- はじめに
- 本書の進め方
- 1 道徳教育と教育課程
- 1 道徳はなぜ「特別の教科」になったのですか。
- 2 道徳性は日常生活のなかで養われるのではないですか。道徳科の授業には意味があるのでしょうか。
- 3 学校での教育活動全体を通じて行う道徳教育をどのように考えればいいですか。
- 4 他教科・領域における道徳教育をどのように考えればいいですか。
- 5 道徳教育の全体計画・年間指導計画とはどのようなものですか。
- 6 「主体的・対話的で深い学び」の重要性が唱えられていますが,道徳科の授業と関係があるのですか。
- 7 人権教育と道徳教育はどうつながるのですか。正反対のように思えるのですが。
- 8 ESD(持続可能な開発のための教育)と道徳教育はどのような関係にあるのですか。
- 9 キャリア教育と道徳教育は何か関係があるのですか。
- 10 シティズンシップ教育と道徳教育は何か関係があるのですか。
- 2 道徳教育と学習指導要領
- 11 道徳教育・道徳科の目標はどのようなものですか。
- 12 道徳性とはどのようなものですか。
- 13 道徳科の授業で判断力を磨いても,実際の生活で正しい判断ができるとは限らないのではないですか。
- 14 道徳科で扱う内容はどのようなものですか。
- 15 現実の生活場面にはさまざまな内容項目が混在しています。内容項目に区別して教える意味はどこにあるのですか。
- 16 道徳教育が教師の価値観の押しつけになっていないか心配です。
- 17 物事を多面的,多角的に考える学習の必要性が説かれていますが,どういうことですか。
- 18 考える道徳への転換が叫ばれていますが,考えさせるのは難しいです。
- 19 議論する道徳への転換が叫ばれていますが,なかなか議論になりません。
- 20 教科書はどのように使えばいいのですか。
- 21 問題解決的な学習が奨励されていますが,どのようにすればいいのですか。
- 22 体験的な活動を取り入れた学習が奨励されていますが,どのようにすればいいのですか。
- 23 子どもたちが主体的に道徳の学びに向かうにはどうすればいいのでしょうか。
- 24 道徳教育にとって言語活動はどのような意味をもちますか。
- 25 現代的な課題と道徳教育とをどのように関連づければいいでしょうか。
- 26 道徳科の学習指導案には何を書けばいいのですか。
- 27 「主題」と「ねらい」はどう違うのですか。
- 3 道徳科の授業づくり
- 28 主題設定の理由とはどのようなものですか。
- 29 学習指導過程はどのように組み立てるといいですか。
- 30 道徳科の授業はどのような手順でつくっていけばいいですか。
- 31 道徳の資料にはどのようなものがありますか。どのように使えばいいですか。
- 32 発問を考えるのが難しいです。
- 33 板書を構造化するにはどのようにすればいいですか。
- 34 ワークシートはどのように活用すればいいでしょうか。
- 35 道徳科の授業にはどのような姿勢で臨めばいいですか。
- 4 道徳教育の評価
- 36 完璧でない先生が子どもたちの道徳性を客観的に評価できるのですか。
- 37 道徳科の評価はどのようにすればいいのですか。
- 38 道徳科の評価の文章が毎学期同じような言葉になってしまいます。
- 39 授業ではよい発言をするのに好ましくない行動をとる子どもをどのように評価すればいいですか。
- 40 評価を通した授業改善をどのように考えればいいでしょうか。
- 5 道徳教育の原理
- 41 道徳教育はきれいごとにすぎないのではないですか。
- 42 道徳教育というと大人の言うことに従わせる堅苦しいイメージがあるのですが。
- 43 道徳教育は心の教育なのですか。
- 44 人間は結局のところ利己的なのではないのですか。人間は利他的になれるのでしょうか。
- 45 今日の子どもたちの道徳性は低下しているのでしょうか。
- 46 道徳教育は本来家庭で行われるべきものではないのですか。
- 47 学校での道徳教育に効果があるように思えないのですが。
- 48 道徳教育の歴史を学ぶことに意味はあるのですか。
- 49 これからの社会ではどのような道徳教育が求められるのでしょうか。
