- はじめに
- 「私,絵を描く授業が苦手です。」
- T 「先生,簡単な場所,ない?」
- 写生での生徒たちの心の叫びに耳を傾ける
- 1 写生における「描くところ選び」問題
- 2 「描くところ選び」の生徒の三つの視点
- 3 「描くところ選び」の「三つの視点」に対する指導のポイント
- 4 五感で「感じ取る」ことのできる環境設定
- T−1 小学校・中学校・高等学校 漁港の「におい」を描く
- T−2 小学校・中学校・高等学校 学校の光と色のウズ
- T−3 中学校・高等学校 駅に流れる風(木版画)
- T−4 中学校・高等学校 アニメ「私物語」の背景画
- T−5 中学校・高等学校 異空間を描く
- T−6 中学校・高等学校 動詞(どうし)ようもある風景
- T−7 中学校・高等学校 自転車に乗って
- T−8 高等学校 第二の人生に光をあてる
- U 「先生,どうすれば上手な絵が描けるの?」
- 児童・生徒と一緒に「価値」をつくる授業
- 1 上手な絵を描きたい
- 2 教師と子どもたちとの「上手な絵」の二つの「ズレ」
- 3 先生は「わかってくれない」のだから
- 4 誰にとっての「上手な絵」だろう
- 5 「上手な絵」の価値を生徒と一緒につくる
- 6 「社会の中での評価されること」って
- 7 「ありがとう」と評価される経験から始まる
- 8 コンクールに参加するための二つの条件
- 9 児童・生徒と共に「価値づくり」のための授業
- U−1 小学校 私の体を操縦する
- U−2 小学校 大きな口をのぞいたら
- U−3 小学校・中学校・高等学校 火の鳥
- U−4 中学校・高等学校 国をつくるぞ!!
- U−5 中学校・高等学校 心のナビゲーションシステムで○○を案内する
- U−6 中学校・高等学校 色彩の怪人
- U−7 高等学校 機械文明に生きる
- V 「先生,ピカソは上手なの?」
- 巨匠ゴッコが文化をつくる
- 1 ピカソはどうして有名なのか
- 2 本当はスゴイんだゾ!
- 3 「巨匠ゴッコ」をしてみよう
- 4 ゴッコ遊びで大切なこと
- 5 はじめっから言い訳しましょう
- V−1 小学校・中学校・高等学校 脳の中をコラージュ
- V−2 中学校・高等学校 平面のウエーブ
- V−3 高等学校 私は何人いればよいのでしょうか
- W 「先生,よく見えません」
- 「よく見てみる」ってどういうことかを考える
- 1 「よく見てごらん。」VS「先生,よく見えません。」
- 2 カメラより,顕微鏡より,望遠鏡よりスゴイものが人間には見えるのだ
- 3 よく見ると何が見えますか
- W−1 小学校 どこまで見えるかな(私の目が顕微鏡)
- W−2 小学校 鳥にもっとすごい翼を
- W−3 小学校・中学校・高等学校 私だけの妖怪が生まれる
- W−4 中学校・高等学校 私の目は万華鏡
- W−5 中学校・高等学校 生命のカラクリ
- おわりに
- 「今のウチの学校でそんなにうまくいくわけないだろがっ!!」
はじめに:「私,絵を描く授業が苦手です。」
「私,絵を描く授業が苦手です。」
こんな大胆な発言を聞くことが多くなりました。正直な発言といえばそれまでですが,あまりに正直すぎます。「え,何で,何で…」と思いながら,どうしてこんなことになってしまったのだろうと悩んでしまいます。
「そりゃあ,絵の嫌いな児童や生徒はいっぱいいるに決まってるじゃないか。そりゃあ,当り前ですよ。」
たぶん,本書をご覧のみなさんはそのようにおっしゃると思います。
「そんなことでいちいち悩んでたら身が持たないよ。」って。
そりゃあ,そのとおりです。確かに,児童や生徒に「絵を描く授業が嫌い」と言われたくらいでイチイチクヨクヨしていては美術教師としての心が持ちませんし,そのような「絵を描く授業が嫌い」的な子どもたちに美術を楽しんでもらうことが私の仕事です。それはよくわかっているつもりです。悩むどころか,むしろ「腕がなるぜ」って思うくらいです。私が問題としているのは,この大胆な発言は児童や生徒からではないということです。
つまり,「美術教師による発言」だからなのです。
実は,かく言う私も,ちょこっと「子どもお絵かき教室」の先生,中学校と高等学校教諭,および,大学の講師合わせて「20年」と,何処に出しても恥ずかしくないくらい中途半端なキャリアの美術教師です。そんな中途半端が言うのもナンですが,確かに児童や生徒に絵を楽しんで描かせることが「難しくなってしまった」というのは私自身も大いに感じているところもあります。
では,なぜ,絵画指導に苦手意識をお持ちの先生方が増えたのでしょうか。
その理由はたくさんあると思いますが,単純に授業時間数自体が大きく減ってしまったことは事実です。ほんの20年前まで,図工や美術と言えば2時間続きだったのに1時間だけになってしまいました。だから,絵の具の準備と片付けだけで,時間が終わってしまうなど,ニッチモサッチモいかない状態です。しかし,絵画指導が難しくなってしまった根本的な原因は「時間」ではなく,違うトコロにあるように感じています。
では,「違うトコロ」とはどこなのでしょうか。私にも具体的にはっきりとわかりません。しかし,その場所を見つけ出す鍵は「子どもたちの言動の中」に発見できるということだけは,はっきりしています。なぜなら,教育活動とは,「未来の可能性に向かう」目の前にいる子どもたちに寄り添うことだからです。ですから,美術教師による「絵の授業が苦手」発言解決の糸口も,子どもたちと共に過ごす「ちょっとした言葉」や「ヒョンな行動」から見えてくると思っています。
本書では,絵画の指導の実例をいくつか交えながら,どうすれば「絵の授業」が教師にとっても,子どもたちにとっても,楽しくなるのだろうということを考えていきます。これまでの私自身の生徒たちとの関わりの中から「アーデモナイ,コーデモナイ」と考えてきた絵画の指導方法を「俎上の鯉」にして,お読みになっておられるみなさまと,もう一度「アーデモナイ,コーデモナイ」の呪文にかけたいと思います。そうすることで,もしかしたら,絵画の授業で,子どもたちとの新しい楽しみ方が生まれるかも知れないと,私自身が期待しています。
みなさまも,もしよろしければ,ご一緒に「絵画の授業」を楽しみませんか。
2013年5月 /清田 哲男
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- 明治図書