- 特別寄稿
- しなやかな発問を生かして新時代の道徳授業をつくろう
- 東京学芸大学教授 /永田 繁雄
- 第1章 多様な発問による授業づくり
- 発問づくりの基礎基本
- 発問のバージョンアップ―問い方のバリエーションを増やす
- 子どもの問題追求に向けた発問の活用―教える流れからの脱却
- 第2章 「考え、議論する」道徳をつくる新発問パターン50
- 問題把握の発問
- ○○(□□)について知っているか
- ○○(□□)についてどう思うか
- ○○の経験はあるか
- ○○(□□)と言ってイメージすることは何か
- 心に残った場面はどこか
- みんなで話し合いたいことは何か
- ここでは何と何が問題になっているか
- 教材と向き合う発問(共感的発問)
- ○○はどんな気持ちか
- ○○はどんな思いで〜しているのか
- ○○のとき、同じ気持ちになったことはないか
- 教材と向き合う発問(分析的発問)
- 本当の□□とはなんだろう
- □□は本当に大切なのだろうか
- ○○の心を支えたものは何か
- ○○がそうしたのはなぜか
- ○○と○○の考えはどんな違いがあるのか
- AとBではどちらが□□か
- 自分は□□についてどう考えるか
- 教材と向き合う発問(投影的発問)
- 自分が○○ならばどう考えるか
- 自分ならこの場面でなんと言うか
- 自分なら○○のようにできるか
- 教材と向き合う発問(批判的発問)
- ○○がしたこと(行為)をどう思うか
- ○○の生き方をどう思うか
- この□□(価値)をどう考えるか
- ○○は本当にそうしてよいのか
- ○○に心打たれるのはなぜか
- ○○にどんなことが言いたいか
- この話に納得できるか
- 考えを一層深める発問(補助発問等)
- ○○さんの考えに対してみんなはどう思うか
- それでいいのか?(先生は○○だと思う)
- 人間としてどうあるべきか
- 他に考えるべきことはないか
- 逆に考えたらどうか
- 分けて考えたらどうか
- ここに何かを加えたらどうか
- もし、○○の場合だったらどうか
- 登場人物はどうしたらよかったか
- もっとよい解決方法は何か
- 自分が同じようにされてもよいか
- いつ、どこで、誰に対してもそうできるか
- 演じてみてどう感じたか(役割演技)
- 演じた人を見てどう感じたか(役割演技)
- 自分を見つめる発問
- 同じような経験をしたときどう思ったか
- あなたは登場人物(○○)と似ているか、違うか
- 登場人物にどんなことを伝えたいか
- あなたの生活に生かせそうなことは何か
- 〜するのに大切な心はなんだと思うか
- 価値を把握する発問
- 一番心に残ったことは何か
- 一番大切だと思ったことは何か
- 友達の考えで印象に残ったのは何か
- 新しい発見があったか。あったとすればそれは何か
- ※本書における発問の区分けは、主に東京学芸大学教授・永田繁雄先生の『道徳教育』誌での連載「新・道徳授業論」を参考にさせていただきました。
特別寄稿
しなやかな発問を生かして新時代の道徳授業をつくろう
東京学芸大学教授 /永田 繁雄
授業の質的改善は発問の柔軟な発想から
平成から令和に時代が変わり、小学校段階では「特別の教科」である道徳科が名実ともにその実質化への着実な歩みを始めました。その合言葉は「考え、議論する道徳」の実現であり、授業の一層の質的改善を図ることです。合言葉の主語はもちろん子どもです。子どものアクティブで活力のある学びが今こそ求められているのです。
ところが、従前は、ややもすると、道徳授業の発問が一面的、形式的で、「登場人物の心情を理解させるだけの型にはまったものになりがち」であったといわれます。授業で繰り出される発問が順接的な心情読解にも似た小さな国語のような傾向が強かったからです。
道徳授業の質的改善への最大のカギ、それは、発問です。道徳授業において、発問は教師による最大の「仕掛け」であり、豊かな学びの「推進力」にもなります。道徳授業の成否は、教師の発問発想力、授業構想力に大きく左右されるのです。
