「答えがわかる人、手をあげて」は一部の子どもには不適切?
イギリスの政府は、6月1日の調査報告で、一部の発言が苦手な子どもの学力を維持・向上させるための方法として、日本でも広く一般的に親しまれている「授業で手をあげさせる」のは得策ではない、と提言した。
静かで目立たない、発言が苦手、速やかな対応や先生の注意を必要とせず、必要な時でも訊かれるまで黙って待っている、これらの性質をあわせ持つ子どもは、一部では“invisible children”と呼ばれ、学力や向上心などを維持する上で、配慮が必要だと考えられている。
そんな子どもを支援するために、DfESの調査報告では、教室で簡単にできるいくつかの方策を提言し、
・挙手は使わず、先生が児童を指名すること
・発言の前に30秒考える時間を与えること
・答える前にグループで話し合うこと
などがあげられている。
一方、日本では、観点別の評価が導入されて、授業態度や提出物、そして手をあげる回数などが「関心・意欲・態度」をみる上で重要な評価の対象になっている。テストの問題を解くのは苦手だが、みんなの前で意見を述べるのが得意だ、というような子どももいるため、手をあげさせて積極性をみるのは、ひとつの評価基準として、まだまだ必要な手段となりそうだ。
この記事は、『きょういくじん会議』の記事を移転して掲載しているため、文中に『きょういくじん会議』への掲載を前提とした表現が含まれている場合があります。あらかじめご了承ください。

でも挙手をなくすのには反対だな。
先生から指名されないと自分の意見がいえないようじゃ、ダメですよね。
社会人になってから、会議で発言できない人になっちゃうよ。
そうでない人も自分の得意を発揮すればいい。
現実は、発揮する場が与えられない者はふてくされ、
物差しに合う者が勝ち組になって安堵する世の中。
1みたいに一面的な尺度を当然のように振りかざす人
ばかりじゃ世の中は変わらないよ。
もちろん、発言が苦手な人もいて、
その人は自分の得意分野でがんばればいい。
でも、他人から促されなくても、
人前で自分の意見をきちんと発表する力は大事
ではないでしょうか。
大人になったらなおさらです。
>現実は、発揮する場が与えられない者はふてくされ、
>物差しに合う者が勝ち組になって安堵する世の中
そうなんですか?
そんなことはないと思いますが。
発表や音読など話す力が重視された結果、その子たちには苦痛な授業も増えたかも。
あまりプレッシャーにならないようにとは思いますが甘やかし過ぎ?
1にダメ人間扱いされたオレが来ましたよ。
↑シャイな子はこっちの方が嫌だと思いますが、挙手制だと手を挙げないですからね。難しいところです。
たしかに。
指名されて答えられないと、すごく恥ずかしいですよねえ。
ジョバンニはもうどぎまぎしてまっ赤になってしまいました。
で、6年間、あだ名は「ジョバンニ」てか
わかります。
子供って、「できる子」に冷たいですよね。出るくいは打たれる世界。だからあんまり頭のよさだの何だのをひけらかしたくなくなりますよね。
それが日本のいいところでもあり悪いところなのかも。。。