- 序 論理的思考力・表現力訓練の最初歩 /香西 秀信
- 第一部 小学校中学年
- 第一章 類似からの議論に反論する(その一)
- 1 課題文
- 2 課題文の分析
- 3 反論のポイントと反論例
- 4 文章構成のモデル
- 5 作文例
- 第二章 類似からの議論に反論する(その二)
- 1 課題文
- 2 課題文の分析
- 3 反論のポイントと反論例
- 4 作文例
- 第三章 類似からの議論に反論する(その三)
- 1 課題文
- 2 課題文の分析
- 3 反論のポイントと反論例
- 4 作文例
- 第四章 類似からの議論で反論する(その一)
- 1 課題文
- 2 反論のポイントと反論例
- 3 作文例
- 第五章 類似からの議論で反論する(その二)
- 1 課題文
- 2 反論のポイントと反論例
- 3 作文例
- 第六章 類似からの議論で反論する(その三)
- 1 課題文
- 2 反論のポイントと反論例
- 3 作文例
- 第二部 小学校高学年
- 第一章 類似からの議論に反論する(その一)
- 1 課題文
- 2 課題文の分析
- 3 反論のポイントと反論例
- 4 作文例
- 第二章 類似からの議論に反論する(その二)
- 1 課題文
- 2 課題文の分析
- 3 反論のポイントと反論例
- 4 作文例
- 第三章 類似からの議論に反論する(その三)
- 1 課題文
- 2 課題文の分析
- 3 反論のポイントと反論例
- 4 作文例
- 第四章 類似からの議論で反論する(その一)
- 1 課題文
- 2 反論のポイントと反論例
- 3 作文例
- 第五章 類似からの議論で反論する(その二)
- 1 課題文
- 2 反論のポイントと反論例
- 3 作文例
- 第六章 類似からの議論で反論する(その三)
- 1 課題文
- 2 反論のポイントと反論例
- 3 作文例
- 第三部 中学校
- 第一章 類似からの議論に反論する(その一)
- 1 課題文
- 2 課題文の分析
- 3 反論のポイントと反論例
- 4 作文例
- 第二章 類似からの議論に反論する(その二)
- 1 課題文
- 2 課題文の分析
- 3 反論のポイントと反論例
- 4 作文例
- 第三章 類似からの議論に反論する(その三)
- 1 課題文
- 2 課題文の分析
- 3 反論のポイントと反論例
- 4 作文例
- 第四章 類似からの議論で反論する(その一)
- 1 課題文
- 2 反論のポイントと反論例
- 3 作文例
- 第五章 類似からの議論で反論する(その二)
- 1 課題文
- 2 反論のポイントと反論例
- 3 作文例
- 第六章 類似からの議論で反論する(その三)
- 1 課題文
- 2 反論のポイントと反論例
- 3 作文例
- 付 高等学校(課題文とその分析、および反論例のみ)
- 第一章 類似からの議論に反論する(その一)
- 1 課題文
- 2 課題文の分析
- 3 反論のポイントと反論例
- 第二章 類似からの議論に反論する(その二)
- 1 課題文
- 2 課題文の分析
- 3 反論のポイントと反論例
- あとがき
序―論理的思考力・表現力訓練の最初歩
[1] 本書は、拙著『反論の技術』の補遺となるもので、その内容上の不備を補うために構想された。すなわち、『反論の技術』では、私が大学の教員であるため、教材(反論の対象とする課題文)はすべて大学生レヴェルのものを使用し、その水準に合わせた指導過程のみを記述していた。これに対し、本書では、小学校・中学校・高等学校教員のために、それぞれの学年向けの課題文とその分析、またいくつかの反論例を資料として提供している。
[2] 今、「不備」という言葉を用いたが、実を言うと、私自身はそれが不備だとは全然思っていない。私は一人の大学教員として、自分が直接に教室で教えている生徒(学生)だけの作文力向上を念じ、彼らにもっとも有効な作文指導法を工夫し、その指導の過程で得られた資料を基にして、「反論の訓練」という理論をモデル化したのである。これはきわめて自然で当然のことで、どこにも不備はない。むしろ、大学で作文教育を研究していながら、自分の教えている学生ではなく、附属学校かどこかの生徒を借り受けてきて資料をかき集め、いかにも「実践」を尊重しているかのように見せかけて構築された理論こそ、まぎれもなく不備の名に値するだろう。「実践」とは、自分の生徒を教えることを言うのである。私の学生時代には、「教育は、実践が、現場がすべてだ」とうそぶきながら、大学の授業をいい加減にして現場を飛び回る教育学者がいくらもいて、私は彼らを反面教師にして自分の研究スタイルを作り上げてきた。おかげで、私の研究は「非・実践的」「非・現場的」と見られることがあるようだが、私は自分こそが「実践的」「現場的」だと思っているので、反省する気も、方針転換する気も、さらさらない。
[3] しかしながら、私は、自分が給料をもらっている大学の学生を大事にするだけでなく、自分の本をお金を出して買ってくれた人も、それ以上に大切にするのである。『反論の技術』が予想をはるかに超えて読まれ、私が指導した人以外でも、反論の訓練に興味をもち、それを実際に試してみようとする奇特な教師が現れた。だが、彼ら自身は、教員養成の場で論証や論理的思考の訓練を受けたわけではないので、教材の選び方を始め、その指導にはなかなか苦労しているようである(その手の訴えをしばしば受ける)。また、自己流で実践したために、私から見ると、明らかに誤りである指導もときどき目にする。私の本を参考文献の第一においた、間違った反論の訓練の実践報告書を送っていただくと、ありがたいのと情けないのとで、じつに複雑な気持ちになる。こうしたことから、反論の訓練を実践しようとする教師のために、ほんの少しでも参考になることを願い、この小さな書物を出版することにした。