本書の目次をご覧ください。本書には、その発問発想力を高めるための手掛かりやヒントとなる発問のパターンが広く集結し、手引きのような形で編集されています。ぜひ、授業の局面や段階に即して、また、子どもに仕掛けようとする意図に応じて、効果的な発問を生み出すために、本書を重要な手がかりとしてフル活用してみたいものです。そして、子ども自らが「考え、議論する道徳」の力強い学びを生み出していきましょう。
問い続ける子どもを、教師の柔軟な発問力で応援する
では、子どもと教師の発問とはどのようにつながっているのでしょうか。
子どもは、常によりよい自分になろうとして、様々なことを問い続けています。発問とは、本来、そのような子どもの問いを、教師が代わりに投げかけてあげるものだといえます。道徳授業は、問い続ける子どもを学習を通して応援する時間でもあるのです。
また、発問によって子どもの疑問などが呼び覚まされます。発問とは、子どもが教材などの道徳的問題に対して内面から発するこだわりやジレンマなどを教師が束ねて、子ども全体に問いかけるものだといえます。
その際に、授業に臨む私たち自身が発問のパターンを多彩に心得ておくことは、場に応じて臨機応変に開ける引き出しをそれだけ多く手にしていることになります。子どものしなやかな思考を促すためには、私たち自身がしなやかな発想に立って、発問を繰り出すように努めなくてはなりません。例えば、発問について、次のようなマルチな思考をもつようにします。
○場面に依拠した発問と、テーマにかかわる発問の両面を生かし合う
一つは、教材のある場面に着眼した発問(主として「場面発問」)と、全体的なテーマや問題、意味、子ども自身の意見などを問う発問(主として「テーマ発問」)の両面から発問を広く発想し、生かし合うことです。そうすることで子どもの学びは開かれていきます。
○発問の大きさを意識して、小さな発問から大きな発問まで生かす
また、発問には多様な大きさがあることを心得ておきます。例えば、下図のように、場面のみならず、人物そのものへの問い、教材のもつ意味やテーマ性への問い、さらには、主題にも重なる価値を問うというように、発問には様々な視野の広さがあります。
(図省略)
○多面的な視点に立つ発問と多角的な視点に立つ発問の違いを意識する
さらに、多面的な発問と多角的な発問の違いをあえて意識することです。
今、道徳科の目標では「多面的・多角的」な思考が重視されています。この「多面的」思考と「多角的」思考を分ける発想も大事にするのです。その区分には様々な見方がありますが、例えば、社会科で従前より言われてきた視野に立つならば、次のような区分が可能です。
「多面的」な思考を促す発問……理由や原因などを「分析的」に見ることができる発問。例えば、主人公の気持ちや行為の意味を明らかにしようとする発問など。
「多角的」な思考を促す発問……自身の意見に基づき「選択的」にアプローチできる発問。例えば、自分だったらどうするか、どのように考えるかを大事にした発問など。
これらの厳密な区分は難しいですが、このように「分析的」なアプローチと「選択的」なアプローチをあえて分けることで、私たちの発問を発想する視野が大きく広げられます。
授業の各段階や局面に即して効果的な発問を仕掛ける
その上で、授業の展開に即して発問の適時性を心得ていくことも重要です。発問は子どものアクティブな思考を促しますが、それは、展開の各段階や局面によってその生かし方が異なってきます。授業の各局面を意識するならば、例えば、次のような発問群が考えられます。
○子どもの「問題意識」を生み出す発問群
まず、主に導入などの授業の入り口で生かされる発問群です。導入で授業の半分またはそれ以上が決まる。そう言っても過言ではありません。発問によって子どもの問題意識を強く喚起できれば、それが学習の追求エネルギーにもなるからです。そこでは、子どもの疑問や気がかり、問題のありかを意識化できるようにします。また、現在の価値観への揺さぶりや情報の提示などで問題がクリアになるような発問をするのも効果的です。
○教材と向き合うときの「発問の立ち位置」を生かす発問群
