- はじめに
- 第1章 無駄なことはひとつもない―なるべくして教師になるまで―
- 一 私が出会った教師たち
- 「ようちゃんは、虫博士ね」/「そのおかずはいりません」/「ぼくを落語に連れて行って下さい」/徹底しすぎる実践には、犠牲もある/教育者を目指す
- 二 大学に絶望して、外に光を求める
- 大学教育に絶望して/彼らは誰よりも教育者だった/本当の修行がそこにはあった
- 第2章 いまだったら分かること―幼稚園教師時代に学んだこと―
- 一 男はつらいよ、幼稚園教師編
- 軽い気持ちで幼稚園教師に/最低ラインを死守する/遊びたいなら、「遊びたい」って言うの/子どもで悩み、子どもに救われる/「山田先生自身の問題だよ」
- 二 統合保育の狭間で
- 「預かってもらっているだけでありがたいんです」/「山ちゃん、うまくできたな」
- 第3章 小学校教師修行時代―教師の力量形成とは―
- 一 失敗の連続、それは学びの連続
- 小学校の先生なんて簡単だ/三年目の壁にぶつかる
- 二 またも失敗を繰り返す
- まず、指導を通す/たっぷりと関わる/同じ轍を踏むが……
- 三 教師にできること
- なんでもやれる/見えないものを、見えるようにする/勉強を教えているのではなく/一番肝心なことが分かっていなかった
- 第4章 都会の先生になって―学級通信で自分の指導を振り返る―
- 一 まったく別の世界
- 勝負ができない/フレームの中で質を上げる/よいところを探そう/「自問清掃」と出会う
- 第5章 二十年間で六回担任を外れて―研究部長として仕事をする―
- 一 与えられたことを精一杯すればいい
- なにをしてよいか、分からない/「それは、山田先生の仕事ではない」/当たり前のことを精一杯すればいい/担任の隙間を埋める
- 二 学校づくりの視点を持つ
- 「先生、不思議なことがあるんです」
- 三 研究部長として、学校を動かす
- 「だれも、山田先生の言っていることが分かりません」/すぐに作戦変更
- 第6章 第三極として生きる―自分のサークルを立ち上げる―
- 一 サークル活動黎明期
- 同じ下宿からサークル誕生/見よう見まねで始める
- 二 自分の道は自分で創る
- なんでもありの面白い状況/北の教育文化フェスティバル誕生/ファミリーだっていいじゃないか
- おわりに
はじめに
この「エピソードで語る教師力の極意」シリーズの企画発案者は、なにを隠そう、この私です。東京の日本酒がおいしい居酒屋で明治図書の編集者と堀裕嗣先生と私が飲んでいた席上、提案をさせていただきました。その折、堀裕嗣先生は、「そういう本が出せたら、教育書界に革命が起こるかもしれない」とすぐに賛同してくださいました。そして、主だった執筆者をその場であげられました。はじめ、その執筆陣に堀先生はご自分を含めていらっしゃらなかったのですが、私が「それは、ダメでしょう」と申し上げて、最終的な執筆者が決まったという次第です。
教育技術を学べば、教師としての力量は格段に伸び、教育実践は充実したものになると、私は若い頃信じていました。そして、多くの教育技術を一流の実践家から学びました。ところが、私はその実践家の先生のようになることはできませんでした。
もちろん、一流の実践家から教育技術を学ぶことは悪いことではありません。自分の教育実践を豊かにしたいのなら、まずは教育技術を知ることが必要条件となります。しかし、だからと言って、その一流の実践家が駆使している教育技術をすべて再現し、その実践家のようになれるわけではないのです。
私は、あるとき気づいたのです。一流の教育実践家が、その講座や著書によって披露している教育技術は実のところ、その本人が意識できていることだけに限定されるということに。そして、実践家の実践を形作っているのは、むしろ意識されていないその所作や、教育観、子ども観、また実践家の性格による部分が大きいということにもです。
そうしたその実践家の「人格」としか言いようがないものと、教育技術がマッチしているからこそ、一流の教師は一流として、そこに存在しているわけです。教育技術と教師人格は背中合わせにあるものだというのが私の結論です。また、このことを意識しないで、教育技術だけを切り取って見せたり、論じたりしては、多くの学ぼうとする教師たちに、歪んだ教育情報を与えることになりはしないかというのが、私の最近の問題意識です。
ですから、私が研修会の講座で語る場合や、またどなたかの教育技術論を聞かせていただく場合にも、「その技術は、なぜ必要なのか」「その教育技術は、どのようにして生まれたのか」「その教育技術が、その教師にとってなぜ可能であるのか」といったことに留意するようにしています。
つまり、教育技術と教師人格をまるごと語るときに、はじめて教育情報は価値あるものになると考えているのです。
本シリーズでは、数名の実践家が自分の来歴を、現在身につけている教育の方法、あるいは捨ててしまった教育の方法と、結びつけて語るという手法をとっています。いわば、一人の教師が自分自身の口から、自分という教師をまるごと語るということになっているわけです。あるときは、そのことが教育書としてかえって分かりにくいと感じさせてしまうかもしれません。しかし、ほかの教育書ではほとんどとられていないこの手法は、新しい教育書の読み方を読者に提案するものでもあります。
教育実践家から真に学ぶべきは、その教師の生き様です。なにを体験し、なにで失敗し、成功したのか。そしてどのように学ぼうとしたのか。それらを、読者が目にし、メタ認知することで、読者にとって有効な教育技術や、教師人格も、獲得することになるのでしょう。
山田洋一という教師の学び方を、本書を通じて知っていただき、読者がそれを遙かに超えていかれることを心より願っています。
/山田 洋一
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- 明治図書