[4] 副題に「学年別課題文と反論例」とあるが、本論では、一学年ごとに合わせた課題文が律儀に並んでいるわけではない。まず、この種の訓練は小学校低学年には難しいという意見があって小学校一・二年用を省き、またそれ以上も、訓練に関わる生徒の発達を一学年ごとに区切る意味がないという考えから、実際の分け方は「小学校中学年」「小学校高学年」「中学校」「高等学校」というようになっている。
[5] さらに、本書にあげられた課題文は、すべて「類似からの議論」に関するものに限定されている。すなわち、「類似からの議論」によって組み立てられた文章と、「類似からの議論」によってもっとも有効に反論できる文章とである。「類似からの議論」という議論型式については、後で詳しく解説されるであろうが、なぜこのような限定を加えるかは、ここで先に説明しておかなくてはならない。
[6] 論理的思考力を高めるには、論理的思考に関する体系的知識を習得し、順を追った体系的訓練を受けることが、言うまでもなくもっとも有効である。しかし、このためには、優秀な教師の指導の下で、相当量の時間をかけて(しかも記憶が持続するように短期間に集中的に)訓練されることが必要となる。これは現在の国語の時間の範囲内ではまったく不可能である。また、肝心の国語教師が、自身の教員養成の場で論理的思考の訓練などほとんど何も受けておらず、教師になった後も、そのような訓練を受ける機会にはまず恵まれない。さらに、体系的訓練の場合、基礎から順を追って積み重ねなければならないが、基礎はその上に積み重なるもののために必要なのであり、それだけでは大して役には立たない。もし基礎の途中で時間切れになったら、それまでの勉強は無駄になる。だから、限られた時間の中で体系的な訓練を行おうとすれば、それはほとんど無駄なことだけの訓練に時間を費やしてしまう結果になるだろう。
[7] したがって、こうした現実的制約の中では、われわれは思い切った、変則的な指導方法をとらなくてはならない。基礎から体系的に訓練していくのではなく、もっとも有用な知識・技術のみを習得させるのである。これならば、たとえ途中でやめたとしても、少なくとも勉強した分は役に立つ。具体的には、論理的思考力を論証能力に限定し、論証能力についても、使用頻度が一番高い論証方法に限って訓練するのだ。戦後の日本は、資源を鉄鋼・石炭等の基幹産業に集中的に投下する傾斜生産方式によって急速に経済全体を復興させたが、それと同様に、論理的思考指導にかかわる全エネルギーを特定の論証方法の訓練に集中させ、それによって論理的思考力全体を一気に高めようとする作戦である。
[8] この特定の論証方法として、われわれは「類似からの議論」を選んだ。「類似からの議論」は、(厳密な統計的根拠があるわけではないが)日常議論でもっとも頻繁に使用される議論型式(論証方法)である。それはまた、議論構造が形式的に明示しやすく、説得力の出所が明らかであり、反論の方法も一義的に定まるので、習得することが比較的に容易である。反論の訓練を、この「類似からの議論」にかかわるものに限定することで、少なくとも学校教育で達成しうる水準までには、議論文(意見文)を書く力、論理的に思考する力を短期間で高めることができる。これが、われわれの考える論理的思考力・表現力訓練の最初歩である。まずはここから始め、余裕があればいくらでも先に進めばよい。
[9] 本書の構成は、それぞれの学年の記述が、基本的に互いに無関係に独立し、まったく同じ形式で繰り返されるというかたちになっている。つまり、後の学年が前の学年で習得したものを受け、学年ごとに積み重ね、発展・深化させていくという構成ではない。だから、反論の訓練についてまったくの初心者の教師であっても、自分の担当する学年向けの、予備知識や前提となる訓練を必要としない参考資料を得ることができる。どの学年担当の教師にも同様に役立つ本にするため、ややくどい感じはあるが、あえてこのような作り方にした。
[10] 最後に、本書の執筆者についてふれておきたい。彼ら/彼女らはみな、「高明会系香西流レトリック道場」という、その筋の団体のような名前をもった道場の門人である。高明会は、私が栃木の国語教師と開いている国語教育の研究会で、その名前は宇都宮大学名誉教授の長尾高明先生より頂いた(私が勝手に名前を拝借し、後でそれを知った長尾先生がしぶしぶ認めたのである)。高明会は、事情があって現在休会状態であるが、その後、自然発生的に、私が大学院で直接に指導した教師を中心に、教師自身のレトリック技術を向上させるための勉強会が発足した。これが香西流レトリック道場であり、当然ながら私がその道場主(師範)である。この道場は、本書のような仕事をするのが目的ではないので、これが終わったら、また本来の活動に戻るつもりである。正直言って、人にものを教えるには、まだまだ教師自身の学力が低すぎる。これは私についても同様である。われわれは、生徒のあしらい方だけは巧みな、無知な教師にはならない。
高明会系香西流レトリック道場 師範 /香西 秀信
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