- 『子どもの話す技術を鍛える』復刻版に寄せて
- まえがき
- 1章 話し言葉の現実を見つめよう
- 1 話し言葉に見られる問題点
- (1)伸びを見せた対話能力
- (2)子どもの対話能力の問題点
- @感覚的で論理性に乏しい A消費的で生産性に乏しい B形式的で内容に乏しい C主張に勝り自省に乏しい
- (3)本物の対話能力を高める指導
- @技術の前に、まず態度の指導を A話し合いのすばらしさの体感を B話し方の巧拙の意識づけを Cどんな時でも沈着さを
- 2 授業における発言の問題点
- (1)講師の目と自分の目
- (2)フィルターを通して見る
- (3)総合フィルターとしての「向上的変容」
- (4)子どもの発言のどこを見るか
- @正解志向に偏っていないか A誤答が大切にされているか B短くずばりと答えているか C問いに対して答えているか D相手の考えをえぐっているか E発言の独占者や放棄者はいないか F聞く耳が育てられているか
- (5)子どもの動きのどこを見るか
- @全員が授業に参加しているか A話し手を見つめているか B表情は生きているか C知的正義感が身についているか
- 2章 話し言葉の指導を再興しよう
- 1 今こそ話し言葉指導の再興を
- (1)電話の受け方の変化
- (2)女の子が、どうして……
- (3)道を尋ねられたら
- (4)話し言葉指導の再興を
- 2 指導の重点をここにおく
- (1)チョーク一本、口一つ
- (2)教師が使う話し言葉の基本
- @子どもに向ける言葉を自らの耳で聞け A聴衆反応に応じて話し方を変えよ B「愛語」ということ
- (3)子どもが教師に向けて使う話し言葉の基本
- @なによりも「自然さ」と「親しみ」を A礼を失してはならない B「問い」と「反論」を歓迎する
- (4)子ども同士の話し言葉の基本
- @教室のどの子にも聞こえる声で A一文、一文を区切って B反対を歓迎させる C発言の独占をさせない
- 3章 話し言葉のしつけをしよう
- 1 まず、気軽に発言させる
- (1)子どもはもともと話し好き
- (2)自由に話せる雰囲気づくり
- @良い答えを歓迎してはいけない A発言をしようとしたことをほめる B口数の多い子どもの発言を抑える C挙手だけに頼った指名をしない
- (3)多様な発言の形態に耳を傾ける
- @音声発言 A表情発言 Bノート発言 C朗読発言
- (4)発言の型を教える
- 2 感想を豊かに持たせる
- (1)指導によって感想を広げる
- @感じたことを自由に話させる A何人かで、見たり、聞いたりする B心に残った場面を指摘させる C音読の指導を大切にする
- (2)さし絵の活用を図る
- 3 話し合いの仕方をしつける
- (1)基本的な言葉のしつけから
- (2)話に集中させる工夫をする
- @余計なものはしまわせる A課題を与えて話を聞かせる B短い話し合いで区切りをつける C多様な反応が出るような問いを出す D落差のはっきりする問いを出す E学習形態を工夫する
- (3)一人ひとりの個性をつかむ
- @一人ひとりは十人十色 A勝手な振舞をする子の指導 B話しすぎる子の指導 C話したがらない子の指導
- (4)教師の話し方の反省
- @おおらかさ A基本と枝葉 B楽しく話す
- 4章 的確な話し方を教えよう
- 1 筋道立てて話させる
- (1)話し言葉の技術は自然には身につかない
- (2)ずばりと短く話させる
- (3)尋ねられていることにだけ答えさせる
- (4)指を折りながら話させる
- (5)結論を先に言わせる
- (6)聞き手の表情を読みながら話させる
- (7)欠点の指摘だけでなく打開の道を
- (8)やり直しをさせて納得させる
- (9)言語人格を形成する
- 2 上手な「報告」をさせる
- (1)「報告」のいろいろ
- (2)「報告」の指導のポイント
- @自分から報告する―主体性 A結果の報告をする―完結性 B直ちに報告する―即時性 C必要なことを報告する―簡潔性 D報告に詫びを添える―陳謝
