- 『学級づくりで鍛える』復刻版に寄せて
- まえがき
- 1章 修業の時間を生み出す
- 1 実践に埋没しないために
- (1) 「実践埋没型」になるな
- (2) 時間を生み出す心構え
- (3) 考え直してみたいこと
- 2 教室経営の効率化
- (1) 新卒の五年間の日々
- (2) 実践は勤務時間の中で
- (3) 実践の効率化、工夫のいろいろ
- 2章 個性的な学級を作る
- 1 歩くように、呼吸をするように
- (1) 出会い―その大切さ
- (2) 出会いに餞けることば
- (3) 歩くように、呼吸をするように
- (4) 文章を綴る意義をわからせる
- (5) 学級づくりに生かす
- 2 学級俳句会、学級短歌会
- (1) 言語感覚を高める
- (2) 表現させれば理解力も高まる
- (3) 俳句と短歌の創作指導
- (4) 学級俳句会、学級短歌会
- 3 頂きは高く、裾野は広く
- (1) 学級づくりと授業は一体
- (2) 担任への親しみと誇り
- (3) 担任の個性の発揮
- (4) 生きる喜び、その自覚
- 3章 集団のルールをうちたてる
- 1 集団生活のルールとしつけ
- (1) 正のルール、負のルール
- (2) 禁止主義から体験主義へ
- (3)「枝葉・細別」から「根本・大別」へ
- (4) 責任内在論
- 2 叱り方・励まし方のキーポイント―力の劣る子どもに贈る私のことば―
- (1) はじめに―生徒理解か教師理解か
- (2) こういうことばで私は叱る
- (3) こういうことばで私は励ます
- 4章 みずみずしい知性を磨く
- 1 授業のための「しつけのことば」
- (1) 学級づくりは授業から
- (2) ことばを大切にせよ
- (3) この二つのことは許さない
- (4) わからないことが悪いのではない
- (5) どっちかに、ひとまず決めてみよ
- (6) 自分自身を問いつめてみよ
- (7) 「なぜか」に強くなれ
- 2 「なぜか」に強くする
- (1) 子どもの心の内側との対話
- (2) 心の内側をとらえる難しさ
- (3) 心の内側をとらえる技法
- (4) 心の内側を耕す
- 3 反応豊かな子どもに育てる
- (1) 反応してくれない辛さ
- (2) 「反応」ということ
- (3) 反応豊かな子どもを育てる
- (4) それでも反応しない子に
- 4 よい教師はことばを大事にする
- (1) 指導をしない教師が多い
- (2) 「おはあよう、ございまあすっ。」
- (3) 「パンを残していいですか。」
- (4) 「先生、黒板にいたずら書きをしているけど、いいんですか。」
- (5) よい教師は、ことばを大事にする
- 5章 しなやかな心を耕す
- 1 「継続」は、そのまま「力」か
- (1) だれを見せたクラス
- (2) 話し合い三時間
- (3) 話し合い三か月
- (4) 大馬鹿者の集まりかっ!
- (5) 「継続は力」―と言うけれど
- (6) 何とか調べ、何とか検査
- (7) 掲示物は、取り去るためにこそ
- (8) すべからく「時を限れ」
- 2 後ろ姿で学級づくりを
- (1) 卒業式の校長式辞
- (2) 後ろ姿を見て育つ、ということ
- (3) 浅学、未熟の自覚から
- (4) 「学級づくり」ということ
- (5) 後ろ姿で学級づくりを
- 3 よき人生観の確立を
- (1) 教育とは何ぞや
- (2) 「よき人生観」の確立
- (3) 幸せを築く人生観
- (4) 学級づくり来し方、行く末
- 6章 学級づくり用語、目のつけどころ事典
- 1 学級担任
- 2 学級経営
- 3 学級指導
- 4 学級会活動
- 5 学年経営
- 6 学年主任
- 7 学年行事
- 8 学年だより
- 9 学級通信
- 10 一枚文集
- 11 日記指導
- 12 学級児童会
- 13 学級会役員
- 14 班長
- 15 係活動
- 16 朝の会
- 17 帰りの会
- 18 日直
- 19 飼育当番
- 20 朝自習
- 21 宿題
- 22 自習の課題
- 23 遠足・旅行
- 24 見学
- 25 引率
- 26 集合・解散
- 27 学級PTA
- 28 授業参観
- 29 父母面談
- 30 家庭訪問
- 31 登校拒否
- 32 怠休・怠学
- 33 長欠児
- 34 いじめ
- 35 しかり方
- 36 ほめ方
- 37 罰し方
- あとがき
『学級づくりで鍛える』復刻版に寄せて
学級づくり・不易の実践原理を求めて /野口 芳宏
ざっと三十年近くも前に刊行された本書が、この度中身は全くそのままで装いを改め復刻されることになりました。著者として大変光栄なことと心から感謝をしています。本書の復刻を志し、具体化して下さった明治図書出版の木村悠氏には格別のお骨折りを戴きました。深く感謝を申し上げます。
復刻に当たり、改めて全文を読み返しましたが、長い時を経ているにも拘らず、修正を必要とする箇所は一つも見当たりませんでした。執筆をする場合でも、人様に話をする場合でも、私は常に「根本、本質、原点」を自らに問い、そこから出発したことを実践し、人様にも伝えるように努めてきました。今も、この精神は全く変わっていません。ブームや流行に対しては割合に鈍感で、不易の原理、不動の真理を求めて教育の実践に当たってきました。三十年もの時を隔ててもなお本書が読み継がれる理由はそこにあると思っています。
森信三先生の『修身教授録』、東井義雄先生の『村を育てる学力』などは、御本人が亡くなられて四半世紀にもなるというのに、今も多くの人に読まれ、大きな感化を与え続けています。「本物は色褪せず」です。小著が「本物」であるかどうか、それは読者の皆様が裁いて下さることですが、どうぞ忌憚のないご批判をお願い致します。
本を出版するということは、著者が読者との対話を求めることです。本書によって、先生の担任される学級が、より良い学級に成長することに役立つなら、著者としてこれに過ぎる喜びはありません。そして、ぜひ小著の実践を越える教室づくり、学級づくりを実現して下さい。それこそが、私の究極の願いであるからです。
さて、本書を改めて読み返してみて、現代の学校の様相と比べてみると、いろいろと気になることがあります。例えば、教師という存在が、昔に比べて重視されなくなってきているようです。また、先生や親の言うことを素直に聞かない子供も増えてきているように思えます。
これらは「平等」「対等」という視点に立てば、あるいは望ましいことなのかもしれません。しかし、当の子供達は昔に比べて幸せになっているでしょうか。私には、どうもそうは思えません。
人の権利が「人権」という言葉で美化され、我がままや自分勝手が「個性」や「自由」という言葉で美化されてはいないでしょうか。
これらの美しい言葉、尤もらしい言葉が一人歩きをし、その陰で子供が不平や不満を感じながら生きているという不幸な現実がないでしょうか。
学級は、集団生活や社会生活の基本を学ばせる所です。権利よりも義務、平等よりも秩序、主張よりも反省、自由よりも思いやり、要求よりも施し――というような教育をすることによって、本当に幸せな社会生活が実現する筈です。本書が、現代社会の混迷をただす一助になってくれることを私は密かに期待をしています。先生の一層の活躍をご期待申し上げます。
平成二十七年五月二十日 記す
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