- はじめに
- 第1章 「知る」算数,「覚える」算数,「わかる」算数の違い
- 01 3年生「あまりのあるわり算」の私の導入授業
- 02 「あまりのあるわり算」の場面設定と子どもの学び
- 03 「知る」算数,「覚える」算数
- 04 「わかる」算数と「学ぶ」ということ
- Column1 子どもにわかりやすく伝えることが大事だというけれど…わかったつもりを防ぐ「手を使う本物体験」が大事
- 第2章 どの子もわかる算数授業づくりの「シン・スタンダード」
- 01 VUCA時代を生きていく子どもたちに必要な「わかる」算数
- 02 子どもの行為を表す「動詞」で算数授業をつくる
- 03 どの子もわかる算数授業づくりの「シン・スタンダード」
- 第3章 子どもの行為を表す「動詞」と算数授業における位置づけ
- 01 子どもの行為を表す「動詞」と算数授業における位置づけ
- 02 「決める」,「選ぶ」ことで生まれる子どもの問題意識
- 03 「比べる」そして「想像する」ことで深まる問題意識
- 04 「試す」中で学びを統合・発展
- Column2 「教室は間違うところだ」というけれど…間違えた子どもの論理を想像することが大事
- 05 「変える」,「使う」活用・応用
- 06 学びの行為と行為をつなぐ「話す」,「聞く」,「見る」,「読む」,「書く」(言語活動)
- 07 「振り返る」ことで成立する学びと問題意識の更新
- Column3 授業の終わりに「振り返り」をするものだといわれるけれど…「振り返り」の目的は新たな問題発見のため
- 08 「決め直す」ことで深まる学び
- 09 「シン・スタンダード」の算数授業の枠組み
- Column4 「自力解決」の時間が大事だというけれど…自分の解決の仕方を洗練させる体験のほうが大事
- 第4章 「どの子もわかる算数授業」における学ぶ子どもの姿
- 01 算数授業で「瞳を輝かせる」子ども
- 02 算数授業で「微笑む」子ども
- 03 算数授業で「こだわる」子ども
- 04 算数授業で「つぶやく」子ども
- 05 算数授業で「動く」子ども
- 06 算数授業で「変わる」子ども
- 07 算数授業で「笑う」子ども
- 08 算数授業で「ねばる」子ども
- 第5章 「シン・スタンダード」を行う教師の心構え
- 01 教師と子どもは対等の関係である
- 02 「わかる」の捉えがわかっている
- 03 どの子も「わかる」ために子どもを揃える
- 04 算数の系統をもとに子どもの言葉を想定する
- Column5 割合の考えを系統的に指導することが大事だというけれど…何を「もと」にして比較しているのかという見方の系統も大事
- 05 教師が教えることと子どもが構成することを区別する
- 06 抽象的な言葉を使わない
- 07 発問の目的・意味と役割を意識する
- (1) 特定の子ども(個人もしくは少数)に対して問う発問
- (2) 特定の子ども以外の周りの子どもたちに対して問う発問
- (3) 全ての子どもたちに対して問う発問
- 08 「活動のめあて」から「思考のめあて」を生み出す
- 第6章 「シン・スタンダード」の算数授業づくりとICT
- 01 ICTを活用した算数授業
- Column6 公式は最終的に教えるものではあるけれど…本質を理解するための「試す」活動の中で情報を示す
- 02 「シン・スタンダード」の算数授業づくりとICT
- (1)「決める」,「選ぶ」とICT
- Column7 タブレット端末を使えば授業は楽になるというけれど…合理的なアナログとデジタルの合わせ技の指導法開発
- (2)「比べる」そして「想像する」とICT
- (3)「試す」,「変える」,「使う」とICT
- (4)「話す」,「聞く」,「見る」,「読む」,「書く」とICT
- (5)「振り返る」とICT
- (6)「決め直す」とICT
- Column8 「振り返り」は毎時間するものだと思っているけれど…学びの足跡を俯瞰するための単元全体の「振り返り」
- おわりに
はじめに
