- まえがき
- 序章 エピソードで語る教師力
- 第1章 新卒時代の肖像
- ―礎(いしずえ)
- 一 教師が素の人間として生徒を愛すことは善か悪か
- 二 たとえそれが教育と背馳したとしても
- 三 子ども時代の自分と教師としての自分と
- 四 再び、教師が素の人間として生徒を愛すことは善か悪か
- 第2章 学生時代の肖像
- ―弔辞
- 一 観の確立と、感性の陶冶と
- 二 機能し切ること、未来に開かれていること
- 三 新しい「大きな物語」を探し求めて
- 四 メタレベルの視座を生活世界内に投げ返す
- 五 度しがたい軽薄な兆候と、こっけいなアナクロリズムと
- 第3章 演劇部顧問の肖像
- ―「君をのせて」(堀裕嗣作・一九九五年)
- 一 教師は生徒たちの人生にどこまで責任をもてるのか
- 二 自己愛によるエゴイスティックな構造に陥ってはならない
- 三 悪ではないが善でもない、ただし、罪を犯すことが少なくない
- 第4章 「研究集団ことのは」代表の肖像
- ―研究集団ことのは
- 一 一年半を費やした仕事は失敗に終わった
- 二 「研究集団ことのは」の曲折はすべて自分に責任がある
- 三 再び、ただの中学校国語科教育の研究サークルに戻る
- 四 書けば書くほど、書くべきことは増えていく
- 五 学びはできるだけ「異質なもの」を対象としなければならない
- 第5章 振り子論者の肖像
- ―学力形成派と人間形成派
- 一 最初の卒業生に喪失感より充実感を感じて
- 二 あっちの水の甘さを知ってこっちへ戻ると更に甘くできる
- 三 「学力形成」派の本質は「割り切ること」である
- 四 再び振り子を振らなければならないそんな想いに駆られる
- 第6章 メタ認知論者の肖像
- ―夏期研究集会に参加して
- 一 教師としての問題の本質は「他者の不在」である
- 二 自己と他者を見出し、その構造を思考させ表現させる
- 三 自分自身の認知過程をモニターし制御する
- 四 「成長せよ」と「そのままでいいんだよ」と
- 第7章 学年主任時代の肖像
- ―「うらやましい」と言われたこと
- 一 私の若手育成は自分本位の打算から始まった
- 二 再び、メタレベルの視座を生活世界内に投げ返す
- 三 「チーム力であたる」は私としては苦肉の策だった
- 四 リーダーは若手に成長実感を保障しなければならない
- 五 教師人生にも往路と復路がある
- 終章 再び、エピソードで語る教師力
- あとがき
まえがき
ここ数年、幾冊もの書籍を上梓させていただきました。内容はどれもこれも私一人では決して到達できなかった、多くの方々との共同作業で形づくられてきたものばかりです。また、これまで関わってきた生徒たちを抜きにしては考えられなかったものばかりでもあります。「エピソードで語る教師力」として一書をまとめよということは、そうした“人との繋がり”を綴れということなのだと感じています。
確かに私は二十年余りの教師生活において、幾多の先達と出逢い、数多の影響を受けてきたという自負があります。また、多くの若手教師たちとも日々関わり続けています。職場だけでなく、サークルや研究会など、一般の教師が経験できないような多くの出逢いを経験してきました。既に鬼籍に入られた方から現役の教員養成系大学の学生に至るまで、多くの出逢いと学びとを経験してきました。その出逢いと学びから私の得たものを綴れということなのだとも感じています。
本書は「新卒時代」「学生時代」「演劇部顧問」「研究集団ことのは」「振り子論者」「メタ認知論者」「学年主任時代」という七つの章からなりますが、すべての章の冒頭に、エピソードを綴った当時の私の文章を掲載し、それを解説していく形で語り進めていきます。また、私の当時の問題意識が読者の皆さんに伝わるように、できるだけ具体的に出来事を語っていくことに努めました。加えて、その時々の教育活動に用いた曲、或いはその時代に私がよく聴いていた曲を紹介し、当時、私と付き合いのあった方々には「ああ、あのときの曲だ」とわかる、そんな趣向も凝らしています。
そうした私のこだわりが成功しているか否かは読者の判断に委ねるしかありませんが、私としては精一杯、書けることについては書いたつもりです。どうぞ御笑覧いただき、御批正いただければ幸いです。
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- 明治図書