- はじめに
- 学習指導過程
- 1 道徳はどうして国語に似ているの?
- 2 道徳科の学習過程の主な方法は?
- 3 道徳科の展開は前段と後段があるのはなぜ?
- 4 価値の一般化とは?
- 5 青木理論以外には、どんな指導過程論がある?@
- 6 青木理論以外には、どんな指導過程論がある?A
- 7 文科省の専門家会議で提唱された3つの学習指導過程論とは?
- 指導技術
- 8 発問にはどんな種類がある? 他教科との違いは?
- 9 「テーマ発問」とは?
- 10 板書にはどんな方法がある?
- 11 国語のように音読させてはダメってどういうこと?
- 12 話し合いにはどんな方法がある?
- 13 「哲学対話」とは?
- 14 役割演技って、いつから道徳科の指導法として一般的になった?
- 15 役割演技をめぐる論争って、どんなものがある?
- 16 道徳科でICTや生成AIはどう使う?
- 指導法
- 17 総合単元的な道徳学習とは何?
- 18 再現構成法とは何?
- 19 モラルスキルトレーニングとは何?
- 20 構成的グループエンカウンターとは何?
- 21 パッケージ型ユニットとは何?
- 22 価値の明確化理論とは何?
- 23 統合的道徳教育とは何?
- 24 ローテーション道徳とは何?
- 教材
- 25 ほとんどの小学校教科書に載っている有名教材はどんなもの?
- 26 ほとんどの中学校教科書に載っている有名教材はどんなもの?
- 27 「手品師」は賛否があるって聞くけどなぜ?
- 28 「二通の手紙」の結末がある時期から改変されていた!?
- 29 「卵焼き」「足袋の季節」のような時代感覚に合わない教材をどう使えばよい?
- 30 人物教材を扱うときの留意点って?
- 31 教材にはどんな種類がある? 教材のタイプによって指導法は変わる?
- 32 「教材を」教える、「教材で」教える、論争って何?
- 33 自己犠牲に関する教材は戦後意図的に省かれたって本当?
- 34 自作教材ってどうやってつくればいい?
- 35 教科書に掲載されていない教材は使用NG?
- 36 教材分析表はどうやってつくればいい?
- 目標・内容項目
- 37 道徳教育と道徳科の目標等が、総則と道徳科の両方に説明があるのはなぜ?
- 38 道徳科の特質は、道徳科の目標にあることだけでよい?
- 39 道徳的な価値の理解って、どのようなこと? 評価できるの?
- 40 道徳教育の全体計画、道徳科の年間指導計画、別葉って、それぞれどんな関係?
- 41 道徳科の内容項目は、A〜Dの4つに分類されているけれど、いつから? この分類の意味と理由は?
- 42 道徳科の内容項目は、学習指導要領改訂にそって様々に変化しているけれど、内容はどのような経過で作成されたの?
- 43 道徳教育・道徳科の内容には、キーワードがついています。このキーワードがついた理由と扱いは?
- 評価
- 44 道徳科に評価規準がないのはなぜ?
- 45 道徳科の評価の視点と評価の観点、どう違う?
- 46 道徳科授業の評価の方法は?
- 47 大くくりな評価って、結局どういうこと?
- 外国・私学
- 48 諸外国では道徳の授業ってあるの?
- 49 アメリカの道徳教育はどんなもの?
- 50 ヨーロッパの道徳教育はどんなもの?
- 51 アジアの道徳教育はどんなもの?
- 52 私立学校では宗教で代替できるのはなぜ?
