評価の確立を
- 必要な学校の情報公開
- 学校選択制の全国への普及徹底を
- 教育バウチャー制度の導入推進を
- いずれも的外れ─教育バウチャー制度批判
- 不適切な文科省義務教育改革案
- 教育における真の分権とは
- 教育改革試案
- Ⅵ 結局、教育バウチャーしかない!憲法からの要請
- /安念 潤司
- 入門編─教育バウチャーってなに?
- 分析編─憲法26条と教育バウチャー
- 教育の自由と義務教育
- 結局、教育バウチャーしかない
はじめに
「教育バウチャー」とは、「学校選択制を前提として、教育に使途を限定して換金することができる金券(バウチャー)を、児童生徒一人当たり一定額となるように、教育の消費者に対して政府が交付する仕組みのこと」である。転じて現在では、児童生徒数一人当たり一定額を学校に対して予算補助する仕組みの意味で使用される。
現在の学校教育予算は、公立私立を問わず、教員数、施設整備の水準など、必ずしも児童生徒数とは連動しない基準によって交付されている。また、公立学校については、完全に自由な学校選択制が未だ導入されていないため、いわば自治体を含む政府部門の割り当てによって、自治体によっては特定の学校への通学を強制されるのが通例となっている。保護者の中には公立学校を忌避する者も多く、特に都市部では私立学校の受験者が小中学校段階でも増大し、そのための塾通いも恒常的になりつつある。こうした状況の中で教育費がかさみ、経済力のある家庭がより多くの選択肢を行使できるようになるなど、教育機会の不平等が格差を助長しているのである。
現在の仕組みの下では、学校同士が競い合ってよりよい教育を、より快適かつ効果的に、児童生徒に対して臨機応変に提供していくという学校や教員のインセンティブは、きわめて働きにくい。児童生徒や保護者に、支持されてもされなくても、教員の処遇や学校予算に何の変化もないとき、どんな「聖人君子」であったとしても、教育に磨きをかけるための努力水準は、そうでないときに比べて確実に減退する。ましてや我々「凡人」においてはなおさらである。
すべての地域・階層の児童生徒に対して最低限必要な教育水準を確保するためには、現在のような機関補助や選択を許さない学校割り当ての仕組みが必要である、などという主張が見られるが、このような立場に対して、本書は懐疑的である。できるだけ自律的な仕組みの中で、教育機関が相互に創意工夫を行い、教員が一定の緊張感を持ったうえで、児童生徒に対して必要な知識を的確に伝達していくためには、教育バウチャーという、いわば緊張感を維持させるための「自動安定化装置」が有効である。また、低所得者や教育弱者に対しても、より手厚い対応を保証することも容易となる。実際、教育バウチャーの定着した国では、日本に見られるような幼少時からの受験競争や塾浸りは見られない。諸外国の経験は、教育バウチャーが同じ教育効果をより安い経費によって実現できることをも示している。
また、憲法26条の教育を受ける権利については、例えば義務教育の実を挙げるためには機関補助が唯一の手段となるわけではなく、いわゆるナショナルミニマムの達成のためであれば、教育の提供主体を政府に限る必要はない。また機関補助による方式を採る必然性もない。教育バウチャーによって、現実に国として最低限の水準の保証を行いつつ、その質をさらに学習者本位で向上させ、教育を受ける機会を平等に確保している先例は、既に世界に多く存在するからである。それらの先例と日本とを比べて、何か日本においてのみ教育バウチャーが機能しないという証拠や、その論証に成功した学術的分析は、著者らの知る限り存在しない。
これまで、「教育は市場原理にはなじまない特別なサービスである」といった通念が広く蔓延してきているが、このような考え方こそ、むしろ教育における児童生徒・保護者の利益をないがしろにしてきた根源的な要因といえる。消費者主権の軽視、学校ぐるみのいじめの助長・隠蔽、さらに、指導力がなく横柄で謙虚さのない教員の蔓延など、教育の現場に耐え難い混乱をもたらしてきた要因は、子どもに不毛な知識詰め込み競争を強いる一方で、教員に関する競争が欠落した制度であり、それを正当化する歪んだ根拠としての「教育特別論」であったと考える。
教育バウチャーとは、学習者主権を実現する試みでもあり、「学校」や「教員」が、何か批判を許さない「聖なるもの」として児童生徒・保護者を高みから教え導く存在であるといった考え方と決別し、最低限の習得水準を確保しつつも、それを児童生徒が楽しく効果的、かつ快適に学べるようにするための学校や教員側の自助努力を促していくための突破口にもなると考えられる。
教育研究の専門家を自称する多くの人々の「教育バウチャー論」については、本書でも分析したが、世界の事実に目をつぶりフェアに紹介をすることに消極的であり、特定の批判のための批判を行う類の学術的裏付けを欠く議論も多々見られる。
本書の特徴は次のとおりである。
第一は、「教育バウチャー」に関する日本で初めての包括的・体系的な分析を行ったことである。諸外国の文献を徹底的に検討し、英国、オランダ、スウェーデンについての現地調査結果を盛り込み、日本の教育現場の実態をも踏まえて、論点を過不足なく考察することに努めた。
第二は、ともすれば観念的で不毛な主張のぶつかり合いになりがちな教育バウチャー論議について、あくまでも事実とデータを踏まえた実証的な分析を展開したことである。諸外国で生じていない弊害が日本でのみ生じると主張する向きには事欠かないが、本書では具体的な論拠を提示するよう努めた。
第三は、国内外の多数の賛否の議論について、網羅的に当否の検証を行ったことである。一部の教育バウチャー否定論者のなかには、バウチャーに関する論議の内容を理解せず、公表文献等に見られる意見分布の多寡だけを問題にする向きもあるが、それは妥当でない。教育バウチャーに関する主張のうち、理論的実証的分析を備えたもの自体、きわめて少ないからである。本書では優れた分析について過不足なく紹介するとともに、失敗した分析についても一定の論評を加えており、教育バウチャーに対する歪みのない適切な視点を提示するよう配慮した。
第四は、政策として実現可能性の高い提言を行ったことである。教育バウチャーは一種の予算の組み替えによって、公立・私立、小中高校・大学などの区分を問わず、さまざまなレベルでの実験的導入が可能である。
これらの選択肢ごとの可能性についても極力提示することに努めた。
第五は、徹頭徹尾、児童生徒・保護者の利益を増進するという観点を重視したうえで、教育バウチャー導入によって、学校現場や社会に加え、何よりも教育の消費者にとっての学校の意味がどのように変わることとなるのか、について展望を行ったことである。児童生徒・保護者の利益の増進という観点自体、「教育研究専門家」による教育論の多くで著しく欠落してきた観点であるが、本書ではそのアンチテーゼを提示しえたと考えている。
本書に集結した著者はいずれも、教育に関して通念や権威を前提としない自由な枠組みでの思考を行うことに大きな価値を見出す者ばかりである。随所に示した置かれた立場等から自由で、かつ学習者としての児童生徒・保護者の利益を常に見据えたすべての記述は、学校関係者のみならず、「教育バウチャー導入後の社会」に関心のあるすべての方にお役に立てていただけるであろうことを確信している。
2007年4月
著者一同 /安念 潤司 /井筒 雅則 /黒沢 敦彦 /白石 真澄
/戸田 忠雄 /福井 秀夫(編者)
と言うことで、教師(特にベテラン教師)にとって、ますます高まる学校批判の嵐の中で生き抜くための、とっても痛ーい予防注射のような一冊。