- まえがき
- 序章 国語科教育学徒としての道
- 〜どのような特徴を持った国語科教育学徒であるか〜 /望月 善次
- 国語科教育学の全体的将来像
- 国語科教育学研究の学際性、その偏向と再編の視点 /塚田 泰彦
- 国語科教育における「理論」と「実践」の関係 /鶴田 清司
- 「国語」概念のとらえ直しから /松崎 正治
- 国語教育研究者が行うべきこと /難波 博孝
- これからの国語科教育学―授業システム観の再検討― /藤森 裕治
- 読む
- ◆全般
- 「読むこと」による絶えざる自己更新に向けて /山元 隆春
- 総表現社会で何を読むか /香西 秀信
- 「読むこと」の指導は極めて限定的にしか成立していなかった /阿部 昇
- ◆文学
- 《一般》
- ナンデコンナコトニナッテシマウノカ―国語・言葉・文学をめぐる覚書― /須貝 千里
- 教材の読みに基づくコミュニケーションの可能性 /松本 修
- 「国語」授業改善のための「読者」論へ /上谷 順三郎
- 国民国家のゆらぎと文学教育 /浮田 真弓
- 《詩歌》
- 詩歌の授業研究論・評価論へ /佐藤 洋一
- 戦後詩教育論史における「夕焼け」批判の位置づけ /幾田 伸司
- 《児童文学》
- 学習材の歴史性―国語科教育学にとっての児童文学研究― /宮川 健郎
- 声の可能性―童謡の魅力から出発する提案― /小浦 啓子
- ◆説明的文章・論理・レトリック
- 説明的文章の学習指導とコミュニケーション、エディターシップ /寺井 正憲
- 説明的文章指導のあり方―説明的表現の機能に着目して― /植山 俊宏
- 学習者が世界と出会い、「わたくしのことば」で語る―説明的文章教材における学びの探究を通して― /河野 順子
- 学習者の「ことば―経験の関連構造」に、メディア環境の変化が及ぼす影響を考慮した学習を /奥泉 香
- 評論は逆説を志向する /柳澤 浩哉
- ◆古典
- 古典教育の「現在」を問い直す教育史研究に /内藤 一志
- 新たな古典教育の構想のために―古典教育実践史の研究― /渡辺 春美
- 古典がなくて誰が困る /石塚 修
- ◆読書
- 考える「実の場」としての読書 /村井 万里子
- 書く
- 教師の文章生活と実践史に根ざした教育実践学を /前田 真証
- 思考表現スタイルから日本の作文教育を読み解く /渡邉 雅子
- 話す・聞く
- 単元「談話室」からの発想 /甲斐 雄一郎
- 話す聞くことの教育論の構想 統合的言語教育論の立場から /山元 悦子
- 派生的に立ち現れる「子どもの育ち」 /三浦 和尚
- 評価ができる指導を継続する /有働 玲子
- 教師教育
- 教師のライフコース研究から国語科教育学への期待 /山ア 準二
- 教師教育における学習材としての教師のライフヒストリー /藤原 顕
- 認知心理学
- こどもの学びの実態に即した国語科教育をめざして―認知心理学― /岩永 正史
- メディア
- メディア・リテラシー研究からリテラシー研究へ /中村 敦雄
- ビジュアル・コンポジション /入部 明子
- 比較教育学
- 形象理論とエドムンド・ヒューイ /安 直哉
- アメリカ合衆国の事例をもとに国語科教育学・国語科のあり方をさぐる /堀江 祐爾
- 大学院で教えるべき重要な内容―科学としての教育学研究― /佐渡島 紗織
- 研究方法の探究と研究課題の共有を /森田 香緒里
- 国際調査
- 国際調査を読む力、生かす力 /木 まさき
- PISAとは何であったか―国際テスト・外国の国内テストとの比較から― /足立 幸子
- ディベート
- 明るい国語教室(含む、ディベート)のすすめ /上條 晴夫
- ディベートの捉え方を再考する /松本 茂
- 教育行政
- 学会・学界と国語教育政策 /井上 一郎