また、子どもが教材と出会い、その中でテーマや主人公の問題や価値、生き方などを追求する際、教材とどのように向き合うか、どんな位置に立つかが重要になります。小さな国語になりがちな心情読解的発問に偏ることなく、「発問の立ち位置」を変えることで、授業は一層活力のあるものとなります。そのことを、私は下の図のように整理して、区分するように努めてきました。
まず、この横軸は、子どもが主人公に自分を重ねるか、それとも離れた視点から客観的に見るかの距離感を表します。
一方、縦軸は、主人公の内面や行為の理由などを明らかにするか、自分自身の考えを明確にするのかの発問の意図の違いが対極になっています。
これらの縦横の区分によって「発問立ち位置・四区分」が生まれ、それぞれ主人公や教材にどんな立ち位置で向き合うことになるのかで、発問の在り方が変わってきます。本書では、この区分の考えを生かして、教材と向き合う多様な立ち位置をアレンジしつつ、多くの引き出しを示しています。ぜひ、上の図と重ねて理解し、生かしてみてください。
(図省略)
○考えの発展的な深まりを促す補助的な発問群
また、発問には「揺さぶり」や「問い返し」「切り返し」と呼ぶような、子どもの思考にさらなる揺り動かしをかける発問があります。「本当にそれでよいのか」「もしも〜だったらどうするか」というように、効果的な補助発問によって、子どもの思考がさらに活性化し、深い学びにつながるきっかけとなります。
○子どもの「納得解」を自己の価値観につなげる発問群
さらに、道徳授業では、子どもが道徳的な問題や価値を自分のこととして直接問うための発問群も駆使されます。道徳授業はみんなの共通の正解を見出すような問題解決を直接の目標とはしていません。一人ひとりが自己に向き合い、自分自身の中にある「自分だけの納得できる正解」、いわゆる「納得解」を見出すことがその中核となるからです。そして、その「納得解」が子ども自らの豊かな価値観となっていくのです。そのための振り返りや、考えの明確化、さらには整理するための発問も生かされます。
その際、重要なのは、そのための発問を固定的に考えず、柔軟にすることです。「主人公と似ているところは何か」「大事にしたい考えが見つけられたか」「自分にとっての宝物は何か」などと、柔軟な発想で意欲のわくような問いかけ方の工夫をしてみるのです。また、経験を想起させるものと固定的に考えず、ワークや自分チェック、イラスト化など様々な方法を生かしながら発問することも考えるようにします。
多彩な発問を子どもが問題追求する流れに仕立てる
発問は、このように、多様な角度から発想されます。授業では、それらが連結することで子どもの学習過程になります。その際、もしも、発問がそれぞれ単発に繰り出されるだけならば、それは、教師が誘導するだけの感覚に陥りかねません。発問の組み立て方を子どもの視点に立っていかにアレンジできるかが、授業づくりの最大の山場になります。今、求められるのは子ども自らが「考え、議論する道徳」のための授業展開です。発問を学習過程として仕組む場合、最も重要なのは、「教師の教える過程」とするのではなく、「子どもの問題追求の過程」として、子どもの思考の流れを予想し、それに重ねるようにして展開を仕立てることです。
教材は子どもにとって「生もの」であり、授業は「生き物」です。それは、道徳授業であればなおさらです。教材を料理する教師が至れり尽くせりの「お膳立て」をし、子どもにその上の料理を順次食べるように促すのではなく、ときには子ども自らが料理をして、お膳さえもつくりたくなるように仕掛けていくのです。そのためには、子どもの意欲を高め、心を動かし、子どもが動き出したくなる発問を私たちが幅広く発想し、柔軟に生かすことが大切です。そのためにも、私たち自身が本書を生かすなどして、その引き出しを多彩にもち、発問発想力に常に磨きをかけていけたらと願っています。
少しでも道徳科の発問や授業を考えたい、と思っている者にとっては読んで損なしの一冊である。
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