- 50 そもそも道徳を教えることはできるのですか。
- ブックガイド
- おわりに
はじめに
動物園の人気者のおサルさんは,「サルとは何か?」と考えたりはしません。これに対して私たち人間は,「人間とは何か?」を考えます。おサルさんは,「昨日のバナナはおいしかったけど今日のはおいしくない」とは考えません(たぶん)。ひるがえって私たち人間は,「今日はダメダメだったけど,明日はよくなるかな」などと考えます。私たち人間には,今ここにないものを思い描いたり,自分ではない人の立場に立って考えたりする想像力があるようです。
人は誰でも,幸せに生きたいという願いをもっています。また,自分だけでなく他の人も幸せになるといいな,という思いをもつことができます。少なくとも,自他の不幸を願いながら生まれてくる人はいません。けれども,成長していくにつれて,何が幸せかは人によって異なるようになり,時に対立や衝突を生みます。憎悪(の記憶)が憎悪を呼び,殺し合いにまで発展するのも,悲しいかな人間だけです。おサルさんはそんなことはしません(たぶん)。故ネルソン・マンデラ氏は,「もし憎むことを学べるのなら,愛することを教えることもできる」と語っています。自分を大切にし,それと同じくらい他人を大切にすること。これが道徳と呼ばれるものであり,それを教えるのが道徳教育ではないかと考えます。
この本は,学校の道徳科の授業を担当する先生,担当するかもしれない学生さん,道徳教育に関心をもつ一般の人を念頭に置きながら,道徳とは何か,道徳教育とは何か,道徳科の授業をどのように進めていけばいいかについての私たち2人の対談を,50のトピックスにまとめて収めたものです。どこから読み始めてもらってもかまいません。道徳教育についての私たちの考え方は,上記のとおり至ってシンプルですが,ただ,実際にやろうとするとなかなか難しいことも事実です。人(子ども)を変えるには時間と労力がかかります。親や学校の先生だけが子どもを成長させているわけではなく,子どもはいろんな人や物事から影響を受けながら育っていきます。変える(教える)ことができたと思っても,思いもかけない学び方をしている場合だってあります。子どもは他者ですので,こちらの思いどおりにならなくて当然です。
46億年と言われる地球の歴史を1年に縮めると,人類(ホモ=サピエンス)が誕生したのは大晦日の午後11時半頃になるようです。地球史からみるとほんの短い時間の間に,私たちはより真正な知を求めて,努力と失敗を重ねてきました。今もって「人間とは何か」「善く生きるとはどういうことか」といった問いに結論は出ていません。おそらくこれからも正解が得られることはないでしょうし,さまざまに異なる考えを持ち寄りみんなで議論して考え続けること,失敗してもそのつど立ち上がって前に進むことこそ,人間のいいところのひとつではないでしょうか(おサルさんはどう思うでしょうか)。
道徳科の授業について「うまくいかない」「自信がない」,あるいは「道徳には答えがないんだからどんな意見も正解」といった声がしばしば聞かれます。学校は,失敗しても立ち上がる力を子どもたちに授ける場であるはずなのですが,どうも今日では政治や社会の目が非常に近視眼的になり,先生にも子どもたちにもなかなか失敗が許されない場になっているようです。もちろん,この本を読めば必ず授業が成功して子どもたちが育つ,というわけではありません。ただ少なくとも,「失敗は許されない」と硬くなるのではなく,失敗から学び,そのつどよりよい答えを探す姿勢で臨むほうが,先生にとっても子どもたちにとっても,いい意味で肩の力を抜いて前に向かって進むことができるでしょう。この本を読んでくださる皆さんの気持ちが少しでも楽になり,道徳の授業への元気がわいてくるようであれば幸いです。
2018年1月 著者を代表して /野平 慎二
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- 明治図書
- テーマ毎に見開きでまとめてあり,研究で使いやすかった。2018/10/250代・小学校教員
- コンパクトにまとめてあり、年度始めの研修用に使いやすかったです。2018/10/250代・小学校教員