小学校教員としての人生を振り返ってみますと,私も随分と長い間子どもたちと算数授業を行ってきました。担任教師と児童という縁で出会えた子どもたちとの算数授業は,その全てがいつも思い描くような理想的な展開となるわけではありませんでしたが,うまくいかなかったことも含めて今では全てが楽しい時間だったと思えます。私は算数授業を学級経営の柱としても重視していましたので,日々の算数の授業研究は自分自身の日課と位置づけて取り組んできました。そこでは,思うようにいかなかった具体的な算数授業中の子どもの姿を毎日B5判のノート1頁にメモ書きし,記録した事実をもとに「じゃあ,次の授業ではこうしてみるか……」と新たな仮説を立てて挑戦するということを繰り返していました。毎日が試行錯誤の連続でしたが,とにかく新たに試したことの結果として現れてくる子どもの姿に一喜一憂する生活自体が楽しく,毎日が本当に充実していました。
そんな私も現在は管理職となり,算数の授業から離れてしまいました。そこで,改めてこれまでの自分自身の算数の授業研究を振り返り,私の経験則ともいえる算数授業づくりの考えを整理整頓して綴っておきたいと思いました。
遡ること約40年前,大学を卒業してすぐに小学校教員となった当時の私は,小学校という教育現場のことが何もわかっていませんでした。そのうえ,小学生の子どもに対する理解も乏しくて,本当に頼りない先生だったと思います。日々の様々な教科の授業もどのように行えばよいのかわからず,先輩の先生方にいろいろと細かいことまで教えていただき,助けていただきながら必死にこなしていました。
そんななか,小学校教師としてまず取り組んだのは,自分の授業づくりのよりどころとなる教科を決めることでした。それが算数教育との出合いです。
当時の学校現場での算数授業づくりは,問題解決型の授業展開を前提としていました。そこでは,「問題提示⇒自力解決⇒練り上げ⇒まとめ」という4段階の型に当てはめて算数の授業を行うことが「暗黙の了解」であり,そのことを疑う人は同期の教師仲間は勿論のこと,先輩の先生方の中にも誰一人としていませんでした。
それから40年間,小学校教師を続けてきた中で実に様々な素敵な先生方と出会い,数えきれないぐらいの素晴らしい算数授業を見せていただきました。私もたくさんの研究授業を行い,参観していただいた先生方からたくさんのご批評やご意見をいただきました。このような体験から受けた刺激によって,私の算数に対する考え方や算数授業観が形成されていったのだと思います。
この間には,学習指導要領も4回改訂されました。学習指導要領が変わるということは,教育理念が変わるということを意味します。当然,学校現場で求められる授業も変わらなければなりません。例えば,現在の学習指導要領下の算数授業では,「数学的に考える資質・能力」を育むことを目指し,「主体的・対話的で深い学び」,「数学的活動」,「数学的な見方・考え方」……に始まり,「個別最適な学び」,「協働的な学び」等……次々と新たなキーワードが話題となり,具体的な授業が模索されています。このような新たに示される言葉に学校現場が振り回される状況は,学習指導要領が改訂されるたびに見られることで,いつの時代も変わりません。そのときの社会の要請や学校現場の課題意識をもとに示されたキーワードに振り回されるのが学校現場の教師なのだということも私の学びの一つです。
ただ,そのような流行に振り回される授業を見たとき,「本当にこれでいいの?」と首を傾げてしまうことが多かったのも事実です。その典型が,教育理念が変わったにもかかわらず,相も変わらず問題解決の型に縛られて算数授業が行われているという事象です。時代が変わり,社会も変わり,目指すべき教育理念,教育観は随分変わりました。しかし,そんな中身の改訂にはお構いなく,40年以上も前の算数授業づくりの枠組みが今でも現役で継続されているのです。この事実には唯々呆れるばかりです。
なかには,「それは算数授業づくりの不易だから」と言う人がいるかもしれません。私は,人間が意図的に作った形式(手順)を不易とは言いたくはありません。なぜならそれはいわば単なる「作法」の一つだからです。私が考える算数授業の不易は,例えば,全ての子どもが笑顔で楽しく学ぶ算数授業です。それは,学ぶ子どもの姿として自然に求められるものであり,教師であれば誰もがこれまでも目指してきた,そしてこれからもずっと目指していく算数授業像です。言い換えれば,たとえ流行の言葉に則った新たな算数授業の模索であっても,子どもが笑顔で楽しく学んでいなければいい授業ではありません。ダメな授業です。私にとっての不易は,いつの時代も決してぶれてはいけない算数授業像を意味します。
このような見方で現行の学習指導要領下で行われている算数授業に目を向けると,理想として追い求められている不易の授業から程遠い授業も多いと感じます。それは,一体なぜなのでしょうか?
