- はじめに
- 序章 なぜ「なぜ?」から学級経営を始めるのか
- まず焦点を当てるべきは、「方法」ではなく「ビジョン」
- 「方法」は、子どもによって変わる
- 学級開き前が、自分の教育観と対話する唯一の機会
- 1年間の羅針盤を定める
- 「なぜ?」からの出発がチームの原動力となる
- 「ロボット」にならないために
- 第1章 「なぜ?」から始める学級開き
- なぜ「最初の3日間」が重要なのか
- なぜ「学級目標」をつくるのか
- なぜ「学級のルール」を構築するのか
- なぜ「縦のつながり」から始めるのか
- なぜ「5、6月の停滞感」が生まれるのか
- 第2章 「なぜ?」から始める学級のルールづくり
- なぜ学校は「ルールだらけ」なのか
- なぜ「些細な指導」に翻弄されるのか
- なぜ「ルールの強制」はいけないのか
- なぜそもそも「ルールが必要」なのか
- なぜ「話し合い」が重要なのか
- 第3章 「なぜ?」から始める人間関係づくり
- なぜ「友だち」が必要なのか
- なぜ「協力」しないといけないのか
- なぜ「スクールカースト」が生まれるのか
- なぜ子どもが「警察官」化するのか
- なぜ「コミュニケーションスキル」が必要なのか
- 第4章 「なぜ?」から始める学級の諸活動
- なぜ「休憩時間」に指導が必要なのか
- なぜ「係活動」が活性化しないのか
- なぜ「当番活動」が機能しないのか
- なぜ「給食指導」が重要なのか
- なぜ「清掃指導」が重要なのか
- なぜ「宿題」を出すのか
- なぜ「学級会」を行うべきなのか
- 第5章 「なぜ?」から始める授業づくり
- なぜ「基礎基本」が定着しないのか
- なぜ授業に「理想像」が必要なのか
- なぜ授業で「鍛える」必要があるのか
- なぜ授業に「型」があるのか
- なぜ授業に「自分らしさ」が必要なのか
- おわりに
はじめに
こんにちは、須永吉信です。
本書は、学級経営にかかわる様々なことについて「なぜ、どうして?」を深堀りしていく形式になっています。
読み進めていくと、「なるほど、そうか」ということもあれば、「見当違いなことを書きやがって…」ということもあるでしょう。ですから、時には「うんうん…」とうなずきながら、時には「やきもき…」と眉をしかめながら、読み進めてくだされば幸せに思います。
なぜこのような形式をとったかというと、学校のみならず、社会全体からも、深く考える習慣、議論して煮詰める習慣が失われつつあると感じるからです。「みんなで考えを出し合い、時間をかけて話し合うよりも、革新的なアイデアマン、カリスマ性のあるリーダーの考えに従った方が楽だ」という風潮が、学校、社会、ネットの中に散見されます。
学校においては、席替えから掃除の当番、教室のルールまで、何から何まで教師(学校)が決めて、子どもたちは淡々とそれに従っているという、ある意味無気力な教室が増えているように思います。
先日、家の大掃除の際に、大量のメモ書きが棚の上から出てきました。学校のあらゆることに対する疑問を、若いころに書き溜めたものです。それを見ると、例えば「給食は完食するべきか」という小さな問題について、私は3ページも4ページも自分の考えを書いていました。私はもとよりセンスの欠片もない人間だったので、不器用ですが、こうして一つひとつ「考える」ことでしか前に進めませんでした。
しかし、この愚直な行為の繰り返しが、私の成長を支えてくれたように思います。野口芳宏先生の「経験は意図的に積み、それに整理を加えなければならない」という言葉の通り、ただ何となく、感覚的にやっているだけでは決して深まらない部分が、教師という道にはあるように思うのです。
本書が、読者の先生方がご自身の学級経営について「考える」ことのきっかけになれば、大変うれしく思います。
2022年2月 /須永 吉信
-
- 明治図書
- とてもよかったです。2022/3/2130代・小学校教員