- はじめに
- 第T章 “畏敬の念”を育てよう
- 1 ためらうことなく,“畏敬の念”を教えよ
- 2 なぜ“畏敬の念”は,敬遠されるのか
- 3 宗教とどう違うか ―スピリチュアリティという観点―
- 4 霊能的なものへの警鐘
- 5 ヌミノース ―畏れの感情―
- 6 すべての価値に重みを与えるもの
- 7 何ものかから“見られている”という感覚
- 8 “畏敬の念”をどう指導するか
- @体験とその振り返り
- Aイメージの活用
- B発問の工夫
- C圧倒的な迫力と魅力を備えた資料の開発
- 第U章 実践・“畏敬の念”の道徳授業
- @道徳シートで心の中の「畏敬の念」を引き出す
- 〜体験を共用し,畏れ敬う気持ちを認識する〜
- A「死者に見守られている生者に気づく」
- 〜「千の風になって」から〜
- B「いのちを見つめて」
- 〜「葉っぱのフレディ」との出合いの中で〜
- C自然,生命,人間への畏敬の念を育てる
- 〜「葉っぱのフレディ」から〜
- D「ありがとう,チャンプ」そして奇跡は起きた
- 〜響き渡る魂の叫び 車イスの犬チャンプの物語〜
- E「誕生」や「死」を見つめさせて,人間の力を超えたものに向き合う心を育てる
- 〜相田作品から子どもの「死生観」に迫るアプローチを通して〜
- F“畏敬の念”の決めては,教材提示の工夫
- 〜視聴覚教材を使った臨場感のある授業で〜
- G「巨樹にもらった希望」
- 〜「道徳ドキュメント」を活用して「人間の力を超えたもの」に気づく〜
- H“畏れ”の気持ちをはぐくむ
- 〜郷土の伝説を通して〜
- I子どもたちに「年をとることへの畏敬の念」を深く刻む道徳教育
- 〜「鈴虫が鳴いた」から,生きること・死ぬことの意味を考える〜
- J「感動的な資料提示で畏敬の念を育てる」
- 〜パネルシアターを活用した道徳授業〜
- K「青の洞門」で,人間の心を超えた心に触れる
- 〜「憎しみ」が,何によって変化したか考える〜
- L畏敬の念という『心の宝物』を発掘し,磨きをかける学習
- 〜「美しいお面」で,真の美に感動する〜
はじめに
この本は,人間を超えたものへの「畏敬の念」を道徳授業でどう教えるか。すぐれた実践例を紹介する形で説いたものです。
すぐに模倣できるすぐれた実践が満載です。
これまで「畏敬の念」はちょっと難しいな,と思われていた方も,この本を参考にして,ぜひ「畏敬の念」の授業にトライされてみてください!
道徳教育について全国の教育センターなどでお話をさせていただくたびに,私は繰り返し,こう申し上げてきました。
「畏敬の念こそ,あらゆる道徳的価値の中でもっとも重要な価値である」と。
「畏敬の念」は,それがなくては,あらゆる道徳的価値がその重みを失ってしまうような特別な価値なのです。
悪いことをしたけど,だれにもバレていない。ラッキー
最近,怠けているけど,だれにも見られてないから怠けてしまえ。
私たちは,ついこんな心の誘惑にそそのかされてしまいます。
そんなとき,私たちは時折,人間を超えた大いなるものからのまなざしが自分に降り注がれているのを感じます。
それは,こんな感じです。
「私は,絶えず,何ものかから見られている。その何ものかは,よく分からないけれど,父や母や学校の先生よりも,はるかに大きくて,おそろしくて,こわいものだ。そんな,とてつもなく大きく,こわく,おそろしい何かから,私はいつも見られている」
「たとえだれにも見られていないように思えても,実は,人間を超えた向こうから,絶えず,私に視線が注がれている。だから私はどんなときでも,誠実に,一生懸命生きなくてはならない」
一言で言えば,生きることの「こわさ」の感覚。
最近,教育再生会議や中央教育審議会などで,子どもたち,若者たちの規範意識の低下が指摘されていますが,私は,規範意識の根底には,このような感覚が不可欠だ,と思っています。“畏敬の念”なしの規範意識など,薄っぺらなものでしかありえません。
生きてあることに伴う,この「畏怖の感情」を子どもたちの心にはぐくんでいかなくては,本当の意味での規範意識の確立など不可能だ,と思っているのです。
もちろん,「人間を超えたもの」は,ただ,こわく,おそろしいだけではありません。
それはときには,こんな感覚として,子どもたちの心に現れます。
「私の心は,人間を超えた大いなるものとつながっている。だから私は,どんなときも一人ぼっちではない。たとえ周りの友達全員に裏切られても,私は決して一人ではない」
「私は,先生からも,親からも,友達からも見離されてしまった。もうだれも,私に期待してくれる人なんて,いない。自分なんてもう何の価値もない。いっそ,この世から消えていなくなればいいのだと思ってしまう。……
そんなとき,夜空を見上げていると,こんな声がふとどこからか,聞こえてくる。『私はあなたを見ていますよ。あなたのことを見放してなんかいませんよ』と…」
人生には,耐え難いほどつらい,困難な状況に出くわすことが何度もあります。
そんなとき,それでもめげずに何とか私たちが生きていけるのは,このような感覚を漠然とであれ,感じることができるからではないでしょうか。
いかがです?
道徳の授業で,子どもたちの心に,こんな感覚を育てていきたいと思われませんか?
その具体的な方法が,この本にはいっぱいです!
それぞれの授業実践例の前に,「ここが見どころ!」というワンポイントを私が書きました。
ぜひ,子どもたちのために,この本をお役立てください。
明治大学文学部教授 /諸富 祥彦
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- 明治図書
- 「畏敬の念」をあつかった道徳授業は難しいといわれています。その畏敬の念について取り扱っているところが価値が高いと思うのです。2019/11/1750代教頭
- この内容の書籍は少く、貴重である。2017/12/1760代、研究者