- まえがき
- 第一講 〈HOW〉から〈WHY〉へ転換する
- 一 〈HOW〉の問い
- 二 〈問い〉のさじ加減
- 三 一億総〈HOW〉病
- 四 〈WHY〉の問い
- 五 潜在を顕在化する問い
- 六 〈世界観〉を広げる問い
- 第二講 〈明後日の思想〉で考える
- 一 教師の業
- 二 絶望的な顔
- 三 今日でも明日でもなく、明後日
- 四 〈引き〉の視点
- 五 一つの例外
- 第三講 〈学校的リアリズム〉を体現する
- 一 日本人の特性
- 二 学校独自のリアリティ
- 三 きれいごとであることの自覚
- 四 嘘をつく職業
- 五 〈学校的リアリズム〉の体現
- 第四講 〈織物モデル〉を指標とする
- 一 〈織物モデル〉の効用
- 二 〈織物モデル〉の縦糸
- 三 〈織物モデル〉の横糸
- 四 〈織物モデル〉の縦糸と横糸
- 第五講 〈人柄志向〉から〈事柄志向〉へ転換する
- 一 心でっかち
- 二 まあ、ご愛敬
- 三 起こった事実
- 四 身に纏うオーラ
- 五 〈人柄志向〉と〈事柄志向〉
- 第六講 〈補助線型思考〉を体得する
- 一 現実的に有効な対応
- 二 〈前向き〉な仕事と〈後ろ向き〉な仕事
- 三 〈邪悪肯定論〉の補助線
- 四 〈補助線型思考〉の体得
- 第七講 〈指導主義〉から〈感化主義〉へ転換する
- 一 〈上機嫌〉でいること
- 二 口ほどにもの言う背中
- 三 ストレスを回避する日常
- 四 前─知性的ななにか
- 五 「教え方」と「在り方」
- 第八講 〈十割主義〉から〈六割主義〉へ転換する
- 一 張り詰めない仕事のしかた
- 二 「まかせる」と「押しつける」
- 三 関数としての仕事
- 四 更新し続けること
- 五 ゆるく設定される到達点
- 第九講 〈先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし〉の矢を自分自身に向ける
- 一 見えない選択肢
- 二 自分の分
- 三 教養を志向する構え
- 第十講 眼差しを遠くに向ける
- 一 女性の変容
- 二 若者の変容
- 三 遠くを見る眼差し
- あとがき
まえがき
こんにちは。堀裕嗣です。また、売れない本を書いてしまいました(笑)。
「教育原理」とはたいそうな書名だと思われるかもしれませんが、僕としては大真面目です。この本には教育法規も教育史もルソーもペスタロッチもデューイも出てきませんが、そもそも「教育原理」というのは、そうした知識を意味するのではありません。ごくごく簡単に言うなら、教育についてこのように考えてみませんか? という提案こそが教育の原理なのだと思うのです。その点ではこの本はまさしく、「教育原理」について語られた本です。
この本は十一ページずつの十講でできています。十講のどれもが今日的な教育問題、教師の日常的な悩みに示唆を与える視点が語られている。そう自負しています。技術を語ったり、構えを語ったりという、ここ三十年余りの教育書の動向からははずれていますが、教師として子どもたちの前に立つうえで必要な思想の根本のところだけに絞って語られたものばかりが掲載されています。
最近、若い教師に違和感を感じることが多くなりました。自分が年をとったのだと考えればそれまでなのですが、どうもそうではないようです。というのも、違和感を感じるのは職場の若い同僚たちに対してではなく、セミナーで出逢ったりSNSで知り合ったりする若手教師だからです。彼らの多くに、僕は地に足のついていない、浮遊した印象を抱いています。自分の頭でものごとをしっかりと考えた経験がないのではないか。そんな印象を強く抱いています。ああ、こいつら、オレが騙そうと思えば簡単に騙されるな……そんな印象だといえばわかりやすいでしょうか。
セミナーに講師として登壇する人たちにも、SNSにさまざまな影響を与える人たちにも、ちゃんと現場があります。若い頃からの努力の積み重ねもあります。自分の頭で考えに考え抜いたという経験もあります。これらが総合して、いま現在のものの見方、考え方を提出しているわけです。
ある程度、表現に慣れた人たちの言葉というのはシンプルですから、一見わかりやすく感じられるものです。しかし、そのシンプルさをその通りに受け止めて実践してしまったのでは、仕事はうまくいきません。そのままに受け止めるのではなく、その教育の在り方の前提となっている現実認識、背景、思想に目を向けること。その姿勢をもつこと。それこそが「教育原理」なのだと感じています。
/堀 裕嗣
「どのように」やるのか?ではなく
「なぜ」やるのか?が大事。
今、いろいろな問題があるが、いつもここに返って考えていきたい。
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