- 3 集会で話をさせる
- (1)高学年の話し方の技能
- (2)児童集会の事前指導
- (3)原稿のできばえ
- (4)発表の実際とその問題点
- 5章 話し言葉のマナーを教えよう
- 1 聞き方の態度と技術を教える
- (1)結びつきを左右する「聞く・話す」
- (2)話し手のために聞く
- (3)聞き方の心構えと態度の指導
- @肯定、受容、共感 A見つめ、頷き、微笑 Bいたわり、励まし
- (4)聞き方の技術を鍛える
- @心を集中して聞く Aひとまず受容―批判には時間を B不明な点は問うて確かめる C意図を探る D人と事柄とを区別する E批判的に聞く
- 2 言葉のエチケットを教える
- (1)「全校集会」の実情
- (2)「エチケット教室」の試み
- (3)「失礼します」
- (4)「会釈の仕方」
- (5)「叱られ方のエチケット」
- 6章 聞き手への配慮をさせよう
- 1 聞き手への配慮ということ
- (1)気になる「マイペース」
- (2)「普通の声」で話してはいけない
- 2 聞き手への配慮を指導する
- (1)声の小さい子の指導
- (2)黙ってしまう子の指導
- (3)返事が上手にできない子の指導
- (4)多弁な子どもの指導
- (5)思いつきを喋る子の指導
- (6)自分の考えに固執する子の指導
- 3 公話における聞き手への配慮
- (1)全校児童会での発表の指導
- (2)一年生の歓迎集会での作文発表の指導
- 7章 話し言葉の教材開発を進めよう
- 1 話し言葉指導における教材開発を進める
- (1)現行指導要領における指導系統
- (2)指導系統の一覧表
- 2 話し言葉指導の目標と内容を理解する―五年生を例にして―
- (1)話し言葉の「技能目標」に関する問題
- (2)話し言葉の「態度目標」に関する問題
- (3)言語事項の「発音・発声」に関する問題
- (4)言語事項の「言葉づかい」に関する問題
- (5)A「表現」の「話し方」に関する問題
- (6)話し言葉の指導内容についての小見
- 3 教師の教材開発の力量をつける
- (1)教科書教材だけに頼らずに
- (2)新しい指導分野の教材開発も
- 4 即時、即座の指導を見直す
- (1)教育における計画性と即興性
- (2)指導の場の発見
- (3)具体的な「指導の場」―その実践例
- @言葉にこだわる A返事の仕方にこだわる B発音にこだわる C言葉の「表情」にこだわる
- 8章 話し言葉で人間性を高めよう―結びにかえて―
- (1)反対耐性を培う
- (2)いつでも冷静に話し合う
- (3)感情をコントロールする
- (4)言語人格を高める
- @巧言令色型 A形質未熟型 B篤実咄弁型 C理想型
- あとがき
- 復刻版のあとがき
『子どもの話す技術を鍛える』復刻版に寄せて
ふだんの言語生活のあり方を見つめなおして
三十年もの前、私が五十歳の折に書いたこの本の原著は、教育新書の一冊でした。多く読まれて版を重ね、その後、版を改めて増補版として単行本化され、この度三度めの装いを改めて「名著復刻」という光栄な刊行となりました。本書刊行に当たり、改めて私は全文章を入念に読み直してみましたが、結果として何一つ改稿する必要を認めませんでした。三十年前の原著と増補版のそっくりそのままの内容です。
そもそも、私は執筆や講話に当たっては、一貫して次の三つを守って現在に至ります。
@ 常に、「根本、本質、原点」を問い、それに立脚すること。(不易の尊重)
A 必ず、「実践を潜らせて理論を導く」こと。(実践者の矜恃)
B 「本音、実感、我がハート」に基づくこと。(阿諛迎合の忌避)
従って、時流に乗って多く読まれはしたが、今は役に立たない、というような本を、私は書いたことがないし、話したこともありません。ベストセラーにはならずとも、多くの本がロングセラーになっているのは嬉しいことです。教育とは、とりわけ小学校、中学校のそれは、本質的に基礎教育なのです。基礎教育の本質は、時空を超えて不変不動という一点にある筈です。可変可動では基礎になりません。このように考えれば、本書が三十年前と全く同じ内容で復刻される意義もご了解戴けることと存じます。
