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巻頭論文
算数授業へのこだわり
教科書使用義務違反をそそのかす算数問題解決学習を推進する教師達!
―あまりのひどさは,いずれ法で裁かれる―
向山洋一
問題解決学習の犯した犯罪的行為等を糺し,傷められ傷ついた多くの子どもたち,とりわけ「反抗挑戦性障害」という二次障害までに至った障害児を救うのは,日本教育界の目下の急務である。
何百,何千という子どもたちが「反抗挑戦障害」にまで至り,専門医のもと,回復の指導になるまでに至った原因の多くは教師が負うべきであり,とりわけ「問題解決学習」の教師は,その責任の大半を負っている。
彼等は,何よりもADHD,LD,アスペルガーなどの障害について無知であった。
問題解決学習の研究,実践には全く登場してこない。
しかし,ほとんどの教師にこうした「障害児」,「グレーゾーンの子」は存在する。
子どもは,「分らない」「いやだ」「できない」と反抗したはずである。なぜこうした子どもの声に耳を傾けなかったのか?
なぜ一人一人の子どもの特質に注意深くしようとはしなかったのか。
子どもの異議申し立てを全く無視し,弾圧さえ加えてきたのが,問題解決学習を推進する教師達であった。
「問題解決学習」では,「できない子はできるようにならない」「できない子はできない子のままだ」と悩み,教科書の活用による指導で活路を見出した青年教師を,校長室に呼び出し,「圧力をかけ,おどして」教科書使用の禁止を申し渡してきたのが,問題解決学習を推進する教師達だった。
特に,附属算数部とその出身は悪質だ。授業は下手で,子どもの事実を作れないのに「問題解決学習」を旗印に,まじめで熱心な教師を弾圧しているのである。
日本中に何百も何千も起きている事実だ。
そこには,教師として,子どもを預かるという謙虚さがない。大切な日本の財産を預かっているという謙虚さがない。
問題解決学習を推進した研究者は,日本の教育界をこんなにデタラメでメチャクチャなものにしたかったのだろうか。
国家権力の座にあるものは,主として教育制度,枠組について力をそそぎ,教育内容への介入については制御しなければならないという考えは,戦後教育の大切な柱だった。
学問研究の自由の中に,その真理性を保障していこうというのが憲法の精神である。
ところが,「算数の問題解決学習」は,国家権力のもとにいた人間,それを支える指導行政の人間が,一つの教育方法,内容を選択し「公権力」を使って,全国に広めようとする異状な形になっている。
これが,「算数の問題解決学習」の強さのいわれである「公権力」の介入なのだ。
だから,弱さを持っている。それは,「事実」「真理」の前には無力だということだ。
文科省の専門官といえども,校長,指導主事といえども,ましてや附属小教官といえど「事実」と「真理」の前には,抗う方法はないということなのだ。
それが「科学」であり,「学問」であり「近代精神」なのである。
なぜ,「向山型算数」が広がるのか。
なぜ,かくも大量の教師が「問題解決学習」から「向山型算数」へ脱走してくるのか。
それは心ある教師は「嘘を嫌い」「真実の下に生きたい」と思っているからである。
なぜ,校長,指導主事,研究主任が圧力をかけても青年教師は,「向山型算数」を止めないのか。
「できない子ができるようになった時の子どもの笑顔」を知った教師は,「これこそ自分の選んだ教師の道だ」と実感するからである。
校長以下,よってたかって「おどし」「弾圧」するなど,人間の心をなめている。
そんなことで,人の心は動かないのだ。
問題解決学習の教師が,「こうすると,できない子ができるようになるよ」と見せてくれれば,「子どもの笑顔」を見せてくれれば,「問題解決学習もいいな」と思ったのである。
しかし,問題解決学習を推進する人で,そういう教師は一人もいなかった。日本中でゼロ。向山の悪口だけを言ってるだけだった。
これでは,人は動かない。
教師は,「子どもを教える仕事」に夢を持って,この仕事についた人が大半なのである。
再度言おう。
教育は,「子どもの事実」を指標として行われなければならない。
