- 特集 「教科書・ノートチェック」が実力をつける
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- 単元末のチェックに向けて4つの布石
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- 向山型算数実物ノートと指導のポイント (第17回)
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巻頭論文
算数授業へのこだわり
一般方向が正しければ,欠点は神様が教えてくれる
向山 洋一
ちょっと聞いただけで分ったつもりになる教師がいる。
「ちょっと知っただけのことをやってみて,うまくいなかい。」とガッカリしている人がいる。
こういう人は,謙虚さが著しく不足しているのだ。あるいは,「教師の仕事,教師の技術」をなめているのである。
例えば,「私はテニスができます。コーチもできます。」とか,「私は踊りができます。人にも教えられます。」というのは,どのくらい練習したらできるのだろう。
先生について,1年間かなりまじめにやったとしても,人前で言うのは恥ずかしいだろう。とても,「教えられる」とは言えない。
少なくても,中学校3年間や高校3年間のクラブ活動ぐらいは必要だろう。それだって「少しはできる」というのがせいぜいで,「人に教えられる」とは言えないだろう。「算数を教える」ことは,「テニスを教える」ことよりむずかしいと私は思う。範囲が広いからだ。
それを,1冊や2冊の本を読んで,「自分は上手に教えられる」と思い込んでいる人がいるわけだ。
ラケットの持ち方を教わり,ボールを1日か2日打っただけで,「テニスを教えられる」と信じ込んでいるようなものだ。
謙虚さが不足しているどころか,あまりにも無知といっていいだろう。
「教師の仕事,教師の技術をなめている」と言ってもいいだろう。
教師修業の出発点の心構えがなっていないのだ。
もちろん「向山型算数」を2,3冊読んでうまくいく人もいる。
そういう人は,これまでに長い間算数教育で苦労してきた人だ。「変だ! おかしい!」と思いながら,問題解決学習の中で,もがいていた人だ。
苦労してきただけに,向山型算数の良さがすぐ分る。問題解決学習という反面教師があるだけに,ポイントがよく分る。これまでの自分の授業をザンゲする気持ちが大きいだけに,努力も真剣だ。
そういう人なら,短い時間でうまくいく。まあ,苦労した5年や10 年はあったはずだ。
それが,ろくに努力もしたことのない駆け出しが「ちょっとつまずいた」だけで泣き言をいう。
ボールを打ち始めた幼児が,「ラケットに当たらない!」とベソをかいているようなものだ。
教師修業は遊びじゃないのである。
間違った方向でいくら努力しても腕は上がらない。
基本方針(一般方向ともいう)が,しっかりしていなければ駄目なのである。
北海道へ行きたいのであれば,「札幌方面」の標示に従えば,いつかは北海道へ辿りつく。
山や坂があっても,雨にあっても問題ではない。
ところが,道路がいいということで一般方向を「長崎」にとったら,いくら走っても,いくら努力しても,札幌にはいかない。
途中は楽だが,走っただけ目標から遠くなる。
問題解決学習がこれと同じで,教師はとっても楽だが(研究をしなくていいし,自己変革をしなくてもいい),成果はあがらない。
10 点をとる子どもは,いつまでたってもそのままだ。
教室にいる「5点,10 点の子どもの存在」その子の存在を本気で考えるか,見て見ぬふりをするかで教師の道は分かれる。
どちらの方向が教師として立派だろう。
自分の子どもに,お父さんは(お母さんは)こう考えたんだと自信をもって説明できるだろうか。
それより,自分の良心に(あるいは神様に)心から本気で説明できるだろうか。
「5点,10 点の子どもの存在を見て見ぬふりをする」教師は,本物の教師ではない。
そんなのは,まがいものの教師だ。
本物の教師なら,「5点,10 点の子の存在」を何とかしようとするはずだ。
そして,あれこれ努力してみるはずである。
そして,何をやってもうまくいかず,途方にくれたはずである。
そこで出会った向山型算数。
この実践からは,次々と奇蹟のような事実が生れる。
事実は雄弁だ。
きれいなことばは必要ない。