- 教育行政・研究者・学校現場の学びの循環 /小久保 美子
- 人間学・授業研究
- 授業というテクスト―授業開発のための覚え書き― /町田 守弘
- 人間学を根源とした国語科授業 /小川 雅子
- 授業研究における研究者の役割 /藤井 知弘
- 小・中・高等学校の教室から
- 教室から見えてくる知 /細川 太輔
- 「仕事」に仕上げていく力 /甲斐 利恵子
- 条件(上達論・発達論・分野論・技術論)を踏まえた国語科教育学を /寺崎 賢一
- 高校における国語科教育学研究の活性化 /井上 雅彦
- 世界から見た国語科教育学
- 言語政策の見直しは緊急課題に /P・A・ジョージ
- 日本語と異なる言語で啄木を読むこと /王中忱
- 異文化理解教育と国語教育は教室にこだわらない /ジェームズ・M・ホール
- 韓国人の日本語学習上の問題について /韓 基連
- 終章 国語科教育学の希望
- 〜日本の生き残る道は教育にしかない〜 /望月 善次
- あとがき
まえがき
本書は、筆者の岩手大学退任の機会に、御縁に恵まれたうちの若い世代の方々を中心として「国語科教育学はどうあるべきか」を論じて(談じて)戴こうとしたものであった。
「あった」と過去形にして記したのは、筆者の怠慢から原稿執筆のお願いをしてから随分の時間がたってしまったからである。お願いを申し上げた方々からは、期日を守っての原稿を頂戴したから本当に申し訳ないことであった。特に、この時期は、日本の国公立大学にとって大学制度が発足して以来の大事件である「独立行政法人化」(「行政」の部分の入力で「キョウセイ」と打ってしまい、「強制」の文字が出て来たのも単なる入力ミスではないとさえ思われた。)移行の時期と重なっており、その影響はもちろん私立大学を含む大学関係やその他の学校段階にも及んだのであるから申し訳ない思いには一入のものがある。また、学校教育にとっては大きな影響をもつ「学習指導要領」の改訂時期とも重なっていて、内容的に〈「新学習指導要領」を踏まえるのなら〉という方もおられるであろうから、(筆者個人としては、お寄せ戴いたものは本質的には、学習指導要領改訂云々を越えて意味あるものだと拝読はしたが)その点でも申し訳なく思っている。
いずれにしても、(一部を修正したものを掲げますが)以下のようなお願いを申し上げたのは、既に三年前になる二〇〇六年師走のことであった。
碩学吉川幸次郎博士(一九〇四〜一九八〇)の謦咳に接することのできたのは、赴任したばかりの勤務先で行われた東北中国学会(岩手大学教育学部、一九七九・五・一九)の記念講演〔「私の杜甫研究」〕においての一度だけのことでした。
しかし、その著作等から受けた学恩には、計り知れないものがあります。と言っても、私自身は、国語科教育学を専門としておりますので、博士の御専門である漢文学からすれば門外漢になるわけで、受けた学恩も狭義の専門的知識としてではなく、あくまで、専門外の、と言うより「素人」としてのそれであったということは断っておかねばならないことだと思います。
そうした博士から受けた恩恵の一つなのですが、『論語』雍也編第六の「人之生直、罔之生也、幸而免。(人ノ生クルヤ直シ。罔ムクモノノ生クルハ、幸イニシテ免ル。)」の新釈に基づいた解釈もその一つです。〔『吉川幸次郎全集 第四巻』(筑摩書房、一九六九)一七一〜一七二頁。他〕氏は、この箇所に対して「私はこの条を読むたびに、出鱈目な私のような奴がお目こぼしで生きているというような気がしてしょうがないのですが」〔「論語について―慶応義塾小泉信三郎記念講座講話(一九六九・七・五)、『吉川幸次郎全集 第五巻』(筑摩書房、一九七〇)二九四〜三一四頁。〕という感慨を記しておられますが、それを読んだ時に、これは正に私自身の内なる声であると思えたのです。自分のような者が、一応は人並みのような顔をして暮らしているのは、ただ「免れている」のみであることを体を刺し通されるように分からされたのです。