理由として考えられることの一つに,「数学的に考える資質・能力」,「数学的活動」,「数学的な見方・考え方」,「主体的・対話的で深い学び」,「個別最適の学び」,「協働的な学び」,……これら流行の言葉の概念が曖昧で,教師によってイメージしていることが一致していないということが挙げられます。「熟語」で表現された言葉や「〜的」が入った言葉,そしてそれらを組み合わせて表現された言葉の概念は構造が複雑で,教師自身が概念を理解できていない可能性があります。そんな複雑さは,一つの概念を他の言葉で説明しようとしたときに複数の「動詞」を組み合わせなければ説明できないことに起因しています。つまり,重文構造や複文構造で説明される内容は,受け取る人によって個々にイメージする内容にズレが生じ,それが蓄積され大きくなっていきます。だから,同じキーワードを意図した算数授業であっても,その概念が一致していない教師が見ると違和感を覚えてしまいます。
では,どうすればぶれずに不易の算数授業の実現に迫っていけるのでしょうか。本書では,その答えとして,私がこれまで培ってきた「どの子もわかる算数授業づくり」の方法を,算数授業づくりの「シン・スタンダード」として提案したいと思います。
そのカギは,算数の授業中に行っている子どもの行為に着目することです。算数の授業で学んでいる子どもは実に様々なことをしています。よく「〜について考える」と言いますが,「考える」という行為は具体的に何をすることなのでしょうか。子どもの行為に着目するという意味は,例えばこの「考える」ということを別の「動詞」で表現しようとしたときに子どもの具体的な姿として見えてきます。つまり,算数授業の中で子どもが行っている行為を表す「動詞」に着目し,それらを記述できるようになると,子どもの行為の段階的な変容や展開が見えてきます。すると子どもが行う「動詞」で授業がデザインできますし,実施することもできるようになってきます。
これまでの算数授業づくりの多くは,教師目線の言葉で語られてきました。問題解決型の授業の枠組みである「問題提示」「自力解決」「練り上げ」「まとめ」という言葉はその典型です。これらは算数の授業中に見られる状況や状態を教師目線で切り取って表現した「名詞」です。これらの「名詞」は,授業を進行する教師にとっての段取りです。このように教師目線から授業を静的に捉えている限り,残念ながらいつまでたっても子どもが「学ぶ」授業を子ども目線で捉えられるようにはなれません。
同様に,「〜について考えましょう」と教師に言われて考えている子どもは受け身であって,主体的な子どもではないということに気づいていない教師が多いと感じています。「主体的」という言葉を事あるごとに直接的に安易に使っている教師ほど,実は「主体的」な子どもがわかっていないのかもしれません。「主体的」ということを,授業中に子どもが行っている具体的な行為で表現できる教師は,「学ぶ」ということを子ども目線から理解しているといえます。そのような教師は,子どもの「学び」を引き出す具体的な指導法を開発することもできますし,実施することもできるでしょう。私が本書で提案する算数授業づくりの「シン・スタンダード」は,子どもが行っている行為を表す「動詞」でつないだ授業デザインであり,誰もがぶれずに子どもの「学び」を理解することができる算数授業づくりの源だといえます。
ところで,GIGAスクール構想が実現され,各学校では授業のICT化が当たり前になった学習環境が整ってきました。そして,それと同時進行でいわれるようになってきたのが授業や教育のDX(デジタルトランスフォーメーション)です。これまでのアナログ社会で当たり前だったものをデジタル化の観点から構造的かつ根本的に見直し,新たに組み立て直して捉えてみようとする試みは,これからの算数授業においてもとても大事になると考えます。まさにアナログ時代の遺物である問題解決型の算数授業づくりを根本から見つめ直し,新たな発想で捉え直すのは,今です。
/山本 良和
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- 明治図書
- 子供がしている動作、動詞に着目しての授業づくりという点が、参考になりました。これは、算数に限ったことではないのかな、とも思いました。2024/10/6もう少し、イラストがあると読みやすいと思いました。
- とても勉強になりました。特に子どもの活動の「動詞」部分に着目した視点が新しく参考になりました。2023/9/3050代・小学校管理職
- 分かりやすかったです。2023/8/2820代・小学校教員
- 分かりやすい文章で、実際の授業場面がイメージしやすかったです。2023/5/2130代・小学校管理職