- まえがき
- 第1章 「指導案通りいかない!」を乗り越える
- 1 なぜ道徳授業は「指導案通りいかない」のか
- 2 「指導案通りいかない」とどう向き合うか
- 3 「指導案通りいかない」を乗り越えるポイント@ 子どもの実態を把握し直す
- 4 「指導案通りいかない」を乗り越えるポイントA 授業のねらいを明確にする
- 5 「指導案通りいかない」を乗り越えるポイントB 発問を吟味する
- 第2章 「指導案通りいかない!」が起こるポイント地点
- 1 導入 前の時間に学んだことを確認する場面
- 2 導入 子どもの既有知識を確認する場面
- 3 展開 教材文の内容を整理する場面
- 4 展開 中心発問へと向かう場面
- 5 展開 グループ対話で学びに迫る場面
- 6 展開 役割演技で学びに迫る場面
- 7 展開 ジレンマ発問で学びに迫る場面
- 8 展開 問い返しの発問で学びに迫る場面
- 9 展開 子どもたちの生活で考える場面
- 10 終末 説話で締めくくる場面
- 第3章 実践 「指導案通りいかない!」からはじめる小学校道徳授業
- 1年
- A-(3) 節度,節制 かぼちゃのつる
- 「かぼちゃがつるを伸ばすのは悪いこと?」
- B-(6) 親切,思いやり はしのうえのおおかみ
- 「いじわるっておもしろかったんだよね?」
- B-(9) 友情,信頼 二わのことり
- 「楽しい方へ行っちゃだめなの?」
- 2年
- C-(10) 規則の尊重 きいろいベンチ
- 「靴でベンチに上ってはいけないことを知らなかったの?」
- A-(1) 善悪の判断,自律,自由と責任 おれたものさし
- 「ぼくは,のぼるが怖くなかったのかな?」
- A-(2) 正直,誠実 金のおの
- 「正直者の木こりは,金のおのを欲しくなかったのかな?」
- 3年
- C-(12) 公正,公平,社会正義 みさきさんのえがお
- 「しゅんやさんと,『大のなかよし』じゃなくなってもいいの?」
- B-(6) 親切,思いやり 一さつのおくりもの
- 「贈った本はそれほどお気に入りじゃなかったのかな?」
- A-(1) 善悪の判断,自律,自由と責任 SL 公園で
- 「しんごは,つよしやみんなを止められるのかな?」
- D-(20) 感動,畏敬の念 しあわせの王子
- 「ツバメは何で南の国へ行くのをやめたの?」
- 4年
- A-(2) 正直,誠実 「あかいセミ」
- 「お母さんに言うことができたのはなぜだろう?」
- D-(20) 感動,畏敬の念 花さき山
- 「自分の花が咲いたんじゃないかな,と思うことはある?」
- B-(9) 友情,信頼 絵はがきと切手
- 「教えてあげたいっていう気持ちがあるってことだね」
- C-(11) 規則の尊重 雨のバスていりゅう所で
- 「よし子は何かのきまりを破ったのかな?」
- 5年
- A-(2) 正直,誠実 見えた答案
- 「花子は次のテストでわからない問題があったら,となりの子の答案を見るかな?」
- D-(21) 感動,畏敬の念 ひさの星
- 「村人がひさを星にしたのはなぜだろう?」
- D-(22) よりよく生きる喜び そういうものにわたしはなりたい―宮沢賢治
- 「みんなはどういう人になりたいですか?」
- 6年
- D-(19) 生命の尊さ 命の重さはみな同じ
- 「獣医さんは何で安楽死を勧めたのだろう?」
- A-(2) 正直,誠実 手品師
- 「手品師は自分の気持ちにウソをついてないかな?」
- B-(11) 相互理解,寛容 銀のしょく台
- 「司教は銀の燭台が必要無かったのかな?」
- D-(21) 感動,畏敬の念 青の洞門
- 「これが了海の掘った青の洞門です」
- あとがき
まえがき
たかが指導案,されど指導案
ある SNS で気鋭の教師が,次のような内容(要約)を書き込んでいました。「指導案づくりに時間をかけるのはバカバカしい。それよりも,子どもがどのように学び進めるかの多様な方法や道筋を用意したほうが良い」と。確かに,私が20代の頃は,先輩の先生たちに混じって,学年でああでもないこうでもないと議論しながら,長い長い時間をかけて指導案を作っていました。そのうち誰かが買ってきたお菓子や,誰かが実家から送られてきた梨を剥いてみんなに配って食べ,それでも途中までしかできなくて翌日に持ち越し…,ということが授業研究の度に行われていました。何も研究指定を受けている学校ではなく,フツーの,何でもない学校でそういうことが行われていました。
