- 第1章 充実した数学の授業をつくるために
- 1 なぜ数学の授業を発問と板書で語るのか
- 2 数学の授業を発問の視点から考える
- 3 数学の授業を板書の視点から考える
- 4 生徒に伝えたい「考える」ということ
- 第2章 発問/板書から考える授業づくりの工夫
- 第3章 発問&板書で丸わかり! 第3学年の授業ライブ
- §1 式の展開と因数分解
- §2 平方根
- §3 二次方程式
- §4 関数y=ax2
- §5 図形の相似
- §6 円周角と中心角
- §7 三平方の定理
- §8 標本調査
まえがき
この本を上梓するにあたり,私たちは「発問」「板書」「ライブ」の3つのキーワードを掲げ,中学校数学科の授業の1つのモデルを全学年にわたって提供する本をつくりたいと考えた。そして私たちは,学校現場で培われてきた財産,すなわち,優れた授業を,書籍という形で保存し伝搬したいと考えた。よい授業をしたいと真剣に考えている先生方に,この本は1つの授業モデルを提供している。ただし,私たちの授業は完璧な授業ではない。良い点も悪い点も含んだものとして,職場での,あるいは,個人での研修の材料として活用していただきたい。
私たちは,「数学教育で最も重視すべき事柄は,人が考えるということはどういうことかを生徒に伝えることだ」と考えている。問題と時間を与え,「さあ,考えなさい」と言うことは簡単ではあるが,考えるとはどういうことかを教えることは難しい。考えることを教える1つの方策として,私たちは,よい発問とよい板書から構成される数学の授業を通して,「人が考えるとは,問いをもち,表し,意味付けし,表現することである」と生徒たちに伝えたいと思う。
本書の第一のキーワード「発問」では,生徒たちの心を揺さぶる教師の働きかけの重要さに着目している。授業は黒板の前で行われているのではなく,生徒一人ひとりの頭の中(心の中)で行われているのだとすれば,私たち教師の最初の仕事は,今日の学習のために生徒たちの心を開かせることにある。また,第二のキーワード「板書」には,人が考えるという過程が描きだされていると考えている。様々な生徒によって形づくられていく板書は人が考えるという過程を視覚化したものだと考えることにより,「そうか,考えるということは,こういうことなのか!」という発見をもたらす機能が板書にはあると,私たちは考えている。そしてぜひ,若い先生方には,この本の授業を真似て,同じ発問を生徒たちに投げかけてみてほしいと思う。するとただちに,「同じ発問をしたのに,なぜこんなに授業が違ってしまうのか」という疑問が生じるに違いない。授業は生きものである。授業者が違うと,あるいは,生徒が違えば,同じシナリオでも,できあがった授業はそれぞれに異なってしまうものであるなどとすぐに決めつけないで,自分自身の生徒とのコミュニケーションをじっくり反省してほしい。役者が違えば,同じシナリオでも,観客に与える影響は行って帰って来るほど違う。授業における「語り」というものをおろそかにせず,台詞の間のとり方,発問の提示の仕方,聞き方など工夫すべきところは大いにある。私たちが大切にした第三のキーワード「ライブ」感は,まさにその瞬間,その場が生みだす「創発された授業」をもたらしている。よい授業は意図的につくれるものではない。私たち教師の想像を超えたところにこそ,よい授業があると言える。その意味で,私たち教師は,よい授業をしようなどと思わない方がよいのかもしれない。本書の授業をいきいきと蘇らせるのは,まぎれもなく読者の先生方である。あたかもこれらの授業をみてきたかのように,紙面に示された授業の断片,「発問」と「板書」を,ジグソーパズルのように組み立てながら,私たちがお届けしたかったライブ感ある授業モデルを堪能していただければ幸いである。
平成23年1月 /江森 英世
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- 明治図書