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巻頭論文
算数授業へのこだわり
何事にもよらず,革命または改良ということは,必ず新たに世の中に出てきた青年の力である
正岡子規
向山 洋一
向山型算数に対する,いわれない中傷があるそうだ。
時には,校長をはじめとして「学校ぐるみ」の犯罪的な行為の時がある。
これが教師かと思えるような知性と品位なき悪口雑言にあう時もある。
若い教師には,耐えがたいことかもしれないが,「悪口雑言」にも役割はある。
悪口雑言によって,傷つき離れる人がいるかもしれない。
しかし,悪口雑言によって「なにお」と気を引き締める人の方がたくさんいる。
「悪口雑言」の一つ一つに反論し,自分の実践を振り返り,確かめてみることになる。
これまで以上に,すばらしい実践をしようと決意する人も多いだろう。
つまり,悪口雑言は,「向山型算数」をやる人を鍛えてくれるのだ。
一つは,自分の実践を振り返ることによって。一つは,更なる前進を決意するということによって。
画期的な実践が,すんなりと受け入れられたことなど,これまでにほとんどない。
幾多の非難,中傷をあびせられるのが普通なのである。
いかに,事実を示してもだ。
なぜなら,画期的方法は,古い人々のこれまでのすべてを否定することだからだ。
それまで正しいと信じてきた指導と方法。
それが根こそぎ崩されるからだ。
ましてや,新卒や駆け出しの教師に主張されては,腹が治まらない。
声高に否定の意見を言いたくなる。
馬鹿で,勉強不足の人間ほど群れたがる。
たった一人の教師に,よってたかって非難をする。
駆け出し教師が,一言二言「反論」「質問」すれば,それこそ蜂の巣をつっついたような大騒ぎになる。
勉強不足の教師は,群れをつくることで,上が言うことを取り入れることで,世の中を渡ってきた。
それが,こともあろうに駆け出し教師が,「質問」をする――彼らには理解できないのである。
知性豊かな駆け出し教師の評価の基準はたった二つだ。
「子どもの事実」と「腹の底までの手ごたえ」そんなことを考えたこともない彼らには小生意気なへ理屈に思えるのだ。
「子どもの事実」など考えないで,教師生活を送ってきた。
「きれいな言葉」を散りばめて発言すれば,現実はどれほどひどくても,まわりからチヤホヤされた。
私たちとは,文化が違うのである。
そのように理解しておくことなのだ。
しかし,「事実」と「手ごたえ」は,ジワリジワリと押しよせていく。
中には,まじめな先生もいて「私もやってみました」という人も出てくる。
そして,一人,また一人と広がっていくのである。
そうなるまでの時間が,教師として鍛えられる時間なのだ。
次のような便りをもらったが,これも一つの例である。
研究授業をしたところS県石本
私は今週研究授業で向山算数の授業をしました。
事前研のときから研究主任は「こんなのだめ」というばかりで,授業方法については平行線のままでした。
授業(3年)中には,子どもの横で,首をかしげながらのヒソヒソ話。指導主事は影で「あんなだらだら計算だけの授業…」と非難していたそうです。
「確かに授業はだめだったけど,子ども達のあの真剣な表情を観たのか?」「校内の問題解決の授業と比べて子どもが授業に参加していたのはどっちだ?」「一生懸命がんばった子どもに失礼だ。」と思いながら事後研究に望みました。
予想通り授業方法に対する非難ばかり。「私には抵抗がある。」「こんなんじゃだめだ。」「普通のやり方でやれ」「力がつかない」と一方的に言うばかり。こちらが「子どもが算数を好きになり」「テストの平均点もぐんと上がった」という事実を言っても聞く耳を持ってくれません。
では,問題解決学習というのは子ども達にどれだけ力をつけているのでしょうか?自分がしている授業を受けている子ども達の姿を見て,これでいいと思っているのでしょうか。自分のしている授業方法に疑問を持ったことは無
いのでしょうか。
問題解決学習で,「これだけ力がついているんだ。」という事実をいう人は誰もいませんでした。