「一つの思想,一つの考え」を指標に,教育を支配してはならない。特に「公権力」あるいは,それに準じる「公的権力」を持つ立場の人は,注意深くなければならない。
このタガをはずすとき,その悪影響は広く全国に及ぶ。
「算数の問題解決学習」は,戦後,最悪の影響を与えつつある。
中心になっている教師が,「公権力」に近い人々であり,「公権力」を間違って公使しているため,その悪影響は,深く広い。
「算数の指導に教科書を使うな」と,校長や指導主事が押しつけているのだ。
教科書を使う青年教師に,「使うな」とよってたかっておどしているのである。
これは,明確な法律違反だ。
元文部省初中局長の菱村幸彦氏は,『教育課程の法律常識』の中で,次のように書いている。
「教科書については,使用義務がある。学校教育法21 条は,小学校においては,文部大臣の検定を経た教科書図書又は,文部大臣おいて著作権を有する教科用図書を使用しなければならないと規定する。」
こんなの当り前のことだ。
なお,教科書を使用しないで使用義務違反が問われた伝習館高校事件では,裁判所は次のように判決を下した。
「学校教育法第21 条1項は,検定又は著作教科書がある場合には,教師は当該科目の教育活動において,必ず教科書を教材として使用しなければならず,使用される教科書は検定教科書か文部省著作教科書でなければならないことを規定したものである,と解するを相当とする。
学校教育法第21条が教科書使用義務を規定している以上,教師が当該科目の授業において,教科書を教材として活用せず,教科書以外の副読本や資料集その他の教材のみを用いてなした教育活動が,客観的にあるいは結果的に教科書内容に相当してる場合であっても,それを目して教科書を使用したとはいえない。」
判決は,このように明確だ。
「問題解決学習」の教師は,「教科書を使用するな」と圧力をかける。
しかも,自分達は「プリント」のみで授業をして,教科書の練習問題などを宿題に出す。
教科書は,まるで使わないのだ。
算数の問題解決学習の研究授業では,誰一人教科書を使わない。授業中,教科書は机の中に入れたままで,一度も机に出ない。
これは一部の教室のできごとではない。
北海道から,沖縄まで,全国津々浦々,日本中の教室で生じている事実だ。
附属の公開発表も,教科書など全く使っていない。使わないことがいいのだと発言している。そのかわりプリントを使う。しかし,プリントは教科書の代わりにならない。どれだけ教科書の内容と同じといえども,それは教科書の代わりにはならない。
判決が言う通りである。
私は,あまりにも「問題解決学習推進の教師」が「教科書を使うな」と青年教師を弾圧するので,そんなことを続ければ,「指名して批判する」と予告した。あまりにもひどい場合は,裁判にかけると予告した。
私は,冗談で言っているのではない。
かつての「伝習館事件」は,たった九州の一つの学校のことだった。それが,大事件にされた。
しかし,「算数の問題解決学習」の「教科書使用義務違反」は,日本中に及んでいる。
証人は,山ほどいる。子どものノートを見れば,すぐに分ることだ。
算数の問題解決学習の教師が,「子どもの事実」を大切にし,「向山型算数」で生じた事実を素直にうけとめ,その内容について吟味,批判していただけたらと思う。
最後に,教育基本法第10 条を引用しよう。
「教育は不当な支配に服することなく,国民全体に対して直接に責任を負って行われるべきものである。」
「教育行政は,この自覚のもとに,教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。」
教育の外的事項を整備するのが,教育行政の中心任務だ。管理職もここに連なる。
教育は,「国民に直接,責任をもって行われるべきもの」なのである。
この自覚がない校長が最近ふえてきた。内容に過度に口を出し,自分の思いつきで教育内容,研究内容を支配しているのである。
それは,教育基本法の定めに反している。
学級崩壊のような時の指導ならいざ知らず,子ども保護者に感謝されている指導法で強引に変更させるようなことは校長はすべきではない。やるのならよく納得するよう話すべきなのである。
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- 明治図書