- まえがき
- T 学力問題をどうとらえるか
- 一 「学力低下」批判の論点整理
- 1 毎度おなじみの「学力論争」なのか?
- 2 「学力低下」をめぐって、どんな立場と主張があるか
- 3 何を問題にすべきなのか
- 二 学力問題のポリティックス分析
- 1 ポリティカル・イシューとしての学力低下批判
- 2 苅谷剛彦氏に見る学力低下批判としての教育政策批判
- 3 不平等の拡大と学力低下
- 4 学力低下批判のポリティックスの構図
- 三 「学力低下」論争を総括する
- 1 学力低下は最初から「悪」
- 2 悪役を演じた新学習指導要領
- 3 「学力低下」は実証されたか
- 4 「学びのすすめ」は投げ込まれたタオル
- 5 前提とされた計測可能な学力観
- 6 学力をとらえる二つのベクトル
- 四 「学力向上」運動の危険性
- 1 実施後二年での学習指導要領改訂
- 2 「学力低下」批判から「学力向上」運動の展開へ
- 3 「学力向上」運動と教員の脱技能化
- 五 日本の子どもの学力は低下したか
- 1 安易すぎる「学力低下」批判
- 2 ピサ調査の目的と内容はどのようなものか
- 3 ピサ調査をどう受け止めるべきか
- U 学力をいかにとらえ育むか
- 一 「学ぶ力」を育むカリキュラムづくり
- 1 「学ぶ力」とは何ですか
- 2 そんなに簡単にいくわけはない
- 3 その子にとってこそ必要な「学ぶ力」を育むカリキュラムを
- 4 何のための「学ぶ力」か、それが最後に問われる
- 二 体験的学習での指導と評価の一体化
- 1 体験的学習とはどのような学習か
- 2 指導と評価の一体化とはどのようなことか
- 3 評価による指導の正当化作用の落し穴
- 4 何を評価するのか、結果なのかプロセスなのか
- 5 誰が評価するのか、学校と教科による評価だけではない
- 三 総合的学習の充実から新しい学力の追求へ
- 1 まずは生き残った「総合的な学習の時間」
- 2 「教科の学習」と「総合的な学習」との違い
- 3 充実と発展のための視点と方法
- V 学力保障と人権教育の再構築
- 一 人権教育とはどのようなことか
- 1 同和教育から人権教育へ
- 2 国連人権教育の一〇年
- 3 同和教育と人権教育の関係は
- 4 人権教育の再構築にむけて
- 二 読み書きできずとも人は生きてきた
- 1 識字運動と言われてきたこと
- 2 奪われた文字を取り返す運動
- 3 機能的識字と批判的識字
- 4 ワード(言葉)を知ることはワールド(世界)を知ること
- 5 不足を補うだけのことではないはず
- 三 人権としての学力保障は簡単ではない
- 1 「学力保障」は「人権保障」と言うけれど
- 2 なぜ、子どもたちはより高い学力を身につける必要があるのか
- 3 すべての子どもに高い学力が保障されうるのか
- 4 社会的不平等を反映した学力の格差は否定できない
- 四 学力保障の内実は均一ではない
- 1 人権としての学力保障の実際は複雑
- 2 親の学歴や収入によって学校への期待は異なる
- 3 画一的な学力保障はありえない
- 4 その子にとってこそ必要な学力の追求を
- 五 その子にとってこそ必要な進路の保障を
- 1 進路保障は人権教育の大きな柱
- 2 進路保障としての学力保障
- 3 『歳のハローワーク』の新鮮さ
- 4 誰にとっての進路の選択と保障なのか
- 六 「隠れたカリキュラム」による人権教育
- 1 人権を通しての教育の意味
- 2 人権教育と生活指導
- 3 道徳教育と人権教育
- 4 「人権を通しての教育」は人権教育をめぐるアポリア(難問)の一つ
- 5 子どもは教えられていること以上に多くを学んでいる
- 七 人権教育の視点から習熟度別指導を考える(その一)
- 1 「個に応じた指導」と習熟度別指導
- 2 習熟度別指導の問題点はどこか
- 3 習熟度別指導をめぐる論議は錯綜している
- 4 人権教育から見た習熟度別指導の問題性
- 八 人権教育の視点から習熟度別指導を考える(その二)
- 1 習熟度別指導をもう一度整理してみれば
- 2 何が問題とされてきたのか
