生活指導 2005年8月号
子どもの生きづらさと向きあう

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生活指導 2005年8月号子どもの生きづらさと向きあう

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ジャンル:
生活・生徒・進路指導
刊行:
2005年7月8日
対象:
小・中
仕様:
A5判 124頁
状態:
絶版
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目次

もくじの詳細表示

特集 子どもの生きづらさと向きあう
子どもの生きづらさと向きあう
大和久 勝
小学校実践
ユキコの小さな翼〜「しせつにいかせてください」
芳野 かおり
行き場を失くしたユリとミナ〜二人そろって保健室登校から再び教室へ
細田 俊史
中学校実践
子どもとつくる社会〜そのグループなりの文化を育てる
安子島 宏
分析
子どもの言葉にていねいに応答する
栗城 順一
論文
ポジションどり文化の生きづらさを超えて
中西 新太郎
全生研第47回全国大会基調提案
基調の課題
北嶋 節子
子ども集団づくりがめざす公共性と自治 〜子どもの生きづらさと向きあう
基調提案委員会
若者の働き方の変化が私たちの生活指導に問うもの
高橋 廉
今月のメッセージ
異なる生き方を提起する
浅野 誠
初めての人のために やさしく解説する集団づくり入門 Q&A・小学校 (第5回)
実践構想は、なぜ大切か
井本 傳枝
初めての人のために やさしく解説する集団づくり入門 Q&A・中学校 (第5回)
夏休みのとりくみと九月の実践の再出発
花山 尚人
実践の広場
私の教室
食べる!教室
海野 遥
すぐ使える遊び
「先生、またやろうね!」で大成功
相模 津
授業のアイデア
言葉を愉しむ詩の授業
渡邉 浩一
楽しいイベント
学べた・楽しかった六年性バザー
飯島 幸次
学校は今
学級のリーダーから学校のリーダーに
牧野 幸
通信・ノートの工夫
父母が登場すると通信はますます魅力的に
小早川 裕
手をつなぐ
「親との信頼関係を築く」わたしの作戦?!
久留島 理夫
今子どもたちは
出会いの場はさまざま―朝の読書
児玉 恵
私のオフタイム
銭湯めぐり
大和久 勝
案内板 集会・学習会のお知らせ
北から南から
地域・サークルからの発信 東京・東久留米市
栗原 京子
〜元気の源「こぶしサークル」〜
教育情報
今、現場で何がおこっているのか―「教育改革」の現況
東神 大
読者の声
6月号を読んで
長編実践記録 (第2回)
学級崩壊後の子どもたち
柏木 修
全生研第47回全国大会案内
編集後記
大和久 勝

今月のメッセージ

異なる生き方を提起する

フリー教育研究者 浅野  誠


 これまで主流であったむきだしの物理的な力による管理を伴いつつも、流れ・コースをつくり、それをどんな速さですすむのかを数字で示すような「管理」がさまざまなところで広がっている。それに「自主的」に素早く対応することが求められ、その結果は「自己責任」とされる。「安全」を二の次にして、時刻表通りの運行結果が求められる。こんな流れに沿って働くためには、生きるためには、まるで自分自身を機械のように可能なかぎり性能よく動かしていくしかない。機械になってしまうと、当人は無意識に流れにのっており、そのことを不思議とは思わない。「安全は誰かが考えてくれているだろうし、一%以下の確率で発生する危険など考えていたら、業務が運ばない」などと考えてしまう。

 一九八〇年代から広くみられるようになった「市場原理の貫徹」は、今や安全とかセーフティネットとかを突破して、いろいろなところに入り込んでいる。郵便もそうだし、学校も今やそうなりつつある。そして、家族をも個人をも徹底的に貫こうとしている。市場原理を推進する政策は、有力な原因となっている「働きバチ」構造には手をつけずに、というよりはそれを保障するために、出生率、婚姻率、自殺率などに強い関心を寄せ、それらをコントロールしようとする。そして、セーフティネットの重要な要素である福祉的なことをすべての人に保障するという、八〇年代までかかげていた看板をおろして保障を限定し、階層社会・階級社会をつくりだし、はみだした部分に治安的に対処しようとする。ないしは、異常叩きをする。フリーター叩きが典型である。流れ・コースをできるだけ早く進もうとする「ストレーター」を育てることが原則であり、その原則からはずれたものを「フリーター」と命名して叩くのである。※「ストレーター」については、近く活字化する予定だが、さしあたりは私のホームページhttp://www.mco.ne.jp/~makotoを参照されたい。

 これまでの学校は、こうしたストレーターづくりに深くかかわってきたが、今日それを一層強化する流れが強まっている。学校の営みの大勢は効率至上主義のなかに置かれ、自分自身・他者・社会・自然との関係においての異常状態を、なおも「ガンバリぬく」ことで打開しようとし、教師も子どもも異常を感じとる態勢になかなかなれない。「無理をしていないだろうか」という言葉が陰に隠され、「ひきあげる」「昇る」「走る」といった言葉が多用される。そのため、自分自身・他者・社会・自然との関係も「克服」することに力点がかかり、「呼吸をあわせる」「共生・交流し合う」「休む」「響きあう」「熟する」などということは忘れられてしまう。こうして「右上がり」に「豊か」になるために必死で駆けてきたここ数十年間の「くせ」から抜け出ることが難しくなっている。教育実践も、異質・異常なことに出会ったとき、その異質・異常さをおし隠し、流れ・コースに乗らせることに必死になることが主流になっている。

 生活指導は生き方にかかわる教育実践であり、今日では以上のありようとは異なる生き方を提起・創造することが焦点的課題となっている。といっても、異なる生き方が広い合意を得ている状況にないため、まずは「異議申し立て」からはじまらざるをえない。しかし、たとえ異質・異議をもっていたとしても、流れ・コースがあまりにも強力なため、自分はそれに沿っており、多少「ゆっくり」している程度のものだと思い込みがちで、異議申し立てへとはつながっていきにくい。そこで、流れ・コースに乗らない異質なもの・こと・ひとに出会ったときにはじめて、自己のありようの異常さ、そして流れ・コースの異常さに気づくことが多い。たとえば、日本で学び働くアジア人にあったとき、テストに失敗したとき、病気になったとき、にである。そうしたことをきっかけに、異常さを発見し、異議申し立てをしつつ、これまでの流れ・コースとは異なる新たな生き方を創造することへとつなげていきたい。教師にしても子どもにしても、今日におけるリーダーシップは、この異議申し立てという形からはじめることが多い。私たちの生活指導実践・研究をこうした方向で発展させていきたいものだ。

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