今では働き方改革が進んで,ネットのあちこちに指導案が落ちていますから,以前のように本屋で買った何冊かの解説書や,教科書に付随する指導書を広げるといったアナログな方法で指導案を作ることは稀になっていることでしょう。
そういうこともあってか,指導案の体裁や形式は以前ほどバラツキがなく,初任の先生といえども内容はともかく整った指導案ができあがってくるようになりました。そうしてみると,指導案の作成に時間をかけるのは気鋭の先生がおっしゃるように,コスパが悪いのかもしれません。
その一方で,こんなつぶやきを聞いたことがあります。私がかつて所属した国立大学の附属小学校の職員室の中での会話です。私の向かい側に座っていた算数部の先生がこう言いました。「確かに指導案作成に多くの時間をかけるのもどうかと思うんですけど,指導案がイマイチの授業で良い授業を見たことがないんですよね」と。確かに,指導案が良くできているからといって良い授業ができる保証は無いけれども,あまり良くできていない指導案の授業で良くできた授業というのもない,というのもこれはこれで真実だな,と思うのです。
YouTube で得られないもの
最近,やり方がわからなかったら YouTube で探すことが広まってきました。私自身,ワイシャツにアイロンをかける方法や,パソコンのハードディスクを SSD に換装する方法,スマートフォンのバッテリーを交換する方法はすべて YouTube で知ることができました。
道徳の授業もたくさんの先生が YouTube に動画を上げています。文部科学省も全国の優秀な先生たちの素晴らしい授業の動画をアップしています(「道徳教育アーカイブ」( URL 省略))。
インターネットの発達によって,たくさんの有益な情報がいつでも簡単に得られる時代になりました。道徳の授業についても,素晴らしい発問,素晴らしい展開,素晴らしい板書,などは簡単に手に入るようになったのです。しかし…,と思います。手に入った情報を使って,優秀な先生の真似をしたからといって,必ずしも自分の授業が向上するわけではないのです。
考えてみれば当たり前のことで,動画に写っていない部分,例えば授業者と子どもの関係性や,その授業者が持つ雰囲気や話し方に対する子どもの受けとめ方など,挙げてみればキリが無いほどの違いがあります。
結局のところ,自分に合った授業スタイル,曰く,「私」なりの授業展開を見つけないことには,「指導案通りいかない」を永遠に解決することはできません。ありきたりの言い方になりますが,その答えは自分の中にしかないのです。
たまごが先か,ニワトリが先か
本書のタイトル「指導案通りいかない」という事態は,指導案が悪いのか,それとも授業者のやり方が悪いのか,言い方が難しいですけど子どもに原因があるのか,そのいずれか,それともそのすべてか…,あらゆるパターンが想定されます。そのすべてのパターンを解決する方法を,この本は提供することができません。もしできたとしたら,教師の仕事は AI にとって代わられてしまうことでしょう。子どもの実態に合わせて指導方法や,指導内容を調整する必要があるからこそ,私たち教師は公務員にもかかわらず広い権限を与えられているのです。また,「指導案通りいかない」ことに対する,誰にでもあてはまる解決策が存在しないからこそ,私自身,毎週ウンウン言いながら授業づくりをし,うまくいった時は束の間喜び,うまくいかない時には悔しさで悶絶しているわけです。
本書はそのように毎週悶絶しながら授業を作っている筆者が,どのように悶絶すると授業の質が上がるのかのヒントを提供しています。言い換えると,私が積み上げた数々の失敗のガラクタから得られる,少量のレアメタルのようなものかも知れません。
そのようなものから,読者の方々の道徳授業の質が向上し,少しでも子どもたちの幸せにつながるのであれば,私にとってこの上ない喜びです。
筆者について少々…
私自身の自己紹介をします。私は千葉県内の小学校で教頭を務めています。教育相談や学級経営を専門とし,長期研修で大学院に進学し臨床心理士の資格を得ました。その後,国立大学附属小学校で道徳や特別活動の研究をし,教育委員会で道徳の指導主事を務めました。『道徳教育』に寄稿させていただいていたご縁で,今回,本書を著す機会をいただきました。どうぞ最後までお付き合いください。
2024年6月 /岩田 将英(いわた・のぶひで)
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- 明治図書