来春の三月で、一九七九年以来お世話になった岩手大学を定年退職しようとしておりますが、取り立てるほどの才能も、格別な努力もなかったのに、総体的に言えば、好きな研究・教育に没頭するような形で過ごせたことを本当に幸せなことだと思っております。(没頭できたということは、多くの皆様の御海容や家族の犠牲の上に成立しているものであることも少しは自覚しております。)
「才能なく、努力なく……ただ運命の加護のみあった〜石川悌司先生の御冥福を祈りながら〜」というのは、「私の国語教育修養」として、岩手県の国語教育の仲間達と行っている「岩手県国語の授業研究会」の第一〇〇回記念誌〔『国語教育の普遍を求めて』(二〇〇六)二三〜二六頁〕に記した題名ですが、この思いは現在の心境をも表しております。また、世界の多くの国を訪問している曽野綾子の近著『日本人が知らない世界の歩き方』(PHP研究所、二〇〇六)を読むと、研究・教育に没頭できていることは、個人の努力を越えた歴史的恩恵・運命的恩恵にあるのだということも感じざるを得ず、先に述べた実感を別の面から裏打ちされたような気も致しております。今回お願いを申し上げる皆様は、その恩恵の具体としてもいてくださっていることに思いが至り、改めて感謝申し上げたいと思います。
さて、随分長い前置きとなってしまいましたが、本日お願いを申し上げるのは、原稿執筆のお願いです。「定年退職を機して一冊の本を纏めようと思いますので、原稿を書いて戴けませんか。」というお願いです。通常、この種の本の刊行・編集は、研究室や教室の若い世代の方などの取り纏めにより、当人は、そうした方々に全てを委ねる形で行うのが一般的であり、私自身もそうした慣習を知らないわけではありません。実際、勤務先の専門を同じくする若い世代である藤井知弘・金田啓子の両氏には以前からそうした申し出を受けてもおりました。
しかし、此度、私が研究・教育を継続でき、多少は全国的な場でも発言できている恩人の一人でもある明治図書の江部満編集長が、「定年記念のような本を出してもいい。」と言ってくれましたので、思い切って、自身の企画を前面に出した本を出そうと決心しました。(独立行政法人化以降多くの日本の大学が置かれている異常なまでの忙しさの中で、奮闘している若い世代に、できるだけ迷惑をかけたくないという思いも働きました。)
書名は江部さん(敬愛の念をこめて、こう呼ばせてもらいますが)とも相談して『国語科教育学はどうあるべきか』と致しました。大上段に振りかぶっていて正直に言って、少し恥ずかしいような書名でもありますが、書いて戴ける皆さんのものは、こうした書名に相応しいものであることを確信致します。また、この書名には、私の側から言えば「国語科教育学の希望」の意味も含んでおります。言うまでもなく、「国語科教育学の希望」という表現は、通常の表現ではなく比喩的表現です。拙稿「文学教材の形象性〜比喩・象徴表現をめぐるノート〜」〔『最新中学校国語科指導法講座 7 理解4 詩歌の指導』(明治図書、一九八四、二四〜三六頁〕を初めとして、以前から、色々な場所で、国語教室へのその採用を提唱している中村明の「指標・結合・文脈」の三分類に従えば、「結合比喩」となる表現です。
この比喩的表現の中には、二つの意味を込めようとしております。
一つは、皆様の「国語科教育学(国語科教育学関係以外の方や外国の友人もいますので補足しますと〈学校教育を視野においた母語としての日本語の教育〉のことです。)」に対する「要望・希望」を書いて戴けたらということです。つまり、「国語科教育学をこうしたい、国語科教育学にこう期待する」ということを、一応は分野等を指定させて戴きましたが、必ずしもそれにとらわれなくても結構ですので、自由に、率直に書いて戴きたいのです。
