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今月のメッセージ
トラブルを超えて
常任委員 鈴木 和夫
学級崩壊は、「組の崩壊」であって、けっして、「学級の崩壊」ではない。それは、「組」の中に埋め込まれてきた「競争的・差別的な級の露出」ないしは「級の顕在化」である。私たちは41回大会基調でこう提起した。今、学級の現実は、こうした状況に見舞われている。
今、学級は、制度的な「組」が崩壊しつつある。それは、暴力的な表出、いじめ、差別が繰り返される「荒れ」の状況を指すだけではなく、「組」そのものが私化され、トラブルや問題行動そのものが「競争的・差別的級」のアンダーグランドに沈み、なかなか、学級の問題として浮上してこない。特に、グループ内でのいざこざや一対一のトラブルは、周囲の子どもたちにも見えにくく、問題を検討するにも討論するだけの事実が明らかにならなかったりする。また、周囲の子どもたちもこうした問題は当事者間で処理されることを望み、自分は、それに関わることを嫌う。それでいて、うわさ話のたねにする。「あいつはいいね」といいつつ、一方では、「あの人のこういうのって、いやね」と風見鶏のように言い交わし、誰に正義があるのか分からなくなっていく。風聞で特定の子どもがいつの間にか孤立状態になっていく。この風聞は、口コミ、手紙のやりとり、交換日記、メールなどで交わされる相互の交信で広まっていく。「組」はこうしたやりとりの広場になって、私化され、一人一人の子どもがドロ靴で踏みにじられていく。それだけではない。こうした状況がいつの間にか、親同士のトラブルに発展したり、その原因を教師に求め、教師対親の対立に発展していくケースが目立って増えている。
制度的な「組」は元来、子どもの公共的な集団として編成されたにも関わらず、それが崩壊し、私化されても形はおおやけとなって残っている。だから、こうしたトラブルは、子どもたちの問題として検討されず、おおやけを背負っている教師と子ども、あるいは、教師と親として顕在化し、それを上手に処理できない教師が槍玉に上がる。そういう構図をとって、「学級」が「崩壊」していく。
しかし、こうした学級を立て直した実践を見ていくと、バラバラになっている子どもたちの声、要求を拾い、学級に反映させ、学級を言説自由な空間として、子どもたちを参加させ、あるいは、子どもたちの要求を活動として組織し、子どもたちをつなぎ、崩壊した「学級」に参加させ、「組」を立ち上げている。そして、トラブルを学級問題として浮上させ、みんなで話し合い、一定の世論を作り、ルールを決め、そのルールに従って生活する筋道を明らかにしていく。しかし、出来上がった学級はいつの間にか、みんなが優先し、学級そのものが一人一人に対して支配的になっていったり、一人一人の抱えている問題を押し込めてしまう場合も少くない。
公と私、そしてその狭間にある公共を作り出し、一人一人の声と要求が反映する公共空間を作り出そうというのである。私だけの世界でもなく、おおやけの世界でもない、子どもたちが市民として生きていくために必要な公共の世界、言い換えれば、一人一人が個人として尊重され、そのために必要なルールと作法を身につけ、公論に参加していく市民的な公共に開かれた世界を創りたいと思う。そして、それを意識化した子ども、グループとともに自治的な世界=自治的な公共を創りたいと思う。
こうした社会制作を突き出しながら、トラブルを無くすのではなく、トラブルを通して学びあい、それを超えていく価値=平和的に生存していく価値を紡ぎ出していきたいと思う。そして、こうした実践に親をたち合わせ、子どもとともに「平和的に生存する」ことの意味を問い、共に追求していきたいと思う。
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