「私のクラスでいつも5点,10 点をとっていた子が初めて80点をとりました。」という報告。
これが,どれだけ大変なことか,奇蹟に近いことか,教師なら分る。
子どもはさぞうれしかったろう,親はきっと赤飯をあげたに違いない。
教師も,ビールで乾杯したことだろうと,自分までが,うれしくなる。
私は,こうした報告を見るたびに,教師をやっててよかった,法則化を作って良かった,向山型算数を提案して良かったと思う。
基本方針が正しければ,誰だって辿りつくことができる地平なのである。
先輩が通った道を自分も歩くことだ。
多くの心ある先人が努力した道を自分もやってみることだ。
ネジリハチマキで夜も寝ないでやれというのではない。
その反対だ。楽しみながらやればいい。
向山型をやれば,授業はすぐに変わる。
うまくいかない所は,自分の欠点だ。逆にいえば,そこを克服すれば,もっと良くなるのだ。
神様が子どもを通して,「まだ駄目な所があるよ。」と教えてくれているのだ。
せっかくの神様の教えなのだ。ありがたく思って素直に反省すればいい。
このくり返しの中で,腕は向上していくのである。
「授業研究21」誌(明治図書)12 月号臨刊は 「教育技術法則化運動の検証」が特集である。必読の一書だ。
この中には,酒井先生,野口先生,有田先生,大森先生はじめ,多くのすぐれた先達が,どのように技量を上げていったかが書かれている。
酒井先生は,15 年前の私の次の「ツーウェイ編集前記」を読み,「50 代に入っていた私が突きあげるような感慨に打たれた。体がふるえた」と書かれている。
理念で教育を語ることを拒否する。
事実で教育を語ろうとよびかける。
無限定で遠大な「研究の結論」を拒否する。「限定したささやかな確実な結論」を求める。
無意味な形式的なセレモニーを拒否する。
楽しくてのびやかなイベントを創造する。
茨城の桑原和彦と申します。
「向山型算数教え方教室11 月号」では,執筆の機会をいただきありがとうございました。現在4年生を担任しております。いわゆる算数の苦手な女の子がいます。1学期は40点平均。私の力のなさを痛感していました。ところが,2学期になって,「先生,私,算数で100 点取りたい。1回も取ったことがないんだもの。」と言ってきました。さらに「今日お残りしていい? 算数勉強したいんだ。」と続けました。あーなんて健気ないい子なんだ,何とか答えてあげたいと思い,その日に行った勉強を復習し明日の予定のところまで終わらせました。友達が「何で残ってまで勉強するの?」と聞いたそうです。すると「先生が優しいから。」と答えていたそうです。
私が優しいよりも向山型算数が優しいんだなと思いました。それから現在までその子の点数は50 点をさまよったままです。何とか,100 点取らせたい! そのために,このMLで勉強していく次第です。
苦手な子が40 点をとるのは,すごいと私は思う。「50 点台をさまよう」とあるが,私なら50 点をとった彼女を手をとりあって喜ぶ。
「すごい,半分きたじゃない。あと一歩で半分以上だぞ。あとたった1問でいいんだぞ!」
私なら,そう言って,彼女と自分自身の目標を設定する。
「スローガンとしての平均90 点」しか目に入らないから,こうした大切な一歩一歩がおろそかになるのである。
赤石です。
子どもが休んでも授業を進めます。
苦手な子が休んでも進めます。
待ちません。
フォローはします。「昨日休んでいた部分のノートを班の人に見せてもらいなさい。
写し終わったら先生の所に見せにきなさい。」写し終わった子が見せにきます。「写して分からなかったところはありませんでしたか?」心配そうな子なら先生問題みたいな問題を1・2問出します。「すごい!! これなら大丈夫だよ。」
これで終わります。
教科書の問題を全部解き,ノートをしっかり書くシステムができていれば問題ないと思います。
プリント学習ではこうはいきませんね。
その通りである。1人や2人休んだ子がいるからって,授業を進めない教師の気が知れない。子どもを,そんなに「ヤワ」に考ていては駄目だ。かんで含めるような温室育ちでは駄目だ。ていねいにテンポよく教える。
しかし,「待たない」ことも必要なのである。後から,フォローをすればいいのだ。
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- 明治図書