そして、もう一つは、僭越なことですが、この書が、或る意味で、国語科教育学に「希望」をもたらすものであればという祈りをもっているのです。
狭義の専門としております石川啄木や宮澤賢治の研究を通しましても、「希望」がどんなに大切であるかを、近年痛感致しております。御承知のように、例えば、彼等の中学校時代(二人共盛岡中学校に学んだ同窓生です。)は、共に「問題児」であったのです。啄木は、その五年生の時にカンニングを直接の契機として退学し、エリート・コースから脱落していますからそれ以上の贅言は必要ないでしょう。賢治も、例えば、「卒業生調」(大正三年三月)によると、「操行」には、第一学年〜五学年を通して「甲」は一つもなく、五年生の時には「丙」までもつけられていますし、備考欄には、「狡獪」と書かれている学年さえもあります。そして、寮の若い舎監イジメの中心人物ともなったと言われており、その結果、他の寮生と共に寮を追われているのです。
今日の研究では、二人は、いずれも上級学校に進学できる可能性を断たれていて、それがこうした行動の原因の最大のものではなかったのかと言われております。「希望の無さ」が、彼等ほどの人物をも追い詰めたのです。
ところで、執筆をお願いするのは、原則的には、私より一世代若い方々(具体的には、一九五〇年以降にお生まれの方を考えています。)の、それも直接に御厚誼を戴いたことのある方々にお願いしたいと思っております。
また、書いて戴く頁につきましては、多くの方々にお願いしたいこともあって、お願いできる頁が少なくて、その点いかにも申し訳ないのですが、この点についても御海容くださり、論証的御発言にとらわれることなく自由に御発言戴けたらと存じます。
具体的にお願いしました分野等は、一応は申し上げますが、先にも記しましたように、必ずしもこれにこだわらなくても結構です。どうぞよろしくお願い申し上げます。
皆様の貴重な日々の上をお祈りしながら、謹んでお願い申し上げます。
三年の月日は仮初めのものではない。文中に挙げた同僚の金田啓子講師の姓が小浦と変わったことはその象徴的事例である。他の皆様の上にも、色々なことがおありだったことと拝察する。改めて、執筆してくださった方々や、発刊を待ってくださった方々へお詫びを申し上げたい。
周りの環境を整えて戴きながら、筆者自身の原稿を提出できなかったのには二つの理由がある。
一つは、本書の構成について、最終的決断がつかない部分があったからである。それはお寄せ戴いた各論についての筆者からの具体的コメントを付け加えるべきかという点であった。当初は、コメントしたい思いが強かったのであるが、現在は(許された頁数のこともあり)、各論は、そのまま頂戴することに漸く心が定まったのである。
もう一つは、筆者の環境的変化である。思いがけなく、二〇〇七年の十二月から盛岡大学・盛岡短期大学部の学長に就任することになったのである。こんな環境的変化のことなど、言い訳にはならないのであるが、当時インド・デリー大学大学院客員教授(二〇〇八〜二〇〇九年)、中国・清華大学客員教授(二〇〇九〜二〇一〇年)、国際啄木学会インド大会の企画・運営(二〇〇八年十一月)も内諾していたから、勤務先の業務とそうしたこととの調整が、筆者の力量としては叶わなかったことを率直に述べ、お詫びを申し上げたい。
本書の構成としては、上述したように若き世代による提言を中心にして、前後に筆者の「国語科教育学徒としての道〜どのような特徴を持った国語科教育学徒であるか〜」と「国語科教育学の希望」を置く形とした。
終章にも掲げた「国語科教育学の希望」に通じる点が少しでもあるなら幸いである。
二〇一〇年二月 /望月 善次
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- 明治図書