次の日職員会議で校長が,「初任者は基本的なことをしろ」といったので,会議の後「基本的なこととはなんですか?」と聞いたところ「昔からある普通の授業のことだ。ここは公立の学校ですよ。分かりますか?好きなことをしたいのなら塾を開きなさい。この学校の一員であることを忘れるな。」全く話になりませんでした。
ショックでした。子どもに力をつけたい。算数を好きにさせたいという気持ちでやってきたのに,考えさえも聞いてもらえません。
一人で闘うのは疲れます。周りの誰も理解してくれないのは苦しいです。早く違う学校に行きたい気持ちにもなります。
そんなとき『向山型算数』誌を読むと「絶対負けないぞ。子どもの事実で勝負してやる」という気持ちになります。もっともっと力をつけて,一人でも,向山型算数の授業をみとめてもらえる様にがんばろうと思います。
全く話にならなかったので「ショック」だそうだが,甘い。
ひどい学校は,どこにでもある。
しかし,この校長はひどい。
「公立学校における普通の授業」とは,「教科書を使って,教科内容を定着させる授業」のはずだ。
「子どもが算数が好き」になって,「前より向上した」のなら,言うことはない。
それを「止めろ」という。
公立学校の管理職として,著しく識見を欠いている。
問題にされるべきは,「校長の指導」だ。
この若い教師の報告に,現在の日本の教育の問題点を見ることができる。
第一に,子どもに「基礎学力をつける」ことに全く関心がない。
第二に,「子どもの事実」を見ようとしない。テストがないがしろにされている。
第三に,「子どもが算数が好きになった」「前よりできるようになった」という重大な変化を見ようとしない。
第四に,「一問グチャグチャ指導の問題解決学習」を,力づくで押しつけようとする。
第五に,「きれいな言葉」で,自分の主張を述べようとする。きれいな言葉は,「グチャグチャ姿」を隠す「厚化粧」だ。
第六に,誰一人として自分の実践を出して反論しない。
第七に,指導主事と校長と研究主任が,つるんで,学校全体をひきまわしている。
本誌読者の中にも,問題解決学習の人もいるだろう。気になって立ち読みしている人もいると思う。
「問題解決学習」をやっている学校の多くはこのようなものなのだ。
元気で熱気ある勉強熱心な若い教師を説得することができないのだ。
そういえば,問題解決学習の全国大会で,幹事の先生方が立ち話をしていた。
「駄目だ。こんなことをやっていては,若い人は,みんな向山さんの所へ行っちゃう」全国的リーダーだけあって,ことの本質をつかまえている。
向山型算数は,圧力ではつぶれない。かえって強くなる。
向山型算数をつぶすには,「問題解決学習がすぐれた実践を創れ」ばいい。
目安は一つでいい。
「これまで,算数テストで5点10点しかとったことがない子が,50点60点,時には90点,100点をとるようにすること」これだけだ。
私は,「問題解決学習」のクラスで,全国でたった一例でいいから示してほしいと言い続けている。子どものテスト,ノート,親の手紙などを証拠に示してほしいのだ。
しかし,未だにたった一つの実例も出ない。
向山型算数では,何百例も何千例も示せるのだ。だから,心ある教師をひきつけるのだ。
「続・授業の腕をあげる法則」で私は書いた。
(法則化運動を向山型算数に置きかえるとピタリあてはまる。)
法則化運動は歴史の必然において,明確に誕生したのである。
「厳粛に滅びつつある」,「役割を終えた」先輩の方々には不評のようであり,口ぎたない批難をコソコソとされている方もいる(もちろん,支持し応援してくださる先輩も数多くいる)。
しかし,どれだけ口汚く批難されようとも,「生れるものに生れるものの必然がある」のである。法則化運動は,更に発展するだろう。
知性的な青年教師の圧倒的多数がここに参加をするだろう。
一部先輩には申し訳ないことだが,これが時代の要請なのである。
私たちは,口汚く批難される先輩には,厳粛に滅んでいただくまでお相手をしようと覚悟している。
何事にもよらず,革命または改良ということは,必ず新たに世の中に出てきた青年の力であって,従来世の中に立っておったところの老人が説をひるがえしたために革命または改良が行なわれたという事は,ほとんどその例がない。
正岡子規『病牀六尺』
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- 明治図書