- はじめに ―世界史は嫌われている?
- 第一部 日本史と世界史のインターフェース
- 垣根を超える
- ―クロスオーバーの時代の歴史授業とは?―
- 一 宇宙から歴史を見る
- 1 「日本史と世界史」の固定観念
- 2 日本史と世界史のインターフェースとは?
- 3 宇宙から歴史を見る
- 二 世界標準で歴史を見る
- 1 外国人に日本史を語る難しさ
- 2 世界標準で歴史を見る
- 三 欧米の視点から日本の歴史を見る
- 1 ネルソンと山本五十六
- 2 欧米の視点とは?―ここがロードスだ、ここで跳べ―
- 3 なぜピューリタン革命なのか
- 四 アジアの視点から日本の歴史を見る
- 1 日・中・韓の通貨の謎―トリビアを超えて―
- 2 アジアの視点の生かし方
- 五 海からの視点で日本の歴史を見る
- 1 アナログ思考はアナクロ?―地図の意義を見直す―
- 2 海からの視点とは何か―「島国」から「海域」へ―
- 3 海からの視点の生かし方
- 六 南北軸から日本の歴史を見る(1)
- 1 ディスカバー・ジャパンズ―いくつもの日本の発見―
- 2 南北軸とは何か、なぜ南北軸か
- 3 南から見た日本の歴史
- 七 南北軸から日本の歴史を見る(2)
- ―北から見た日本列島の歴史―
- 1 北のイメージが示唆するもの
- 2 蝦夷とは何か
- 3 「えぞ」から見た北方世界
- 八 日本史と世界史の共時性をさぐる
- 1 年表の意義を見直す―歴史の共時性・同時性への着目―
- 2 日露戦争の時代の世界臆―日本の戦債とユダヤ人迫害―
- 3 日露戦争の時代の世界桶―アジアの民族運動―
- 九 日本史から世界史を見る
- 1 日本史から世界史を見るとは?―子どもの心理に即して考える―
- 2 事例としての「蒙古襲来」
- 十 身近な地域に世界史を見る
- 1 地域からの世界史の意義
- 2 地域からの世界史の方法
- 3 事例としての日系移民
- 十一 日常生活に世界史を見る
- 1 日常生活からの世界史―方法としての日常生活―
- 2 サンタクロースへの問い
- 3 シンデレラへの問い
- 十二 自分の身体に世界史を見る
- 1 自分の身体に世界史を見るとは?
- 2 昔の日本人は走れなかった?
- 3 じっと手を見るのはなぜ?
- 4 自分の身体は誰のもの?
- 第二部 世界史の〈ことば〉を読み解く
- 世界史リテラシー
- ―グローバル化の時代の歴史授業とは?―
- 一 古代オリエント
- ―ピラミッドとは何?「目には目を」の真相とは?―
- 1 オリエントとは何か
- 2 エジプトはナイルの賜物
- 3 目には目を歯には歯を
- 4 王の目、王の耳
- 二 古代中国
- ―南船北馬、万里の長城は誤解されている?―
- 1 中国とは何か
- 2 南船北馬
- 3 鴻鵠の志
- 4 中原に鹿を逐う
- 三 古代インド
- ―インドの本当の国名は何か? また、その由来は?―
- 1 インド世界とは何か
- 2 ヴァルナとジャーティ
- 3 四門出遊
- 4 「マハーバーラタ」、「ラーマヤナ」
- 四 地中海世界(1)古代ギリシア
- ―クレオパトラの鼻は高かった? それとも長かった?―
- 1 地中海世界とは何か
- 2 人間は万物の尺度である
- 3 なんじ自身を知れ
- 4 ヘレニズム
- 五 地中海世界(2)古代ローマ
- ―「暴君ネロ」は本当にキリスト教徒を迫害したのか?―
- 1 ローマにまつわることば
- 2 カルタゴ滅ぼさざるべからず
- 3 賽は投げられた
- 4 クォ・バディス
- 六 イスラーム世界
- ―ジハードのもつ二つの意味とは?―
- 1 イスラームとは何か
- 2 コーランか剣か
- 3 スンナ派、シーア派
- 4 マホメットなくしてシャルルマーニュなし
- 七 中世ヨーロッパ世界
- ―「都市の空気は自由にする」の由来とは?―
- 1 中世ヨーロッパとは何か
- 2 教皇は太陽、皇帝は月
- 3 都市の空気は自由にする
- 4 タタールのくびき
- 八 近世のアジア
- ―タージ・マハルは単なる愛妃の墓廟ではない?―
- 1 近世のアジア―繁栄する諸地域―
- 2 北虜南倭
- 3 タージ・マハル
- 4 ウィーン包囲
- 九 近世のヨーロッパ
- ―マルコ・ポーロは実在の人物ではない?―
- 1 近世ヨーロッパとは何か
- 2 コロンブスの卵
- 3 エラスムスが生んだ卵を、ルターが孵した
- 4 朕は国家なり
- 十 「長い一九世紀」のヨーロッパ
- ―ドイツ統一は、「鉄と血」ならぬ「鉄と石炭」によってなしとげられた?―
- 1 長い一九世紀とは何か
- 2 ここから、そしてこの日から、世界史の新しい時代がはじまる
- 3 鉄と血によってこそ問題は解決される
- 4 帝国主義とは胃の腑の問題である
- 十一 アメリカ世界
- ―日本の降伏時にマッカーサーが考えた演出とは?―
- 1 アメリカの歴史と日本
- 2 我に自由を与えよ、しからずんば死を与えよ
- 3 マニフェスト・デスティニー
- 4 恐れねばならないのは、ただ恐怖それ自体である
- 十二 二〇世紀の世界
- ―原爆はなぜ広島・長崎に投下されたのか?―
- 1 二〇世紀―極端な時代?―
- 2 神はサイコロ遊びはしない
- 3 誰がために鐘は鳴る
- 4 地球は青かった/私はカモメ
- おわりに ―世界史は、やめない!