- 3 習熟度別指導と習熟度別クラス編制は違う
- 4 人権教育の視点から見ての習熟度別クラス編制の問題点
- 九 教科学習と人権教育の関連性
- 1 教科としての人権科はありえるか
- 2 教科学習のなかで人権を学ぶ
- 3 教科学習の固有のロジック
- 4 教科学習と人権教育の接点と相違
- 十 人権総合学習の可能性
- 1 人権総合学習とは
- 2 「総合的な学習の時間」と人権総合学習
- 3 総合学習としての人権総合学習
- 4 人権総合学習の多様な発展可能性
- 十一 おもしろくなければ人権教育じゃない
- 1 人権教育のおもしろさ
- 2 やってみる方がもっとおもしろい
- 3 教材「ちがいのちがい」
- 4 人権教育をたのしむコツ
- 十二 人権教育と学力問題の接点を問い直す
- 1 人権教育と学力問題の接点
- 2 そもそも人権教育とは
- 3 二つの人権教育の内実
- 4 「他者の関係性にかかわっての人権教育」とは
- あとがき
まえがき
学力問題は、今やわが国の教育界における最大の論争的課題である。周知のように、学力問題が、今日のように大きな社会的な関心と注目を集めることになった直接の契機は、一九九八年の一二月に告示され、二〇〇二年の四月から全面実施されることとなった学習指導要領の改訂であった。その改訂は、学校週五日制の完全実施の下で、教科内容の三割削減と「総合的な学習の時間」の新設を示したのである。
学校週五日制の下での授業時間の減少、教科内容の削減、新しい学力の追求としての「総合的な学習の時間」の新設。こうしたことは、教科を中心とした学力の低下を招くことになるのではないか。そうした不安や危惧は、当然、予想されることではあった。しかし、昨今の学力問題は、こうした予想をはるかに越えるホットな論題となっている。
今や学力問題は、学校週五日制、教科内容の削減、「総合的な学習の時間」の新設等を導き出すことになった、いわゆる「ゆとり教育」とされる教育改革のあり方そのものへの疑問や批判へと「発展」してきている。そしてそのなかにあって、文科省は、実施後わずか二年にして学習指導要領の一部改訂を行うとともに、「確かな学力」の強調、そして「学力向上」へと大きく舵を切り代え始めたのである。
政策転換ともいえるような文科省のこうした変化は、教育現場に少なからぬ混乱を与えつつあることは言うまでもないが、そのなかで、学力問題は、一種のポリティカル・イシュー(政治的論題)としてさらに大きな世間の注目と関心を集めるものとなっているのである。
本書の第T部「学力問題をどうとらえるか」では、前記したような学力問題をめぐる状況をふまえつつ、学力問題にかかわっての改めての論点の整理、学力低下批判としてなされてきた学力論争の総括的視点、「学力向上」運動の危険性等を検討しながら、保障すべき学力の構造を明らかにしようとしたものとなっている。
学力問題では、それを取り上げる多様な視点があるとしても、その根本には、そもそも学力とは何か、それをどのようなものとしてとらえ保障していくかへの問いかけがある。第U部「学力をいかにとらえ育むか」においては、こうした学力への根本的な問いに対してのいくつかの視点を提起したものとなっている。
第V部「学力保障と人権教育の再構築」では、学力問題の今日的状況を視野に入れつつも、検討の一方の軸を人権教育の新しい方向の追求に置いている。いうまでもなく、人権教育の新たな方向と可能性の追求には、様々な視点からの検討が求められよう。しかしここでは、人権教育と学力問題の接点をさぐりつつ、学力保障という課題を媒介にしながら人権教育の再構築を考えようとしたものとなっている。
尚、本書は刊行のために新たに書き下されたものではない。ここ二、三年の論稿を収録したものである。こうした本書の刊行の経緯と論稿の初出については「あとがき」に譲るが、本書の刊行に際し、明治図書江部満編集長には、これまでと変わらぬ色々のお世話をいただいた。記して感謝を申し上げておきたい。
二〇〇五年六月 /長尾 彰夫
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- 明治図書