- 著者インタビュー
- 算数・数学
問題を与えて解かせ、生徒のつまずきを取り上げて授業を進めると、つまずきがちな生徒はコンプレックスを感じるでしょう。だからといって、問題の解き方の手順を示して解かせても、数学の本質的な理解に至らずに終わるかもしれません。
やはり、解決方法の見通しを立てる思考が大切です。複数の学級で同じ問題を提示しても、解決方法の見通しは学級ごとに異なるものです。だから、授業では問題に対して様々な考え方が出され、それらを集約しながら生徒の思考の流れに沿って道筋を定めてあげることが必要になります。
問題は模造紙等に書いて提示することが理想的ですが、解決方法の見通しや設定する課題については、生徒の発言に基づいて整理しながら板書することが大切だと思います。
生徒の板書に基づいて、友だちの考えと自分の考えを比較したり、複数の考え方を統合してよりよい方法や結論に練り上げたりします。つまり、理想的な解答をきれいに板書しもらうことよりも、生徒の板書を使って授業を組み立てることが大切です。その場合、生徒の板書を振り返りながら意見を述べ合うようなことを行い、生徒の発言に基づいて加筆したり修正したりします。したがって、板書は挙手した生徒のだれでもよいのではなく、教師が意図した生徒に行わせることが基本です。
また、生徒は板書に不慣れで、どうしても小さな字で行間を空けずに書きがちなので、加筆・修正等をわかりやすく示すことができるように、大きな字で、行間を空けて書くように促すとよいでしょう。
教科書のページや、模造紙に書けば済むものを、わざわざICT機器を設置して投影することには、それほど意味があるとは思えません。数値の変化に伴うグラフの変化を示したり、条件を保存したまま図形を変形させたりできることが、ICT機器を使うことの利点の一つでしょう。
理想とする授業があり、その実現のためにICT機器が有効に働くのであれば、大いに使いたいものです。例えば、階級の幅を変えると瞬時にヒストグラムが変わるような示し方は、板書での対応は難しいでしょう。動きのあるグラフを示すことや、図形を変形しながら示すことは、生徒の思考を豊かにするものだと思います。
芸術作品は、その作品に込めた作者の思いがあってこそ名作と呼ばれる作品になるのでしょう。名作をまねて上手に描いても、所詮贋作に過ぎません。
ちょっと大げさかもしれませんが、板書は教師と生徒が共につくり上げる芸術作品だと考えたいものです。生徒に何を伝えたいか、生徒と共にどのような授業をつくりたいか、そんな思いが指導案になり、板書として目に見える形になるのだと思います。
板書の工夫は、その背景にある授業の工夫、さらには教材の開発が根底にあるはずです。板書の背景にある授業の工夫、教材の開発こそ、私たちは絶対に忘れてはならない営みだと思います。本書から、そんなメッセージを読み取っていただければ幸いです。