はじめに―世界史は嫌われている?
ぼくは帰国生として、この学級に編入した。担任の先生はそんなぼくを心配してか、「みんなA君となかよくしてあげましょう。」と朝の会で言ってくださった。ちょっとうれしかった。みんなもぼくに話しかけたり、遊びに誘ってくれたりした。だけど、ぼくは日本のアニメやゲームのことをあまり知らないし、気の利いたギャグも言えない。そのせいか、だんだんみんな離れていき、ぼくはまたひとりぼっちになった。でも、なれているから平気だ。
ところが、誰かが先生に言いつけたのだろう。緊急の学級会が開かれ、「A君を仲間はずれにしたのは誰ですか、すぐに名のり出なさい。これからはA君と遊ばない人には罰則を与えます。」ときつく注意された。みんな黙って下を向いていた。それから数日して、今度はPTAの総会が開かれ、この問題が話し合われた。「この学校ではいじめがあるようだ。学校側の指導体制は一体どうなっているのか。」きびしい意見が相ついだと新聞の地方版に書いてあった。ぼくは驚き、そして悲しくなった。確かにともだちと遊ぶのは楽しいけど、ひとりでいるのも嫌いじゃない。それに、みんなだって決してぼくを嫌っているわけじゃない。ただ、ゲーム名人のB君や、話題の豊富なCさんの方が、一緒に遊んで楽しいだけなんだ。ぼくはどうしていいかわからなくなった。
* *
二〇〇六年秋から〇七年にかけて話題になった世界史の未履修問題は、まさにこんな感じであった。私は世界史担当の教科調査官として、中教審の会合の片隅でただ恐縮するしかなかった。とはいえ、本当に世界史は嫌われているのだろうか。誰に? むろん高校生に。世界史を知らない小・中学生に、世界史を嫌いようはないからだ。
これは私の想像だが、高校生がとりたてて世界史を嫌っているとは思えない。ただ、直接大学受験に関係のない科目を勉強したくないだけだ。だから、もし地理歴史科の中で地理が必履修になっていたら、地理の未履修問題がおこったであろう。そうすると、やはり実態(大学入試制度)に合わない教育課程の基準(学習指導要領)が悪いのだろうか。文科省の肩をもつわけではないが、私はそうは思わない。むしろ、自分さえよければよいという風潮を容認し、あるいは促進しているかに見える学校や大人社会にこそ問題があるように思う。
受験科目にあろうとなかろうと、高校生に必要な知識やリテラシーであれば、きちんと指導し評価するのが教員や学校の務めではないか。仮に、わが子や生徒がそれに不満をいだいたとしても、「ダメなものはダメ」と一喝するのが、大人の大人たる所以であろう。それを学校が率先して未履修を推進し、その背後であたかも履修させているかのごとく教育課程の二重帳簿を作成するとは。もはや耐震強度や食品の偽装を笑えまい。
* *
高校生の多くは、日本史や地理に比べて覚えることが多いという理由で、世界史を敬遠する。だが、テスト問題自体は概して日本史の方がむずかしく、センター試験の平均点も世界史より日本史の方が低いのだ。
「でも、そんなの関係ねえ!」ということなのだろう。事実よりイメージの方が、リアリティをもつからである。ただし、生徒にそうしたイメージを植え付けている、世界史の授業やテストにも課題があるのはいうまでもない。その意味で、教員の責任は重い。同時に、そろそろ日本史、世界史といった科目区分にも別れを告げるべきではなかろうか。日本の入らない世界史も、世界を背景にしない日本史もあり得ないはずなのに、いまだに世界史という名の外国史と、日本史という名の自国史がせめぎ合っているのでは救いようがない。
しかし希望もある。それは、小学生や中学生の時から、世界を背景にした日本の歴史を教えるのである。つまり、「世界を舞台に歴史の授業をつくる」のである。そして、身近な地域や日常生活から世界史が見えるようになれば、もはや子どもたちにとって世界史も日本史もなくなろう。そこにあるのはただ歴史である。私は全国の小・中学校の先生方に「世界を舞台に」歴史を考えてほしいと願っている。本書がその一助になればうれしい。
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- 明治図書