- おわりに
はじめに
歴史的な経緯
「道徳の時間」が特設されたのは、1958(昭和33)年です。第二次世界大戦後の混乱で青少年の問題行動が顕在化する中で、心身ともに健康で心豊かな児童生徒の育成を願って、道徳の時間が教育課程に位置づけられました。しかし、当時は、道徳の時間=修身科の復活、つまり、戦前の軍国主義の再現と捉えられたのです。もちろん、道徳の時間を大切にした教師もいた一方で、「教え子を再び戦場に送るな!」のスローガンのもとに、道徳の時間の設置に反対した教師もいました。道徳の時間の思い出について、昭和30年代後半に中学校生活を送ったある先輩教師は「中2の△◇先生が担任だったときは道徳が時間割の中になかった」「中3のときの道徳はいつも校庭でサッカーをしていた」と語ってくれました。道徳の時間特設以後の昭和30年代から40年代、そして50年代にかけて、多くの研究者によって道徳の時間の指導過程論が次から次へと紹介され、道徳の時間に関して充実した研究が行われた一方で、その当時の教育現場では道徳の時間は大切だと言われながらも、忌避感情や軽視傾向があったことは事実です。
時代が昭和から平成に移るころになると、先述の道徳の時間=修身科の復活と考えるイデオロギー的な捉え方は次第に衰退していったように思います。ただ、そこに残ったものは何かといえば、自分自身が道徳授業を体験していないために、よりよい道徳授業のイメージを身に付けていない教師が教壇に立つようになったことと、それに付随する道徳の時間の軽視傾向です。テレビで教師が熱意をもって奮闘、活躍するドラマを見て感動し、「自分もあのような教師になりたい」と思い、教職についた方もいると思います。あるいは、ご自身が小学校・中学校・高校時代に、ある先生にあこがれ、「自分もあの先生のような授業をしたい」という思いから教師を志した方もいるでしょう。つまり、そこにはモデルがあったわけです。自分は新任教師だとしても、あこがれた恩師の指導から望ましい授業がイメージできているはずです。
しかしながら、残念なことに平成の時代に教職についた方は、自分自身が小学校・中学校時代にモデルとなるような素晴らしい道徳の時間の授業をほとんど受けてこられなかったということです。
このような道徳の時間の軽視傾向を打破し、そして改善していくためには、筆者も「道徳を教科化するしか、ほかに手はない」と考えていました。2007(平成19)年に道徳の教科化の話題がありましたが、2015(平成27)年に学習指導要領の一部が改訂され、移行期間を経て、小学校では2018(平成30)年、中学校では2019(平成31・令和元)年に「特別の教科 道徳」として、ようやく道徳が教科となりました。
道徳教育、道徳科の充実と発展を願って
教師の仕事には、児童生徒のよさを引き出し可能性を伸ばしていく役割がありますが、知識や技術を伝達していくことも大きな役割です。つまり、教えるということです。この教えることに関して「一つのことを教えるのに教師は十のことを知らなければならない」と言われることがあります。これは、児童生徒の知識や技術の習得にかかわって、それだけ教師が研鑽を積んで、その知識や技能にかかわる周辺の情報を集めて、児童生徒が身に付けやすいようにすることを言い表した言葉です。俗っぽい言い方をすれば「教師は教材研究を行い、児童生徒に何を聞かれても答えられるようにすることが大切で、教師も意欲的に勉強し、児童生徒がしっかりと知識や技術を身に付けられるようにしよう」ということだと思います。
言うまでもないことですが、道徳科は単に道徳的価値を伝える教科ではありませんし、決して教え込む教科でもありません。しかしながら、指導する教師が道徳科に関する知識や道徳教育の背景などを知っていれば、より豊かな道徳科につながるものと思われます。本書はこの意味において、指導する先生方が、道徳科や道徳教育にかかわる知見を広め、児童生徒にとって楽しくためになり、より実りある授業を願って刊行されたものです。もちろん、指導の有無にかかわらず、道徳教育にかかわる教養書として捉えていただき、今後の参考にしていただければ望外の幸せです。
本書の執筆に携わった、富岡栄、鈴木明雄、松原好広はいずれも義務教育での校長経験を経て大学の教官になった者です。長年道徳教育にかかわってきた者だからこそ考えついたことや知りえたことが紹介されています。本書が読者の方々の参考になり、今後の道徳教育、道徳科の充実、発展につながっていくことを願っています。
2024年9月 麗澤大学大学院 /富岡 栄
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- 明治図書
- 道徳授業(道徳教育)に関するこれまでの経緯や内容・方法等が整理されていて,分かりやすい。これらを踏まえて,授業を行っていく必要があると感じた。2024/10/2550代・小学校教員