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巻頭論文
算数授業へのこだわり
生徒の暴力に支配された学校の校長による向山型算数への批判
―生徒を調教さえできなかった教師のタワゴト―
向山 洋一
山梨県の組合教研で青年教師が,向山型算数の提案をした。
全国的に見れば,組合は四分五裂して弱体化しているが,10県ほど,「ほぼ全員が組合員」の所がある。福井がそうだし,山梨もそうだ。
東京,福岡,大阪,北海道の常識で組合を考えると,全く異なる現状がある。
まあ,全員参加の共済組合のようなものだと考えた方が,現状に近い。
山梨の青年教師は,「子どもの平均点は上がる」,「親から感謝される」「できない子ができるようになった」という事実をもとに発表したわけだ。
ところが,講師であった元自由の森学園校長の木幡寛氏が,強烈な批判をし,そのことを自分の著書の中に書いた。
「生徒を調教しているようだ」というわけである。
青年教師は,「向山先生に申し訳ない」「仲間に申し訳ない」ということで,「サークル活動から身を引く」旨を,MLで流した。
私は,すぐに返事を書き,「前途洋々たる青年教師が,木幡寛氏ごときの言で,道を諦ることはない。彼は,生徒を調教することさえできなかった教師なのだ。」と書いた。
正しいことを,事実をそろえて主張しても通らぬこともある。いや,通らないことの方が多いといっていいだろう。
若ければ,若いほど怒りも強い。
なぜ分らないのか! なぜ事実を見ないのか! しかし,事実と認めれば,「それまでの自分を否定」しなければならない。
誰でも自分はかわいい。
だから,あれこれ理屈をつけて,文句を言うのである。
このような文句は,ひどいことだが,それなりの役割りはある。
それは,若者は,そうした批判をのりこえることで,鍛えられるということだ。
強くなるし,深く考えるようにもなる。
何かの主張をする時に,あちらにぶつかりこちらで波が立つのは,当り前のことだ。
主張するのが若さであり,ぶつかるのが若さだ。
時には,正真正銘の敗北もあるだろう。
当然のことだ。人生で,「すべてが勝ち続ける」などというのは,あり得ないのだ。
8勝7敗なら,上々。9勝6敗なら大関クラス。10 勝5敗など,横綱のみが許される境地なのだ。
勝負とは,上に行けば行くほど相手も強くなるから,駆け出しのケンカとは違って,いつも勝てなくなるのだ。
私自身は,9勝6敗ぐらいでいいと思っている。
小さい勝ちは拾わないようにしている。1年に1,2度,パチンコ屋に入るが,時として,ジャラジャラ出ることがある。
私はそれを,まわりのおばさんにあげてしまう。「パチンコで運を拾って,どうするんだ。」と思うわけだ。もう30 年近くも,続けている私の生き方だ。
電車が終点につくと,棚に新聞やら週刊誌が置いてある。「そんなの拾うな。小さな運を拾ってどうするんだ。」と,私は20 年近く前の本の中にも書いた。同じことである。
山梨の青年教師は,まわりの仲間とも話し合い,すぐに元気になった。
木幡寛氏ごとき人間の無責任な一文で,青年教師の行方が左右されてなるものかと思う。
木幡氏は,平成11 年「文芸春秋」8月号に手記を書いている。
タイトルは次の通り。
= 元校長 敗北の記 自由の森学園は暴力に支配された=〈日本の教育を変えるとまで期待された学校の実態は――。
タバコを吸う。掃除をしない。授業に出ない。そして暴力。何でもありの自由には,もう,うんざりだ〉
このタイトルだけで中味は,分るだろう。木幡氏は,自由の森学園創立の発起人の1人だった。初代校長遠藤豊氏とともに,明星学園をとび出して,自由の森学園を創った中心人物である。
それまでは,「ひと」誌の中で,実践を発表していた。
「ひと」は,法則化批判の特集を何度か組み,そしてつぶれてしまった雑誌である。
創立者の1人であって,かつ校長を3年やったのである。
その責任は重い。
しかも,生徒を見捨てたのだ。
手記の中で,木幡氏自身が書いている。
「校長まで努めた自由の森を途中で見捨てたのは事実です。」
「教師として,その罪,万死に値する」と,私は思う。その覚悟で,再建を続けるべきなのだ。倒れるまで,止めろと言われるまでである。しかし,彼は,逃亡した。
自分で創り,自分が勤務し,自分が校長をしていた学校を,「タバコを吸う,掃除をしない,授業に出ない,そして暴力」が支配する学校と言って逃亡したのである。
彼は,校長として「タバコを吸わない」「授業に出る」というような,ごく当り前の学校さえ作れなかったのである。
3年も校長をしてだ。
「学校でタバコを吸わない」「授業に出る」などということは,「学校」として,当り前の基準だ。
そんな,最低限の学校さえ作れなかった元校長が,青年教師の実践を「生徒を調教している」とあざ笑う――こんなことが許されるか!? 彼の手記を,もう少し引用しよう。
自由の森では授業に出席するもしないも結果的に自由になってしまいました。高校の出席率は三分の一程度,良くて二分の一でした。いつしか無断遅刻や無断欠席が平然とまかりとおるようになりました。チャイムは虚しく鳴るばかり。出席しない生徒が校内のあちこちでたむろしていました。教師が注意しないから,授業中に何をしても平気。寝そべろうがトランプをしようがお構いなしになる。注意するのが,教師として当然だと思うんですが,注意する人も少なくなっていった。注意することが生徒の自由を奪うとでも感じているかのようでした。自由という理想に手足を縛られ,なし崩し的に学校生活は乱れていき,教師は生徒に対して腰が引けていきました。
授業の出席率は1/3 である。これは,もう学校の体をなしてない。
こうして「自由」が「何でもあり」になっていき,生徒が分断されてくると同時に,力の強いものが暴力を武器に学校を支配する傾向が出てきました。暴力沙汰や盗難事件が頻繁に発生し始めた。
教育が無いところでは,弱肉強食の原理が支配する。犯罪が起こる。
暴力が支配し,盗みが次々と発生したのである。最悪の学校だ。
自由の森に通信簿はありません。前期,後期の終わりにレポートを書いてもらい,その期の自己評価をつけてもらう。それに教員がコメントを書いて渡すというスタイルです。中間テストとか期末テストはしません。ペーパーテストでないと測れない能力もあるので,授業の区切りでテストを使うこともありますが,その評価が絶対ではありません。勉強はできても,できなくても進級できます。勉強が足りないと思われる生徒には留年を勧めることもありますが,親子で反発されるのが落ちでした。学んでないというのがわかっていても,留年にはなりません。つまり,学んでいなくても学んでますよという形を泥縄的に作れば,進級することができるということです。
授業に出席しないのみならず,定期テストもしないのである。
「レポート提出」と「自己評価」で進級させるわけである。
こんな学校の校長に,「できない子に80 点,90 点をとらせよう」「クラス平均を90 点以上にしよう」「すべての子に算数が楽しい」と言われるように「基本の学力を保障する」ようにしようという向山型算数が分るわけがない。
彼は,中間テストもないような学校をつくり,生徒の2/3 がサボリ続けるような学校を作り,校長を最終的に逃亡した教師なのである。
そんな教師に,前途洋々,これからの日本の教育界を背負っていく青年教師の実践を批判する資格はない。「顔を洗って出直してこい」というのが私の正直な気持ちである。
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