国語教育がすべての学力の基礎づくりであり、基盤になるのだという考えは広く認められていることですが、その中でも「基礎の基礎」となるのが「話し言葉」の力です。私たちは、言葉というものがあまりに便利で重宝なものなので、ついついその活動のあり方については注意を怠り、無自覚、無意識、無造作に言葉を使い放題にしがちです。
しかし、これは随分残念であり、勿体ないことです。子どもに限らず私たち人間が、日常の言葉を的確、適切に使えるようになれば、どんなに素晴らしいことでしょう。人間関係もよくなり、効果的、効率的に意思の疎通がなされるようになり、日常生活は快適に進行するようになること間違いありません。
さて、現在の私は大学、短大、看護専門学校等の教員ですが、残念ながら若者たちの「話す技術」の貧困を思わずにはいられません。声が小さい。話が冗長でまとまらない。言葉遣いが悪い。早口である。私語が多い。バスの中などでも大声で話す。的確に答えてくれない。―これらは、学生の悪口を連ねているのではありません。彼らの言語活動の貧困は、一つの現象であり、結果であり、被害状況に過ぎません。小学校、中学校、高等学校の「国語教育」は、いったい何をしてきたのでしょうか。小学校入学以来十二年間にも亘って最大の授業時間を与えられ、しかも「基礎教科」としての王座を保ち続けた「国語科」は、どんな「国語学力」を彼らの身に付けたと言うのでしょう。なんとも残念です。
ここ数年、私は、言語活動には二つある、ということを主張しています。一つは「私的言語活動」であり、もう一つが「公的言語活動」です。「私的言語活動」の本質は「自分本位」です。「公的言語活動」の本質は「相手本位」ということです。
音声言語の内容は、「公的話法」と「私的話法」、「公的聴法」と「私的聴法」です。公的話法は、聞き手にとって「聞き易く」「分かり易く」「快適」であるように、「常より大きく」「常よりゆっくり」「常よりはっきり」「聴衆反応を読みとり、それに合わせつつ」行うことが肝要です。相手に合わせ、相手の為に、多少の無理をすることになりますから、やや不自然な話し方にもなってきます。しかし、そのことによって、所期のコミュニケーションは好結果を招くのですから、これらを私は、「価値ある無理」「価値ある不自然」と呼んでいます。
こんな話を、大学や専門学校の学生に話しますとかなり喜ばれます。大学や専門学校を出ますと、大方は社会人、職業人として働くことになります。それらの職場での仕事は基本的に「公的」な「公務」です。その公の場にふさわしい立居振る舞いができなくてはいけません。「言葉の教育」、つまり「国語教育」は、どんな場にあっても、どんな仕事にあっても、それらにふさわしく、適切かつ快適な言語活動ができるように導く最重要教科です。そのことを自覚し、子どもたちの生涯の幸せのために、我々教師はもう一度ふだんの言語生活のあり方を見つめなおしてみる必要があるのではないでしょうか。
もう一つ、最近になって私は、「教育」という仕事の本質は何か、ということを考え、この年になって新たに気づいたことがあります。それは、「教育」というのは、子どものすること、なすこと、考えること等に対して、「そのままにはしておかないことだ」ということです。「そのままにしておく」のは、教育ではありません。私たちは、子どものこれからの人生を見据えて、子どもの人生がいっそう豊かで幸せなものになるようにと、常に「より良く導く」こと「常時善導」を実践すべきだ、ということです。それは、「干渉」ではなく、「愛の行為」です。私たちは、子どもの生涯をよりよく導くために「教えることをためらわない」勇気を持ち、教育を楽しみたいものです。
平成二十八年八月二十九日 野口芳宏記す
若手教員にお勧めです。